「やっつけ仕事」という言葉がある。仕事の一つの有り様で、「その場限りの仕事」だったり「粗雑な仕事」だったりを意味する。
これらの意味は仕事の側からのものだから、本当はその仕事をする人がいる。仕事をやっつける「人」だ。つまり、この「人」と仕事との関係が「粗雑」であり「その場限り」ということになる。
粗雑に扱って、終わってしまえば、もう捨ててしまう。二度とこの「人」とこの「仕事」は関係を持たない。そんなイメージだと思う。あくまでも、人と仕事は切り離されていて、人にとって仕事は打ち倒すべき敵であり、勝つか負けるかということだろう。こういう仕事観はそれほど特殊なものとは思えない。
こうやって「やっつけ仕事」をよく見れば、「やっつけ」ではない仕事を考えることもできそうだ。
人と仕事はどのような関係にありえるか。
人と仕事は分離できるのか。
仕事が終わったあと、その仕事はその人にとってもはや用済みなのか。
仕事は敵なのか。
こうやって、いろいろと考えることができる。
幸福な仕事観はたくさんありえると思うが、例えば、その一つはこういうものだと思う。
その人とその人の仕事は切り離すことができない。その人がその仕事をやるということは、その仕事がその人の一部となり、その仕事を通して、その人が変わっていく。仕事が人になっていくような仕事。
この仕事観も、理想だと言い切れるほど特殊なものとは僕には思えない。選べるのだとすれば、僕はそういう仕事を選ぶようにしたい。