November 25, 2014

【031】豊富とも稀少とも違うところにある「うれしい」

今年も大きくなってきた隣のザボン。
ハンドボールぐらい。
ぶどうの苗木を注文した。マスカット・ベリーAという品種。
12月初旬に届いたら、庭に植える。

パートナーの澪と、植える場所を決めて、そこにあった切り株を掘り起こして、開いた穴にコンポストを設置して、生ごみを入れて、と準備してきた。

去年、つくだ農園のぶどうの定植に行って、その時いつかうちでもぶどう植えようと思ってから1年半。
http://tsukuda-blog.sblo.jp/article/64043693.html

子供の頃、家に果樹があるのがいいなあと思っていた。
うちの家にはなかった。

と、ふと思い出した。

自宅に果樹がある人が来客に「うちでは食べきれないから好きなだけもっていって」といったようなことを言う。
遠慮せずにという意味なのだろうけど、それにどうにもがっかりしていた。

さらに思い出す。

我が家の庭にルッコラが生えている。
どんどん増えていく。
ちぎって醤油とごま油とチーズを掛けて食べると美味しい。
美味しいのだけど、たくさんあるから、家に来る人に「いくらでもあるから好きなだけ持っていって」と言っていた。

美味しいし、庭に元気に生えていていつでも食べられるのがうれしいとも思う。
でも、たくさんあるということで、そのうれしいは目減りしている。
いや、たくさんあることそのものではなくて、遠慮せずにという意味で使う「いくらでもあるから好きなだけ持っていって」という言い回しによって、僕が目減りさせている。

人に仕事を頼むときに使う「簡単だから」「すぐにできるから」「だれにでもできるから」という言い回しも似ている。
引き受けることの敷居を下げようとする言い回しによって、仕事の意味が目減りする。

たくさんあるからでもなく、
ちょっとしかないからでもなく、
簡単ですぐに誰にでもできるからでもなく、
難しくてあなたにしかできないからでもなく、
そういうこととは違うところにあるうれしいがうれしい。

となりの家にザボンの樹がある。
堆肥を足したり、伸びすぎた枝を切ったり、つきすぎた実を減らしたりして、隣のおばちゃんは毎年ザボンを育てる。
僕はザボンがだんだん大きくなっていくのを見ているだけでうれしくなる。
年末になると、おばちゃんはその実をとって子どもや孫にあげる。
もし余ったら僕のところにもひとつ持ってきてくれる。
とてもうれしい。

ぶどうが成ったらおばちゃんにあげよう。

November 21, 2014

【030】ティッヒー

何の変哲もないとびきり美味しい
シュークリームが一個150円だった。
■11月12日
黄檗駅近くの新生市場のケーキ屋さん、ティッヒーが11月30日で閉業だというので今日も買いに行った。小さな店の右端にあるガラスの冷蔵庫に張り紙がしてあって、11月30日に閉業と書いてある。ショーケースの上の小さな鐘を鳴らすと声がして、いつものようにおじさんが2階から降りてくる。

シュークリームを2つ頼んで、閉業なんですねというと、
はい。

他に移ってとかではないんですかというと、
閉業ですね。

長いことやってるんですか。
32年ですね。

寂しいです。
そう言っていただけるだけでうれしいです。

ティッヒーというのはどういう意味なんですか。
ウィーンでよく行っていたアイスクリーム屋さんの名前です。

ウィーンに修行に行ってられたんですか。
はい。ティッヒーではないですけど、よく行っていて響きが可愛いので黙って拝借しました。

アイスクリーム屋さんなんですね。
はい。ウィーンでとても有名なお店です。ウィーンに行かれることがあれば一度行ってみてください。

ここのシュークリームが好きでそれがもう食べられないと思うと寂しいです。


■11月20日
ティッヒーの店頭営業最終日。閉業は30日。

澪と二人でこの日は最後のシュークリームを買って、おじさんに花束を渡そうと計画していた。

11時頃店に行くとシャッターが閉まっていて、午前中は陽射しが直接ショーケースに入るので以前もシャッターを半ばおろして営業していたことがあったからそうかと思ったり、開店する時間がまだ把握できていないから今日はまだ開店していないのかと思ったりしたが、シャッターに張り紙がしてあって、店頭営業最終日の20日(木)のところが18日(火)に書き換えられていた。

寂しいがじわっと広がった。

どうしようもなくしばらくそこに佇んで、なんとなく花束を持った笑顔のおじさんを撮ろうと思って持ってきていたカメラでシャッターと張り紙と看板を撮った。

18日といえばけんちゃんとなっちゃんと澪の4人で買いに来た日で、あの時が最後の日だった。あのとき張り紙は20日のままだったけど、僕達が去ったあとに書き換えられたのだろう。

僕は勝手に思い込んでいた。

今日は、花束を持って行って、おじさんがちょっとはにかんで笑って、ちょっと話をして、なんとなく感動的なシーンになって、写真を撮って、あぁよかったねといって澪とシュークリームを買って帰る。

でも、感動も、よかったねも、シュークリームもなく、ただどこにも仕舞いようのない寂しいがじわったとあるだけ。

これが本当の最後というもの。
ただ寂しいがじわっとあるだけ。

November 15, 2014

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第9回

第9回  ほんま行けるところがあってうれしい。

本文の会話には登場しないが、ペットボトルと缶のプルタブを開ける自助具。
「これがあればいつでもビール飲めます(笑)」

大谷:
これ4年ぐらい使ってるのか。
全然そんな風に見えないね。
高井ちゃんのことやから毎日使ってるやろうに。

高井:
3個をローテーションでぐるぐる。
ここは名刺入れるのに作ってもらったんですよ。

大谷:
外のポケットね。
カードとか入れてたよね。

高井:
ラガールカード。

大谷:
中にはさっきの初代と同じものが入るの?
入れてみよっと。

高井:
パズルです(笑)

大谷:
すっと入るね。

高井:
えぇ。

大谷:
ほんでここにシャチハタ?

高井:
っていうて作ってもらったんですけど、社長出勤になって(笑)

大谷:
あぁ、ちまちまに行く用に作ったんや。

社長出勤、年3回ぐらいかな(笑)

高井:
最近3回は毎週行けてるから、
自分でもうれいいなと思って。

10月31日、その前と、その前と。

大谷:
そうか、行けてるんか、いいね。

高井:
ほんま行けるところがあってうれしい。

大谷:
高井ちゃん、話面白いね。
何言い出すかわからんところが面白い(笑)

高井:
(笑)

大谷:
話の流れがそのまま行くかなと思ったら、「実は」ってなるやん。

高井:
長く付き合ってると時々ムカつくみたいです。
話、方向ぜんぜん違うやんか!っていうて。

大谷:
そんなうまいこと行かへんもんなぁ。
今日はありがとう。
あとなんか言うことあるかな?

高井:
全部出し切った感じ。
おかげさまで。
(終)

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第8回

第8回  出勤の時にシャチハタがいるってわかって、シャチハタいれるところ作ってって。

3代目の肩掛けカバン。赤がきれい。
大谷:
これは3代目だね。これは何年ぐらい使ってるの?

高井:
退職の一ヶ月前やから、2010年の7月に。

大谷:
じゃぁ、4年半ぐらいか。しっかりしてるよね。
茶色は高井ちゃんが好きな色なん?

高井:
もう、全部おまかせでしました。

大谷:
おまかせなんや。へぇ。良い色やね。

高井:
うん。

あ、この赤は赤色のカバンが持ちたいっていうたから、
赤色にしてもらった。

もう、使いすぎて使いすぎて。この汚さがいいんですよ。

大谷:
馴染んでる感じや。
すごいね。ポケット。

高井:
ここにポケットがありますやんか。
それは判子入れるところです(笑)。

大谷:
あ、ほんまや、ちょうど。
判子よく使うの?

高井:
ちまちま行くようになって、
出勤の時にシャチハタがいるってわかって、
シャチハタいれるところ作ってって言うて(笑)。

ちまちま:箕面市にある「ちまちま工房」のこと。代表は永田千砂さん。

大谷:
(笑)

高井:
最初に作るときに。
ほんで、その時にうち、携帯でなくてスマホに変えていて、
ここがスマホ入れるとこ。

大谷:
へー。

高井:
でもスマホって高いじゃないですか、毎月。
もうやってられへんわって(笑)。

大谷:
ほんでこっちに戻ったんや。
この鞄、柄がきれいやね。中の。

高井:
裏向けましょか。

大谷:
tamaさんは、底をしっかり作るね。そこがいいな。

高井:
もう、ほんまに。何もかも丁寧に。

大谷:
これ裏もすごい綺麗に作ってあるね。
ひっくり返しても使えそうな。

高井:
ひっくり返してもいいかもしれない。

大谷:
めっちゃ丁寧やな。きれいに作ってある。
形がしっかり出るように、横と底に厚みをもたしてはるね。
ちゃんと色変えて。

高井:
ここも、なんかアクセントつけてくれて。
中までアクセントつけてくれてるんです。

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第7回

第7回  リュックってあんまりいいことがなかったんです。

高井:
あ!そうそう。tamaさんのブログ、ご覧になりました?

大谷:
うん。
高井ちゃんがこの話をするのをきいたっていうのを
ブログに書いてくれてたね。

高井:
たぶん、うちと大谷さんのことを書いてくれたんやろなって思って
見てたんですけど。そうと思う。

大谷:
高井ちゃんにそういう話をされてまた作りたくなったってね。

高井:
うん。

大谷:
なんかうれしいね。

高井:
なんか、tamaさんも大谷さんにそう言ってもらえて
ありがとうって言ってました。

大谷:
いえいえ。

高井:
うち、リュックっていうたらね、
あんまりいいことがなかったんです。

リュック背負って、20代なかばですよ。
リュック背負って、ほんで帽子ここまで(目のところ)かぶってて、
バス停で待ってたら、「小学校何年?」って言われて(笑)。

大谷:
(笑)

高井:
帽子パってとったら、老けてますわな(笑)。
「あぁ」っていう感じでしたけど。

その次の出来事がまたバスですね。
席が近くて喋りかけてきてくれて、「にいちゃん」って(笑)。
「にいちゃん高校何年?」って(笑)。

大谷:
(笑)。
それリュックのせいやったん?

高井:
2回目は違うと思う。

2回目は帽子かぶってへんかったから、
髪短くて、ほんまに男に見られたんやと思う。

大谷:
(笑)

高井:
だからこんな大人っぽいデザインにしてくれて、
それもうれしかったです。

リュック背負ってたら、だらしがない子になるし、
キーってなるし。

でもまだ歩いてた頃は、
リハビリの先生に体がどうしても傾いてるから、
リュックやったら体の中心に来るからベストやって。

大谷:
あ、リュックがいいって?

高井:
でも、体にはよくても、
精神衛生上は良くないんです。

大谷:
(笑)。
子どもに見られるからね。

高井:
だらしなくなるし。

大谷:
ほんでこれ作ってもらったから、よかったなぁ。

高井:
重度訪問介護従事者っていう
障害者総合支援法だけで使えるヘルパーの簡易版みたいなのがあるんですよ。

その講座で障害者の当事者のことを話してくださいって言われて、
話す機会があったんですけど。
絶対このリュックを持って行ってたんです。
そうしたら絶対褒めてくれはるんです。

大谷:
参加者の人が?

高井:
ほんで私が自慢するんです(笑)

大谷:
そうかそうか。
なんて褒めてもらえるの?

高井:
まず、かわいいって、見かけから入って。

ここぱっくり開くんです。
かわいくて、その上つかいやすいんですよって。
半分自慢みたいなこと。
毎回受講生さんが気づいてくれはる。

大谷:
あぁ、気づいてもらうために持っていってるんや(笑)

高井:
(笑)

大谷:
そうかそうか。
何も言わんでも、それいいですねって言わはるんやね。

高井:
言わはる。

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第6回

第6回  「恵子ちゃん、勉強になったよ」って。だいぶ苦労してくれはったなぁと思う。

2代目のリュック。ヨコ型で形を保つのは難しい。
大谷:
作ってくれたお友達なんていう方なんですか。

高井:
tamaさん。
tamaさんのブログ「工房 place in the sun」。

大谷:
tamaさんは、色の選び方もいいですね。

高井:
これがすごい苦労して作ってくれはったんですよ。

大谷:
このリュックは2代目のカバン?

高井:
2代目。
デイサービスに勤めてたでしょ。
その通勤用に作ってもらったんです。

そこは車いす通勤したらダメとは言わへんけど、
なんか通勤しにくかったんですよ。

大谷:
なんで?

高井:
なんでか。うちもハテナハテナマークが。
まぁ、いろいろそんな事情があって、バス通勤で。

大谷:
なんでや!ってかんじやな。

高井:
そう。だって、うちの家から職場まで30分で行けるとこを
1時間15分かけていってたんです。

大谷:
バス停までわざわざ行って。

高井:
そう。

ほんで、このリュックは仕事のファイルを入れるから、
パカっと開くように。

大谷:
おぉすごいすごい。
こんなに開くやつはないよね。

高井:
ヨコ型が使いやすいねんていう話になって、ヨコ型で。

リュックやからポケットも大きいのでいいわって言って、
一個しかついてない。

リュックってどうしてもスポーティになるから、
かわいいリュックを作ってっていうたんです。

大谷:
かわいいのね。

高井:
ヨコ型はなんか、どうしてもくにゃぁとなるっていうか、

大谷:
形が?

高井:
形がシャキってしないんですって。

「恵子ちゃん、勉強になったよ」って、言ってはったから、
だいぶ苦労してくれたなぁと思って。

ほんで肩紐も。私、跛行ですねやんか。

大谷:
ハコウ?

高井:
体が揺れて歩くこと。

おまけになで肩でしょ。
どうしても、肩紐が肩から外れて、だらしない格好になって(笑)。

大谷:
それでこの胸元で止めるやつがついてるんやね。

高井:
今、カチってなるプラスチックのやつあるでしょ。
あれができませんねん。

大谷:
あ、そっか。

高井:
それも考えてくれて。

大谷:
売ってるリュックはたいがいあれやもんね。

高井:
それもデザイン性も崩れんようにって。

大谷:
それ難しいよね。

高井:
うち、tamaさんに好きな事言うて、あとはお願いねって(笑)

大谷:
(笑)

高井:
「なんでたて型のリュックばっかりかわかったよ」って言うてた。

大谷:
そうか。形が保ちやすいんやね。

高井:
で、作ってもらって。
今になったらすごい楽しい話なんですけど、
実はこれ一回も通勤に使ったことないんですよ(笑)

大谷:
なんや(笑)

高井:
5月ごろにリュックをお願いして、6月に退職したんですよ。
ほんで7月にできた(笑)

大谷:
じゃ、仕事では使ってないの?

高井:
(笑)

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第5回

第5回  わりと同じのをしつこく使うタイプやねんね。

サイズもちょうどいい。
大谷:
いつも何を持って歩くかとか、
高井ちゃんは決まってるの?

高井:
えぇ。ポケットに入れていきましょうか。

大谷:
うん。それが決まってるのが面白いなぁと思って。

高井:
測ってもうたんは、ちり紙と薬入れ、手帳、メモ帳と財布と、

大谷:
使い込んだ財布やな。ええ感じやね。

高井:
もう十何年です。

大谷:
わりと同じのをしつこく使うタイプやねんね。

高井:
えぇ(笑)

大谷:
携帯を入れて、

高井:
パズルみたいに。
これはここで、これは・・・

大谷:
ぴったりやな。

高井:
手帳どっちやったかな。
そうや、こっちや。
ほんで財布はここ。
あとはここは切符入れて使ってます。

大谷:
ペンはそこやね。

高井:
できた!

大谷:
おぉ、いいね、これ。
写真撮りたいな、後で撮ろう。
きれいに入るんやね。出しやすさとかもあるの?

高井:
うち、性格も性格やから、
ポケットのないカバンやったらグッチャグッチャになるんです。
ほんで自分一人でキーッってなるんです。

大谷:
僕もぐちゃぐちゃになるねん。
もうね、持って歩くものが決まらないとイーッってなるね。

高井:
(笑)切符ない!切符ない!ってならんように、
切符はそこに入れる。

大谷:
これが初代のカバン?

高井:
初代です。
うちちんちくりんやからね。背が。
ベルト一番短くやっても長いんですよ。
それもちゃんと測って切ってくれて。
なんか、どこか忘れたんですけど、パンチで穴開けて止めてくれはった。

大谷:
これやね。

高井:
今日ね、せっかく見てもらうから洗濯しようと思ったけど、
洗濯せんほうが何か味が出るんちゃうかなと(笑)

大谷:
(笑)味出てるよ。すごい、いいやん。
7年使った割にはきれいやね。

高井:
ほんま、そう思う。きれい。
縫製とか布とか綺麗にしてくれはったおかげやと思う。

大谷:
ほんまに。このベルト直さないの?

高井:
家では別のを使ってるんですけど、
ちぎれたところを見てもらいたくて、
わざわざ付け替えてきました。

大谷:
そうかそうか。
今日はわざわざ付け替えてきて、演出してくれたんや。

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第4回

第4回  作ったげるわって、快く引き受けてくれはって。

欲しいものがすっと取り出せる。
大谷:
何年ぐらい使ったん?

高井:
最初から合わすと6年。7年目かもしれへん。
これ茶色くなってからは3年かな。

大谷:
すごい使ってるね。
でも全然、しっかりしてる。

高井:
ほんまになんか、生地からちゃんと考えてくれて。

大谷:
どういうふうないきさつから、そういうことになったん?

高井:
うちもそれ、きかれると思って、
ずっと思い出してたんですけど、なんか忘れてもうて。

なんか作ってるってきいて、私、
なかなかカバンがないねんていう話をしたのは覚えているんです。

大谷:
もともと友達やったん?

高井:
7年前に知り合って。

大谷:
そうか、じゃぁわりと知り合ってすぐに、
作ってあげるわって言ってくれはったんや。

高井:
たぶん。作ったげるわって、快く引き受けてくれはって。

大谷:
よかったなぁ。そうなんや。
なかなかいいひんよね。
その人はもともとこういうの作らはる人なん?

高井:
もともとは全然違う業種で、でも友達に作ったげてたみたいで、
それがなんか口コミ、口コミで。

大谷:
そうなんや。
高井ちゃんみたいに、障害もってる人に作ってはったん?

高井:
たぶん健常者がほとんどやと思うんですけど、
あまり詳しく聞いたことないんです。

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第3回

第3回  カバンの自慢していいですか。

高井:
カバンの自慢していいですか(笑)

大谷:
うん。自慢して。

高井:
これ(笑)
使いすぎてブチ切れてるねん。

大谷:
あ、紐が切れてるやん。
丈夫な革ベルトがちぎれるまで使い込んだ。
高井:
こればっかり使ってたんですよ。

大谷:
革の肩紐が切れるって相当やね。

高井:
友達も言うてた。相当使っててんなって。

大谷:
いいなぁ。

高井:
中身もこんな可愛くしてくれて。

大谷:
ほんまやね。ポケットいっぱい。
ちゃんと入れるもののサイズに合わせて作ってあるんやね。

高井:
これも障害者手帳とかメモ帳とか携帯とか、
全部大きさを測ってくれて。

大谷:
へー。すごいな。

ちょうど入るポケットが作ってある。
高井:
これね、2回作り替えてもらったんですよ。

大谷:
なんで?

高井:
はじめね。この茶色いところがね。この色だったんです。

大谷:
ああ、白っぽい生地の。

高井:
あまりにも使いすぎて、
ここの色が半分ねずみ色みたいになってきたんです。

大谷:
汚れて?

高井:
うん。洗濯してもとれなくて。
ほんで、中身はそのままで茶色い部分だけを替えてもらった。

大谷:
いっぺん外して、作りなおしてくれはったんやね。すごい。
ちょっと見せて。へー。
これはこのパチって磁石のやつがいいの?

高井:
はじめマジックテープかこれかっていうてくれはったんやけど、
マジックテープやったらゴミが付きますやん。

大谷:
あぁ、つくつく。

高井:
だからこれやったらいいかなと思って。

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第2回

第2回  病弱やけど、そこは機械の力、文明の利器の力を使って。


高井:
さっきお話に戻るんですけど、
一言で言うと「私らこれからやんか!」って。

ほんで、
インターネットで会議とかできひんかなって言うてたんですけど、
その友達とインターネットの会議ってどうやんねんって。
そこから始めようかって。

大谷:
へぇ。

高井:
大谷さんて、機械強いですよね。

大谷:
まぁまぁ、わかるよ。

高井:
今度ね、インターネットの会議の仕方教えて欲しいんですけど。

大谷:
いいですよ。

高井:
ありがとう。
みんなでやれたらいいねって。
みんな結構病弱やけど、そこは機械の力、文明の利器の力を使って。

大谷:
テレビ会議みたいなやつやね?

高井:
そこも、想像さえでけへんから(笑)

大谷:
想像さえできひんのか(笑)
それでよう、やろうって言うたね。

高井:
例えばスカイプとか。

大谷:
あぁ、スカイプ。あるね。

高井:
スカイプって何ですか(笑)

大谷:
知らんねや!(笑)

テレビ電話みたいなやつ。
映像も映るし声も聞こえる。

高井:
カメラを付けて?

大谷:
そうそう。
インターネットつながれば、
スカイプっていうソフトはタダやから、タダでできる。

高井:
今うかがってても、ハテナが(頭の上に)ぶんぶんって。
今度教えてください。

大谷:
わかりました。

【言葉の記録4】高井ちゃんのカバン 第1回

高井ちゃんこと高井恵子さんと初めて会ったのは何年も前の年末の飲み会だった。

バリアフリーマップを作っているのだけれど印刷のことがわからないから協力してほしいと言われた。初めて会ったはずなのに「最初からその距離にいました」というような、馴れ馴れしいというわけではなく、それでいてとても親近感のあるその距離と場所がとても印象的だった。

そんな高井ちゃんと久しぶりにあったらとても素敵なカバンを持っていて、それどうしたん?ときき始めたら、とってもうれしい話が聞けた。お友達のtamaさんが、高井ちゃんの体や持ち物、好みを聞いてぴったりに作ったカバン。

そのカバンのことも、カバンじゃないことも全て、絶妙な高井ちゃんの距離から僕に向かって話された言葉。その記録。

聞き手・まとめ 大谷隆
収録日:2014年11月5日
場所:大阪梅田近辺

November 13, 2014

【029】南北朝に匹敵する動乱のわくわく

線が引かれたシミだらけの本と、
黄色くなった切り抜き、それと猫。
講読ゼミが面白い。仲間と本を読む。よってたかって読む。

僕が特に気にならず読み進めてしまったところを別の誰かが掬いあげてみせる。すると思わぬ景色が見えてきて、あぁ自分だけでは到底辿りつけなかったと思うようなところへ行ける。

来年1月からは網野善彦の『増補 無縁・公界・楽』を読む。いよいよという感じ。好きな本だけど、なかなか難しい。読んでも読んでも読みきれない感じが残っていて、それを仲間と読めるのはとてもうれしい。

そういうわけで、そろそろと準備を始めようかと思って、でもいきなり久しぶりの『無縁・公界・楽』に挑むのはちょっとためらいがあって、あえて『日本の歴史をよみなおす』から読もうと、自宅の本棚にもあるけれど、先日父の本棚で見つけた同じ本を手にとった。

父は切り抜き魔で、たいていの本にはその本にまつわる新聞の切り抜きが挟んである。本だけでなく音楽CDにも挟んであったりして驚く。

『日本の歴史をよみなおす』も例外ではなく、発行当時の新聞記事がいくつか挟んであった。インタビュー記事があって、当たり前だけど、その頃は網野さんは生きていたんだなと思う。

その一つ、1991年5月11日(土曜日)付の日本経済新聞の記事で網野善彦は、
南北朝動乱期は列島全体に視野を広げてみると古代、中世、近世などの区分とは次元の違う日本の社会構造、民族的体質にかかわる大きな転換期だったと思う。
と言っている。網野史学において南北朝動乱期が何よりも大きな日本の転換期と位置づけられているのは有名な話で、この言葉自体は著書を読んでいればすんなり読める。

僕がびっくりしたのはそれに続く次の言葉、
いわば現在進行中の大変化に相当するような社会的な転換期だったと考えているわけです。
新聞記事から、どれぐらい本人の発言したニュアンスが残っているか簡単には判別できないけれど、この通りに発言したと捉えると僕には震えがくるほどの言葉。

一体何をもって「現在」がそれほど大きな転換期だと言うのだろう。「現在」とはいつ頃からを言うのか。残念ながらこれ以降の記事中に「現在」への言及はない。

しかし、すくなくとも、網野善彦が南北朝動乱期に匹敵するという社会的転換期をすでに僕たちは生きてきたし、今も生きている。

これはとてもわくわくする。本当にわくわくする。
ラピュタを見つけたパズーの気分。

November 11, 2014

【028】どこがどうということの書かれたもの

見えている範囲から見えてないところを
予測する想像力の罪。
「文脈」という言葉は、実は大きな意味から小さな意味まであって、例えば通常使う文脈という意味は、と、ここまで読めばこの続きは、一般に使われている文脈という言葉は小さな意味でしかなくて、もっと大きな意味としての文脈もあるというようなことを、さっきの「、と、ここまで」のところまで読んだぐらいでなんとなくわかってしまうようなことを文脈といったりする。

「ここまで読めば」のあたりで読者が予測する結論的なことからずれた続きを書いてしまうと、フェイント。心の置きどころがわからず留保が起こるから、つまり、文章に費やされている文字数は、個々の文字のもつ情報の伝達というよりは、この文脈の構築に費やされるので、同じだけ費やすなら、違法建築を建ててやれ。

November 10, 2014

【027】近いって幸せ(再掲載)

遠いと言えば沖縄。肌が記憶している距離。
あの包み込む空気と気紛れな雨雲の遠さ。
若干手抜きな気もする再掲載シリーズ。
そのうち罪悪感で新しいのを書く気がします。
今回はかなり古め。7年前のものから。

この頃は大阪ボランティア協会の職員として雑誌『ウォロ』を編集していました。
本文中の「東京の方」は大熊由紀子さん、「職場のボス」は早瀬昇さんのこと。

距離に関することはたしかに今でも意識があって、でも、これを書いた時ほど「近い」ことに優位性がないというか、逆に「遠い」ことの価値を見出している気がします。面白いな。

===
2007年05月30日

仕事で編集している月刊誌。そこで連載を書いて下さっている東京の方が事務所に来て下さって、はじめてお会いした。これまでメールと電話では何度も連絡を取っていたのだけれど、直接お会いできたのはうれしい。

 顔や雰囲気をイメージしながら電話やメールができるということはとても重要なことだと僕は思う。その方もどうやら同じ考えらしく「これで原稿を書くときにお顔を思い浮かべて書けます」とおっしゃった。そういうことってあると思う。距離感が近づくのだ。

 「近いって幸せ」と僕は思っていてときどきそういう表現をする。近いということは僕にとって一つの価値だ。同じように「遠い」というのも一種の価値かもしれない。

 そういえば、その方に「大谷さんはどんな時でもパニックにならないんですってね」と言われた。職場のボスが僕のことをそういう風に説明してくれたそうな。変な評価だけど変な自信がつきました。

November 6, 2014

【026】縛る土(再掲載)

テクノロジーは夢を与えた。
テクノロジーは呪いを与えた。
以前書いていたブログを読みたいと言っていただいたので、いくつか再掲載しようと思います。

===
2011年06月07日

庭で畑をやっているとあの野菜は簡単だからやるとよい、あるいは難しいなどと言われる。僕自身、以前住んでいた箕面でも畑をやっていたからその時の経験を頼りにあれは簡単に育つ、これは難しいと思い込んでいたりする。しかし、全くないとまでは言い切れないが、そういう情報は実際のところさほど参考にならない。原因を考えて、土だろうと思い当たった。

土は場所によって違う。これは想像だが、きっと同じ土地でやっている人の情報はある程度参考になるはずだ。

畑で作物を作るにはその土地で情報を蓄積する必要があるのだ。土だけでなく気候気象も。そして気がついた。そのために農業は土地から離れられないのだ。その土地から離れてしまうと単に土地を失うだけでなく、その土地固有の経験の蓄積である情報を失い、新たな場所で農業をするにはそれらを一から構築し直さなければならない。

「この土地を離れては生きていけない」という言葉の意味がわかった。そして、そのような中で生きることで形成された気質は、自然現象だけではなく、人間社会にまで及ぶのではないかと思った。「この人間関係を離れては生きていけない」と。

日本史家の網野善彦が丹念に追いかけた漂泊民の力、無縁の力は、この大地と大気と人間の縛りを逃れていることそのものなのだ。

November 1, 2014

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第9回


(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第9回 引用を含めた言葉の品というもの

大谷:
引用って、ルールに基づかないと引用にならなくて、
そのルールに基づけば承諾を得なくてもできるっていう、
そういう仕組そのものを引用っていって。

それが僕はすごい素敵な仕組みだなと思うんですよね。
僕が引用したことを引用された元の人は知らない。

まあ、網野善彦なんかもう知りようがない。
死んでるからね。
でもできるっていうのが、素敵なことだなって。

小林:
敬意のない引用があるんじゃないかっていうのを
僕はモーリー(森)の問に含まれてる気がして。

森:

僕の中でそういう問はない。
あ、僕の中では敬意のない引用はあったんやけど。
それを問としてききたいわけじゃない。

小林:
あ、僕は聞きたいです。

大谷:
敬意のない引用。それはできる。
すごく都合よく。
ほんとに都合よく切りとっちゃえばあると思う。

政治家のインタビューみたいなのって
編集である言葉だけを抜き出してそればっかり流しちゃえば、
全文を聞けば違うニュアンスがあるのに、みたいなことはできるし、
それと同じことが引用でも作れる。
だからそんなことをしちゃいけない。

森:

けんちゃんがそれを疑問として受け取った感じにおいついてきた。

ああ、あるかもしれんと思って。

あまり前後のことを分からずに人のことを引用するって
大胆な敬意やねっていうことだけ切り取って聞いた時に、
びっくりすると同時に、
そうじゃないこともある感じが残っていて、
それが言いたかったんやね。

文章のことを言ってるんやけど、
言葉でしゃべる時もそういう引用って頻繁にやってる気がして、
それを敬意をもって人のことを使うというか引用する。
あるいは大胆な敬意をもって引用しているのか。

引用を含めた言葉の品というか
そういうのが僕の中にあると思っていて。

まあ、大胆やなーというか
品位を持って引用できる人になりたいなとか
品位を大事にしたいなみたいな感覚は
僕の中にあるんや。

そのへんところにやっぱアンテナが。
引用ってことに対して敬意という言葉を使ってはったので。
僕も探求したいことなので突っ込んでいきました。

小林:
では時間がきました。

小林・大谷:
ありがとうございました。


公開収録を終えて

この企画のための案内文に僕(大谷)は
「言葉になる前のその何かを直接手で触れるのではないかと思えるほど高濃度な無言」
と書きました。
今回、まさにその無言が、
ふたりきりで話す時よりもはるかに硬質で確かなものとして在ったのですが、
それはやはり文字には残りにくいのだと改めて確認しました。

それでも僕はこの時間に起こったことの何かを文字として記録できると感じていて、
それが何かを掴みたいと思っています。

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第8回


(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第8回 「入ってもいい」と言われているところの動けなさ

森洋介(参加者):
入ってもいい?

大谷:
どうぞ。

森:
まず自分の居場所を確保したいというのがあって喋ってるんやけど。

「入ってもいい」っていう設定の仕方って難しいって思って。
なんか二人は緊張してるって言ってるけど、
僕は僕なりの緊張があって、
話を聞いてて心が動いた時にふっと行きそうになるんやけど
「入ってもいい」というのはちょっと遠慮するんよ。

小林:
(笑)。そりゃそうだよね。

森:
ちょっと遠慮する不自然さが自分の中に残って、
この場にいるので。

僕の中で大谷さんが緊張するって言った中で、
僕の今の緊張の度合いは僕の中で
ちょっと重なっているところがあって。

その緊張の感覚のちょっと居づらいところが、
「入ってもいい」と言われているところの
ちょっと動けなさみたいなんがあるなと思って。

これを前置きしたら動きやすいかなと思って
ちょっと言ってみました。

小林:
はい。

森:
僕が動きたかったとこっていうのは、
引用するってとこに
大胆な敬意の払い方だなと大谷さん言っていて。

大谷:
はい。

森:
そこ、大胆と感じるのがなんなんかなというのを
聞きたいなと感じていて。

僕はずっと論文書きが仕事だったので、
学術的な論文。
えー、俺、敬意払ってきたかなと思って、
そういう意味での論文書く時ってわりと
自分の主張を言いたいがために材料として使うわけで。
確かにいい事言うよなとか、
こういう視点があるのかという意味で
興味関心は持っているんだけれども、
そんなに敬意をはらって引用してきたかというと、
僕自身が人に敬意を払えているのかどうかということにも
つきあたってくるんだけれども、
とりあえずそのことについては、
俺、敬意というものはそこになかったなと。

客観的にはあるじゃないって言われるかもしれないけど、
本人的には敬意足らんなという経験が今まであると。

でまず敬意なんだなというところから出だして、
僕の中では敬意を持ってなかった自分っていうのを
省みることができたっていうのが一つと、
大胆な敬意の払い方っていう、
もうちょっとその大胆の意味合いを聞きたいなっていう。

大谷:
引用って全然会ったことがない人でも
死んだ人でもできる。
違いがない。

隣にいる人が書いた文章でも100年前に書いた文章でも、
外国の人でも全く同じように扱われていて、
一気にその100年前まで行って
その人に敬意を払えるっていうか、
そこの間になんの手順もなく
いきなりそれがぼんってできるっていうのが
僕の中では大胆で。

なおかつその人の表現、
表現ってこう結構その人の内面みたいなものが
裸の状態ででているように僕には見えていて、
言い訳ができない状態にあるもの。

それに対してアプローチを一気にかけるっていうのも大胆。

「初めまして、私あの、大谷です」とか言って
「今度ちょっとなんか・・・」みたいな
そういうこと全然一切なくいきなりその人の本心を
がって掴んでやる感じがなんか大胆だなって思う。

森:
単なる敬意というより、
大胆な敬意というこのセットになったときに
面白いなと思って、
いいなと思ってるんですけど。

そういう経緯があって
僕の中で論文を引用する時に敬意を払えてない感じがあって、
逆に本になるものの原稿を書こうとした時に、
これ引用しようとしている人に、
「あなたのここを引用したいんです。

初めまして森洋介です。
ここをこういう理由で引用したくて、
こういう風に引用させてください」って
一人ひとりにどうしてもいいたくなって。

本に出るのって初めてだから編集者に相談したんです。
どうすればいいのって。

それは手続きとして編集者がやるから
それはやらなくていいんです、と。

しかも一般的な引用なら
そもそもそこまでやる必要もないんですと。

そういう風にいわれてそういうもんなんか世の中は世間はと、
自分は気にしすぎなんかと。
そこは編集者に任せて
本人に挨拶することもなく引用したんです。

無茶苦茶僕の中では大胆なんです。

大谷:
ふーん。なるほど。

森:
僕の中では大胆と引き換えに
敬意を犠牲にした感じがあって。

僕の中で大胆と敬意ってそんなに簡単に結びつかないの。

でも世の中に大胆な敬意ってあるんやろうなって思って。
逆に僕そういうのに憧れたりする。

大胆でも敬意が払える行為。
僕そういうのに憧れてるんや。

なかなか僕が実現できないから。
それでちょっと大胆な意味確認したかった。

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第7回


(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第7回 瞬間切り込んでくる感じがあるときがあって、「あっ」て思う

小林:
前、僕の紹介をする時に僕といるとちょっと、
緊張するとかドキドキするとか書いたのもそう?

大谷:
同じかもしれない。
けんちゃんと同じことを考えていることが多いって思って、
似ているっていう言い方をしていたんだけど、
けんちゃんと似ているんだけれど、
似ているからといって安心できなくって。

でも、なんていうか。安心している。(笑)

小林:
似てるけど、安心できないけど、安心している。(笑)

大谷:
うーん、なんだろうな。

瞬間切り込んでくる感じがあるときがあって、「あっ」て思う。
「あ、やられた」って思う。

でもそれは嫌な感じではなくて、
今までそういうことを考えたことがなかったけど、
そういうことを考えるとそうだなって思わされる感じ。

それによって、それ以外の僕の部分が、
がさっと崩れるようなことが起きるとかね。

小林:
これまでこうだなと思ってたものが?

大谷:
がさっと崩れる。
そのことに対してちゃんと考えていたわけじゃなかったんだな
ということが分かる。

「資源はちょっと足りないぐらいがちょうどいい」って
言われたときはやられたって思った。

小林:
あ、そう。
そういうところか。

大谷:
ちょうどいいのがいいと思ってたもん。
ぴったりなのがいいと思ってたもん。

「バターたっぷり」とかさ、
「生クリームたっぷり」とかさ、
ああいう惹句があるじゃん。
コピーが。

あれがよく分からなくてさ。
「バターぴったり」がいいんじゃないのってずっと思っててさ。

小林:
(笑)。うん。

大谷:
思わない?
ぴったりだと思う量で作ってって思うの。

たっぷりって言われると過剰に入っている気がして、
過剰じゃなくて一番美味しいところで作ってって。

小林:
(笑)

大谷:
だからぴったりが丁度いいっていう風にずっと思ってて。
塩分控えめも控えないで。
調度いいのがいいって思ってたら、
けんちゃんが「資源はちょっと足りないぐらいがちょうといい」って
言ってて衝撃を受けた。

ちょっと足りないっていうくらいが調度いいってのは
もっと広いんだなと思って、
ちょっと足りないっていうのとは階層の違う話をしているのが、
ああすげーって思ったんですよ。

小林:
僕、全然その時のこと覚えてないよ。

大谷:
僕、すごい覚えてるんだけど。
でもどういうシチュエーションで言ったかは忘れてる。

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第6回


(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第6回  対策をとってもそんなんは対策にしか過ぎないよって僕の中のくにちゃんが言う

小林:
でもなんちゅうのかな。
今日、これを開くときでもそうだし、
他で、例えば自分が円座やるときとか、
どっかの組織に呼ばれて、
一応こういうプログラムでとかこういう趣旨で
来てくださいねとか言われるんだけど、
もう完全に非構成というか、
その場の集まった人たちで場を作っていこうとかいう
心持ちでいる時は、
何日か前から緊張している感じがあって、
それは近そうだなと思った。

今日もそうで、
なんだか身をさらす感じがあるのね。

準備しといたり、
今日も大谷さんと話すこと全部決めて、
今日はこういうしつらえでこうやって話そうと決めたら、
それを見てもらえるじゃん。
プログラムとか話す内容を。

でも、完全に僕を見られる。
それに対するすごい恐怖感みたいなのはあるね。

大谷:
準備ができないって、対策が取れないってことでしょ。
対策をとってもそんなんは対策にしか過ぎないよって
僕の中のくにちゃんが言うんよ。

小林:
(笑)。ああそういうこと。
準備してたら?

大谷:
準備しようとしてたら。

で、あなたはそんな対策を取らなくてもいいんですよ。
対策をとってないあなたを私は見るんですよって言うのよ。
それがこわいよね。

本当にくにちゃんがそんなことをいうかどうかは
全然関係ないし、
別にくにちゃんと面と向かって話す時に
そんなプレッシャーを受ける訳ではないんだけれど、
なんだろうね。

フェンスワークスというグループそのものの
コアになっているものとして
僕はそういうふうに見えちゃうんだよね。
きっと。

小林:
コアになっているものとしてそういうふうに見えちゃう。

大谷:
現実にいるのはけんちゃんとか、なっちゃんとか、
くにちゃんとかであり、
円座というプログラムであるんだけれど。

そういうものの中心に、
なにかそれがそういうふうに構造を作る、
それがそういうふうになる何かがあると想定して、
その中心にある何かみたいなものから
僕がそういうふうに言われているように聞こえる。

小林:
うん。

大谷:
逆に言うと、
対策を取らずに緊張している状態の中から
何かを言うというのは絶対に大丈夫という感じがしている。
そこから言う言葉っていうのを否定される感じがない。
けど緊張はする。
珍しいと思う、こういう場所は。

で、結局あの時思ったのが
緊張している状態のほうが普通なのだ。
緊張している状態がノーマルな状態というか。

そういう風に思って、
緊張しないように対策を取るということを
普段はやってるんだけどここではできない。
という感じを受けるんだよね。

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第5回


(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第5回 ここの場所がそもそも緊張する。フェンスワークスというものが緊張する

大谷:
今、緊張してるんですよね。

小林:
ははは。

大谷:
僕ね、
こういう場だから緊張するっていうのもあるんですけど、
ここの場所がそもそも緊張する。
フェンスワークスというものが緊張する。

フェンスワークス:目的を持たない生命体的集団。
大阪の千代崎に拠点を持つ。
円坐やエンカウンターグループなどを数多く開催。
代表は田中聡氏。2014年より小林夫妻も所属。

小林:
(笑)
フェンスワークスというものが緊張する。

大谷:
緊張する。
フェンスワークスに来て緊張しなかったことがない。

小林:
もう月曜日くらいから緊張してたよね。

大谷:
くにちゃん(という存在)が緊張するのかもしれないね。
緊張しない?

くにちゃん:橋本久仁彦氏。「きく」ことの達人。
口承即興舞踏劇団「坐・フェンス」を率いる。
フェンスワークスの誕生にも関わったフェンスワークス・フェロー。

小林:
前よりはしなくなったって感じかな。
だから緊張してるんだな。

でも今日くにちゃんはいないじゃん。

大谷:
いないんだよね。
いないけど緊張するよ。

一番緊張したのはミニカンの録音のとき。
僕がしゃべった。
もう、緊張したっていうことしか喋ってないような
ミニカンだったんだけど、
あれが一番緊張した。

で、結局あの時思ったのが
緊張している状態のほうが普通なのだ。
緊張している状態がノーマルな状態というか。
そういう風に思って、
緊張しないように対策を取るということを
普段はやってるんだけどここではできない。
という感じを受けるんだよね。

ミニカン:ミニカウンセリングの略。
15分間、話し手の話を聞き手が聞き、
それを録音し状況音も含めて逐語録を作成。
それをもとに15分間に何が起こっていたのかをレビューする。

小林:
フェンスワークスでもくにちゃんでもってことだよね。

大谷:
そうそう。
人としてそんなにプレッシャーを受けてる訳ではないんだけれど、
フェンスワークスの人って誰一人とって
そういうことはないんだけど、
むしろ逆かな。

その威圧感みたいなものはないんだけどさ、
でも何故かそうなるんだよね。

小林:
はあ。

大谷:
稀有な場所だよ。

おそれがある、「畏れ」が。
悪いことが起こる感じの恐れじゃなくて。
畏れている。

小林:
畏れている?
くにちゃんを?

大谷:
くにちゃんを畏れているのかな?
そうかもしれない。
そういうことにしてみよう。

小林:
でも別になにもやってこないじゃん。
大谷:
やってこないんだよね。

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第4回

(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第4回 引用は大胆で深い敬意の表し方

小林:
僕が勝手にイメージしたもので言えば、
それによって大谷さんの言わんとしていたことが完成したというか、
次の状態にすすんだと言ってもいいのかわからないけど
そんな感じがした。

そのうれしかったってのはなんなんだろうな。

大谷:
読んでくれているってことがわかったってのがうれしかったし、
伝わったというか、
引用するってことは僕が言わんとしていることがわかった、
のだろうなと思ったのよ。

小林:
引用したってことは僕が言わんとしていたことがわかった?

大谷:
何書いてあるかよくわからないものは多分引用できない。
部分だけを切り抜いたからといって使えないと思うんだけど。
ちゃんと伝わったんだなと思った。

小林:
大谷さんがFacebookにも書いてたけど、
最大限の敬意の表し方だっけ、あの表現。

僕が例えば中沢新一さんのことを引用するときにも、
それが僕が言わんとしていたことを
最も的確に表しているから引用したりしてるんだけど。

その人の言っていることが、
自分の中に入ってきた感じがあって、
それも含めて僕のものを出す方がより伝わるような感じがしていて。
それを大きい敬意の表し方だと言われることは
すごくうれしかったのね。
いまそのことを詳しく言ってくれている感じがあって
聞いててよかったなと思って。

大谷:
そうだね。
Facebookでは「大胆で深い敬意の表し方」って書いたと思う。

小林:
大胆で深い敬意の表し方。

大谷:
中沢新一のある文を引用するってなったら、
中沢新一に挑む感じがあるじゃん。

小林:
うん。挑む感じがある。

大谷:
対等な感じがある。
そういうことが引用という作法でできるのが
大胆だなと思って。

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第3回

(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第3回  引用ってドキドキするんですよ。するのもされるのも

大谷:
往復書簡。公開書簡か。
雑誌とかでよくあるあれ。
なんか憧れてたんだよね。

小林:
(笑)

大谷:
ブログのやりとりはなんか、
そういうのができてうれしい感じがあって。
引用。お互いに引用する。
引用ってものすごく敬意を払う行為だなと思っていて。

文章を書くって結構大変で、
自分の考えを晒す形になる。
それを引用は切りとる。
その人の出したものを切り取って、
でも切り取られた分はそのまま、
一字一句変わらないものを自分の中に一度入れて、
またそれを形として出す行為。

けんちゃんていう人を例えば切り刻んで、
その部分を僕に移植して、
それによって僕というものができるくらいの感じがしていて
ドキドキするんですよ。
するのもされるのも。

小林:
うん。

大谷:
僕が勝手に師匠だと思っている、
その人は思ってないかもしれないけど、
編集者の人がいらっしゃって。
もう亡くなられてるんですけど。

その人に一度だけ僕が書いた文章の一部を引用されたことがあって。
それはすごくうれしかった。

これはちゃんと話したほうがいいのかな。
僕は地元が京都の宇治なんですけど、
黄檗という駅があって、
その近くに住んでいて、
その黄檗のことを書いた雑誌を作っていた。以前。

その雑誌を作っているってことをその人は知っていて、
僕がなぜその雑誌を作っているかを
その人の編集しているメールマガジンに書いた。
そこから引用されたんですけど。

黄檗という場所は、特段何もないところなんだけれど、
でも僕にとってはいろいろ面白いものがあるみたいな感じの
そういう文章だったの。

そこに僕の師匠がたまたま仕事かなんかでやってきて
その黄檗の街を見たと、
その時のことを自分で書かれて、
大谷っていうやつがいて、
大谷が言うにはこの辺りはとりたててなにもないっていう
僕の文章が引用されて、
でもこんなに色んなものがあるんじゃないかってことを
書いてくれた。

文脈的にいうと僕の言葉は否定される材料として、
大谷がこう言っているけれどもそうじゃなっていう
文脈で引用はされているんだけれども、
すごいそれこそが僕が言わんとしていたことというか、
その人がそう書いてくれたことを
僕は言おうとしていたという感じがして。
うれしかった。

唐突なんだよね引用って。

小林:
唐突?

大谷:
唐突。

読んだら「あっ」てなる。
あ、当たり前か。知らないで読むからか。

小林:
引用されたってことをね。

【言葉の記録3】コトバのキロク公開収録 第2回

(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

第2回  組織の一員として、どこから何を言われるかわからないって結構リスキー

小林:
もう一つ思い出すのが、前にメディフェスというのがあって。

大谷:
市民メディアフェスタかな。

市民メディアフェスタ:
2004年に「第1回市民メディア全国交流集会」が開催され、その後、市民メディアの祭典として全国各地の主要な市民メディア団体が持ち回りで実行委員会を立ち上げて毎年開催されるようになったイベント。

小林:
うん。あれももう10年位やってるんだっけ。

大谷:
それ自体は年1回、10年位やってるんじゃないかな。

小林:
去年か一昨年だったか、
大阪でやろうっていう話になって、
大谷さんがそれのとりまとめのようなことをしていて、
僕も協力してくれと言われて一緒に行って、
やったことを思い出します。

その時はそのメディフェスを作る打ち合わせ自体を
オープンにしようって言って、
議事録とかも公開していくというのをやったんだけど。

その時扱っているテーマが面白くて、
「タブーについて」。
メディアに載るときに宗教とか、

大谷:
政治とか、

小林:
いくつかタブーがあると。
なんで扱ってはいけないのかみたいな話があって。
そういうのを扱うメディアフェスティバルみたいのを
やるんだから、議事録自体もオープンにしようって
いってたんだけど。

実際には「これはオフレコで」とか。
録音を取ることもちょっと待ってくれみたいな
話になりながら進んだと。

大谷:
崩壊したんだよね(笑)

小林:
結局やることはなかったんだよね。

大谷:
僕らの意図した形ではできなかった。
僕らの敗戦の記録ですね。

小林:
それもオープンにする時に起こる現象だなと思っていて、
僕ら個人でやっているときにはいいんだけど、
例えば組織に所属してたりだとか。

組織の一員としてなにかしているときに、
どこから何を言われるかわからないって
結構リスキーな状況だと思ったりしてね。

今この場をこういう風にやっているということ自体が
メディフェスの頃からの流れの
ちょっと先に今があるなという思いがあります。

大谷:
メディフェスの話はすっかり忘れていて今日まで。

言われてああほんとだなと、
あそこでやろうとしていたことかと思って。
ちょっと、はーと思った。

【言葉の記録3】コトバのキロク 公開収録 第1回

(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)

言葉の記録

人と話をするのが面白い。どこがどう面白いかというのは、その人、その時それぞれだから、ひとくくりにはできない。話、離し、放された言葉が少し景色を変えてみせる。そんな言葉の記録。事と場の記録。

小林けんじさんの「自分では、自分の考えてることを文字にするのが難しいから人に聞いてもらいたい」という言葉から生まれた企画。