April 30, 2015

【140】薪は切ってから割ったほうがよかった。「弱い目的」が好き。

薪を作る。
土台にしているのは松の丸太を埋めたもの。
以前、薪について書いた。

それ以降もだいたい毎日天気が良いので、ちょっとずつ薪を作っているし、ちょっとずつ使ってもいる。

七輪で燃やすためなので、七輪で燃やしやすい大きさにするのだけど、竹なら長さ20センチぐらいで4つか8つに割る。

前回は、割ってから切るという順番で書いたけど、あの後の作業をしながら、20センチぐらいにのこぎりで切ってからナタで割ったほうが心地よいということがわかってきた。以前は60センチぐらいの竹を割ってから切っていた。丸いものをノコギリで切るのでちょっと難しくなるけれど、それ以上にナタがスパンと割れる。ナタが失敗せずに毎回気持ちよく割れるという快楽の安定がノコギリを引くときの固定にテクニックが要るという気遣いの増大を超える。

そういうことは当たり前なのかもしれないし、逆なのかもしれないし、どっちでもいいのかもしれないけれど、作業効率なんか全く考える必要なく、一日10分ほど気持ち良く体を動かせれば良くて、その結果薪がやった分だけできていればいい、という弱い目的というか、淡い目的というか、そういう感じでやっている。

作業効率を上げないといけないとか、期限があるとか、そういう強い目的になると、とたんに心地よさがなくなってしまうから、そういうことは考えないようにしている。

そんな風に弱く曖昧に物事が進んでいくことで僕は十分だったりする。特に春は。

April 29, 2015

【139】読むたびに発見があるとしたら、本を読み終えることなんて永遠にできない。

日本史年表を見ながら読む。
網野善彦だから南北朝時代が中心になる。
今日から『日本の歴史をよみなおす』ゼミ。この本も何度か読んだはずなのに、なぜかこれまでとは桁違いの解像度で読める。気がする。

同じ著者、網野善彦の、より難解と言われる『増補 無縁・公界・楽』をゼミで読んできたというのも大きいけれど、それだけではない。

最近ゼミを始めたマルセル・モース『贈与論』は、日本の社会における金融の発生、「出挙」を説明できるのではないか。

『日本の歴史をよみなおす』でとる立場、日本はまだ未成熟な状態で、大陸から入る「文明的」なもの、例えば文字、貨幣、家父長制などを接合してきた。というところは、読み終えた椹木野衣の『日本・現代・美術』でいう日本が「悪い場所」であるということを説明できるのではないか。

一つの本を読むことに対して、他の本をどれだけ「接合する」かは、慎重でなければならないとも思うけれど、僕自身の中に蓄積された事柄でしか「読む」ができないのだから、他の本で読んだことが自動的に接合されてしまうのも確か。

こうやって同じ本が何度も読めて、そのたびに僕の中の何かがかわるとなると、本棚を前にして途方もなさを感じる。一冊の本を読むたびに、この棚にある膨大な文字と言葉がズルりと変質し、舌なめずりをしながら僕を招く。だとしたら、この棚の本を読み終えることは永遠にできない。

April 28, 2015

【138】「ラフ」に縛り付けられていた。服装からの自由。

世間一般的にはカジュアルだろうけど、
僕にしてはピシっとした仕事向けの仕立てシャツ。
服を数えながら考えていた。
僕は「ラフ」に縛られていた。
ここで言う「ラフ」は気楽でだらしなく気兼ねないこと。

家にいて、一日外出しないのだから、ラフな格好をしていないといけない。ヨレヨレで柔らかいニット生地のシャツじゃないといけない。そのほうが楽だし機能的なのだから、と思い込んでいた。

それが「服装の自由」であり、いつもフォーマルな格好を強いられているサラリーマンたちは「服装の不自由」に生かされているのだと。

でもそうではなかった。不自由さで言えば、ラフを自分に強制している僕だって同じではないか。

澪の実家からシャツの仕立券付き生地をいくつかもらって、何着か作っていたけど、つい最近までほったらかしていた。

襟付きのパリっとしたシャツはフォーマルな場で着るべきだと思っていて、そういう機会は今の僕にはそれほど多くないから、「このシャツは僕が着るにはフォーマルすぎる。僕はラフなのだ」と思っていた。

「ラフ」な階層を自分で作り出し、そこに「誇り高く」居ようとしていた。それは、僕自身をラフな階層に縛り付けていた。

仕事をするときはフォーマルな格好をしなければならないというのと、そういう格好をしなくていい仕事をしているのだからラフな格好をしなければならない、というのは全く同じ分類法に生きていて、立場が違うだけでその意識に違いはない。

それが、最近、家でダラっとしている時も、仕立てたシャツを着るようになってきた。

あたりまえだけど、サイズがぴったりで、ラフなだらんとしたシャツよりもよっぽど着心地が良いのだ。肩幅も袖も裾もぴったりなシャツ。

そういえば、これと同じことは革靴をオーダーした時にも起こっていたのを思い出す。

僕はスニーカーなんかよりよっぽどオーダーで作った革靴のほうが歩きやすい。持っているスニーカーは革靴を修理に出すときに履くためでしかなく、その僅かな期間だけでも足首が痛くなってしまう。

ラフに縛り付けられていると意識してはじめて服装から自由になれた気がする。これで部屋着と外行きという変な分類も撤廃できる。

April 27, 2015

【137】ナタとノコギリで薪をつくる。

薪割りは好きなときに好きなだけやっていい。
作業量に比例して価値が残る。
先日、七輪で薪を燃やしてホルモンを焼いて食べた。
今日、庭へ出ると天気が良くて風も心地いい。
よって、先日燃やした分の薪を補充する。

といっても七輪はとても熱効率が良いようで薪はあまり減らない。以前、ロケットストーブを作ってみようかなと思ったこともあったけど、七輪で十分なので、作る気にならない。

竹をナタで割って、ノコギリで切る。

ナタは、繊維にそって割る。素材にもよるけれど、うまくいくとスパーンと割れて恐ろしく気持ちが良い。しかし、うまくいかないとナタが喰い込んだ竹を何度も何度も切り株に打ち下ろさないと行けなくて、疲れる。同じ竹でもうまく行ったり行かなかったり、やるたびに結果は異なる。

一方、ノコギリは、繊維を横に切る。もちろん縦にも切れるのだけど、この場合は横に切る。目立てができていて、切る素材をしっかり固定すれば、さくさくという感じで切れる。ナタと比べて安定的定番的快感がある。

「大鉈を振るう」という表現があるけど、ナタはあくまで繊維の方向にしか割ることができない。うまく割れるか途中で食い込んでにっちもさっちも行かなくなるかはわからない。大きく、重いほうが割れる可能性も高いけど、狙い通りの場所で割れる可能性は低くなる。割るべき素材がどうなってもいいのであれば、大鉈でガツンとやればいいけれど、そうでなく、しかも確実に何かを成し遂げたいのであれば、「大鉈を振るう」よりも、「大鋸を引く」方がいい場合もある。

そんなことを考えていたら薪ができた。次に使う分は、これぐらいで十分。

【136】服を数える。

数え上げは一仕事。
澪が夏服と冬服を入れかえて、服を数えていたので僕も真似する。

2015年4月27日時点、
セーター       2
長袖シャツ(襟付き) 6
長袖シャツ(襟なし) 2
ジャケット      1
はんてん       1
コート        1
ウインドブレーカー  1
半袖シャツ(襟付き) 6
半袖シャツ(襟なし) 3
ポロシャツ      4
Tシャツ       5
作務衣(上)     2
作務衣(下)     2
パジャマ(下)    1
ジーパン       3
チノパン       1
フリース生地のズボン 1
分離ズボン      1
デニム半ズボン    1
喪服(上)      1
喪服(下)      2
ネクタイ       2
帽子         2
腰痛バンド      1
合羽(上)      2
合羽(下)      1
下着類        7

合計        62

数えながら5点処分した。まだ、思ったよりも有る。

数え上げが心地よく行くかどうかは分類にかかっている。
適度な分類が苦手なので、最後までたどり着けるか不安だったが、
今回はどうにかねじ伏せた。
こうして記録しておくことで数え上げが定着して、充実感が湧く。

April 26, 2015

【135】読んで書くだけ。

万年筆にインクを入れるのが好きだけれど、
最近はペンよりもパソコンを使うことが多い。
最近、できることが減ってきている。まともな仕事らしいことをやろうとしてもなかなか着手できない。着手できても続けられない。できたとしても達成感がない。お金を儲けたいという欲求があまりないから、お金をもらうことでの満足感すら得られない。だからといってお金が無いと不安が立ち上がって、苛立ちが出現する。

できることといえば、読むこと、そしてかろうじて書くことぐらいで、それ以外はろくにできないし、ろくなことをしない。

編集の仕事を始めた頃、読むことと書くことぐらいしか僕にはとりえがなかったから、それをやるしかなくて、それは僕自身が大切にしてきた自分の場所そのもので、それが僕自身の外的な評価に直結していたからとても楽しかった。しかし、だんだんと時間が経つにつれて、読むことと書くことよりも、進捗を管理することのほうが編集の仕事のメインになっていった。そうしていつしか僕は編集の仕事すらも苦痛を感じるようになっていた。

そういうふうに仕事の中身を変えていったのは僕自身で、それは、読むことと書くことという僕自身の居場所に居続けること、そこで勝負することにだんだんと耐えられなくなってしまったからだ。自分の「ホーム」からなるべく遠く、それでいて自分の「その他の力」が有効に活用できるところで僕は仕事をするようになっていた。そのほうが何かあった時に安全だから。自分が傷つかなくて済むから。

皮肉なことに今になってこうやって、僕の力が使い物になる範囲が狭くなっていく撤退戦の果てに、僕は僕自身の場所を鮮明に意識せざるを得なくなった。もうそこにしか僕の場所はない。読んで書くこと、そして考え続けることぐらいしかまともなことはできない。こういうのもミニマリズムというのだろうか。できることのミニマリズム。

物心ついて、文字を追うようになってからずっと、僕は読むことがとにかく好きだった。書くことと書く人に憧れていた。そういうことを思い出した。

April 24, 2015

【134】本を読むのは絶対的他者の視界を得ること。連続する死体のトンネルに入ること。

ゼミのために久しぶりに「アリス」を読む。
思いついた順に書いてあるのはカフカに似ている。
発せられた音に従って文字を連ねるのはジョイスに似ている。
昨日の続きで考えたこと。

本を読むこと、僕が本を読めたと思うことは、他者との絶望的な視界の融合が叶うときで、だからこそ、僕は本を読むのだと思う。書いた人の視界というのは他者の視界であって、僕には見えないはずのもので、それが見えてしまう。

もしもそれを、自分にとって都合の良い読み方、自分の好きな読み方をしてしまうのであれば、それは他者の視界を絵葉書のように都合よく切り取ってきて自分の部屋の壁に貼ってのんびりと眺めることにしかならず、書いた人が居た場所に立つことは永久にできない。

他者との出会いは絶望的で相容れない。生きている他者ならなおさらで、とても飲み込めるものではない。にも関わらずその視界を得られる可能性があるというところが読書の面白みだと思う。その本において書いた人は、一文字一文字を書き終え続けた瞬間瞬間に死体となり続けていて、その連続する死体というか死体のトンネルのようなものに入り込む感じがする。逆イタコ体験。

とても居心地の悪い時もあるし、強烈な恐怖を感じるときもあるけれど、それができるぐらい入り込めるのは死んでいるからである。入り込めたからと言って同化するわけではなく、異物としてあり続ける。でもその視界は記憶に残り続ける。記憶の中の視界を頼りにまた別の死体トンネルに入り込もうとする。

悪趣味なたとえで申し訳ない。この文章もそんな死体トンネルになっていてほしい。

【133】絶望できる人だけが他者と出会えるのではない、他者と出会うことが絶望なのだと思う。

身近で最適な他者としての猫。
このブログを読んだ方から言われたことがある。

正確ではないけれど、覚えている限りで書くと「このブログに書いてあるような生き方をしたいけれど、たぶんそうしたら自分は無理をする。大谷やパートナーの澪は無理ではなくそれを楽しんでいるように見える。」

それを聞いて僕は、とにかくもそういうことを聞けてよかったと思って、ただ「聞けてよかった」と返したと思う。その時はそうとしか言いようがなかった。

僕のブログに書いてあることや僕達の暮らしというものが果たしてそれに値するか、ということは一先ず脇においておくとして、この人にはとにかく一つの絶望がくっきりとある。

憧れというものは他者である。その他者という異物をそのままの形で自分というものの中にぎりぎりまで入れてから拒絶し、もう一度吐き戻すような行為は、絶望である。一方、絶望できない人は、どこまでも他者をすりつぶして消化吸収し自己の一部にしようとする。

他者と居るためには、他者を何とかそのまま飲み込もうとして、それでも嘔吐するということを続けていくことしかない。体を折り曲げて吐き戻し続けるしかない。飲み込む時にも吐き出す時にも全身で拒絶し泣くしかない。

生命のスープのようにあらゆる他者が溶け込んだ媒質を想定して、そのなかで心地よく互いに分かり合え、分かち合えることを続けている限りは他者というものは出現しない。そういう何かを探し続けても他者とすれ違うことしかできない。

絶望できる人だけが他者と出会えるのではなくて、他者と出会うことが絶望なのだと思う。

April 23, 2015

【132】「万能」神話との戦い。

美しい夕焼けは自分とは無関係にあるけれど、
それを美しいと認識する自分がいる。
気がついた時にはすでに囚われているのが「万能」という神話。それさえあれば大丈夫という極めて大きなストーリー。物理的な物に対しても語られるし、考えに対しても語られる。でも実際には何にでも使えるわけではなく、使う側が不適切な使い方をすることで、無理やり対応させているにすぎない。

もうこれ以上この事について考える必要がないという解答が欲しくて欲しくてたまらない。ある単一の何かに自分を依存させていく行為は快楽である。絶対性への希求。

一神教とそれ以外の宗教はそんなに簡単に分けきれなくて、たとえば日本の多神教的状況も神と名付けられたものが多数あるだけで、それらの神々が発生するメカニズムへの信奉という意味では一神教的絶対性がある。

この「万能」神話は、自分という自分にとって唯一の観測装置によって強制的にもたらされるのであって、その唯一の観測装置をどうにかして自分からほんの少しでも引き剥がすようなこととして、読むことがある。読まれたものは自分とは無関係に存在するから。もちろんそれすら言葉という自分と未分化なインターフェイスに依存するのだから、やっぱり不完全なのだけど。

現代は何もかもが相対化されたとはいうものの自分というものが自分にとって絶対的である以上、自分を通した途端に絶対化への望みが始まる。その絶対化プロセスを中断し、再相対化することとして、書くことがある。書かれたものは自分ではなくなるから。もちろんそれすら言葉という自分と未分化なインターフェイスに依存するのだから、やっぱり不完全なのだけど。

そこまでして何がしたいのか、という気もするけれど、そこまでして何かがしたいのだと思う。

April 22, 2015

【131】バブアーのコートにオイルを入れる。いつまでも着れるコート。

オイルの缶とコート。
以前「【067】コートは解決した。」と書いたバブアーのコート。

そのコートにオイルを入れなおすリプルーフという作業をする。2年前に古着屋で買って、買った直後に1回やったのだけど、だいたい2シーズンごとにやるといいらしい。2シーズン経ったので2回目のリプルーフ。

オイルは缶に入っている。オイルといっても常温だと固まっていてそのままでは塗れない。湯煎して溶かしてから塗りこむのだけど、気温が低いとすぐに固まってしまって作業しにくい。だから、この作業は夏にやると良いのだけど、それなりに体を使うので、真夏の蒸し暑い時にはやる気にならないかもしれない。今日は天気も良くて温かいので、これぐらいなら作業するにはちょうどよさそう。
左が塗り終わったところ。
真ん中辺りのウエスで塗りこむ。
庭のほうが陽があたって温かいので、テーブルを準備してお湯をわかす。沸かしたお湯をバケツに入れて、オイルの缶を湯煎する。コートも陽があたって温まっている。溶けたオイルをウエスでコートに塗っていく。

リプルーフのやり方自体は、この動画の真似をしてやっている。

もともと着るときも雑に扱っているコートだし、塗り方一つで失敗するようなたぐいのものではないと思うので、わりと大雑把に塗る、というかなすりつける。動画ではドライヤーを使ったりしてるけれど、うちにはドライヤーはないのでただ塗りこむだけ。全体を塗り終わったらハンガーにかけておく。しばらくテラテラして油が浮いている感じだけれど、そのうちコットンに染みこんでいくはず。
塗った直後。ドライヤーで
なじませるのかもしれないけどドライヤーがない。
1缶で2回分のはずで、2年前と今回で2回やったのになぜかまだ3分の1ぐらい残ってしまっている。塗り足りないのかもしれないけれど、別に気にしないでおく。2年後に残りを使おう。

オイルを入れる前にパートナーの澪にポケットと裏地の破れを直してもらった。うれしい。
バブアーの薄くなった裏地を手縫いで修理した。

丈夫で、使い勝手が良くて、その上手入れすることもできる。こういうものをいつまでも使っていたい。

【130】3匹の猫と居ること。

手前左のしろっぽいのがしろ、奥がちび、
手前右の茶色っぽいのがしっぽ。
この図はしっぽとしろが仲良くしているところに
ちびが無理やり上から乗ってる、ように見える。
うちには猫が3匹いる。

8歳のオスの「しっぽ」、1歳のメスの「しろ」、同じく1歳のメスの「ちび」。しっぽは去勢している。しろとちびは避妊していない。しろとちびはちょうど去年の今頃、近くのお墓のそばに捨てられていたのを見つけて、拾ってきた。手のひらに乗るサイズ、目も開かないへその緒もついたままで、拾った瞬間から家が野戦病院みたいになって、一日二回も獣医へ通ったりしていた。それがもう1歳で発情期を迎えている。

オスのしっぽは去勢しているから、メスの二匹が発情してどんなに擦り寄ってきても、まったく興味を示さない。3匹とも家からは出さないようにしているので、しろとちびは必死になってオスを呼んでいるが、相手をしてくれるオスはいない。

しろとちびは発情期になってトイレ以外の場所でおしっこをするようになった。スプレーという行為で、オスに自分の存在を示すための行動らしい。避妊手術をするとしなくなるらしいのだけど、個体差があるというので、どんなものか様子を見ることにしたのだけど、うちの2匹はかなりする。

ということで、2匹がいる場所にはものが置けなくなった。うちは2階の4畳半の二部屋と廊下、階段、1階の三畳のスペースを猫のゾーンにしているのだけど、ここから人間用のすべての物を撤去した。その結果、僕とパートナーの澪の「私物」は2階の一部屋に全部押し込められることになり、まるでワンルームのような空間になっている。こういうことがあると僕は楽しくて、この窮屈さから物を減らす意欲が湧いたりする。

猫のほうはというと、部屋からものがなくなって若干つまらなそうに見える。たまに段ボール箱などをおいてやると3匹が一斉に寄ってきて匂いを嗅いだり中に入ったりしてひとしきり遊ぶ。

猫は神経質だから、あまり部屋の物を移動させたりしないほうがいい、というようなことを聞いたこともあるけれど、僕から見るとむしろ猫は新しもの好き、変化好きで、変化が起こるとそれを確かめたくてしかたがなくて、そういう行為を人間が勝手に「神経質」と見ているんじゃないかと思う。

3匹の猫がいると、3匹ともがくっついていることもあるし、2匹だけがくっついていて1匹が離れていることもある。3匹ともバラバラのこともある。そういう状態から僕は勝手に、だれとだれが今日は仲良くしていて、もう1匹が拗ねているとか、拗ねている1匹が無理やり間に割ってはいろうとしているとか、そんなことを考えてしまう。

猫にしたらそういうことではなくて、単に温度によってくっついたり離れたりしているだけなのかもしれないけれど、人間の目は人間と同じ関係性を見ようとしてしまう。

でも本当は人間ですら、単に温度によってくっついたり離れたりしているだけかもしれなくて、それを感情というものが自分の体の動きを説明するために、好きだったり嫌いだったりというものを発生させているのかもしれない。

April 21, 2015

【129】トイレの水は雨でまかなう。雨水タンクの楽しさ。

庭の水まき用の桶。
雨が降ると水が溜まる。当たり前のことが楽しい。
雨はずっと好きではなかったけれど、それでも一つだけ楽しいことがあって、雨水タンクに水が溜まるのが楽しい。

4年ほど前に中古のドラム缶を購入。雨水タンクとしてトイレのすぐ外に設置した。雨樋を途中でカットしてホースをつないでタンクに流れこむようにしている。タンクには風呂水ポンプが入れてあり、トイレの窓からトイレのタンクに汲み上げて使う。容量220リットルの缶2つで二人分がほぼまかなえる。写真では見えないけれど、ポンプには空のペットボトルを結びつけてフロートにしてある。ポンプが浮いていると上澄みのきれいな水を吸い上げるし、動作音も響かない。
トイレの水用のプラ製のドラム缶タンク。
もともとは食品用に使われていたらしい。
庭の水撒きに使えるように別の樋から桶にも溜めている。段差をつけて桶を2つ置いて、上の桶が溢れたら下の桶に溜まって、さらに溢れたらバケツに貯まる。
高いところから低いところへ。
雨水タンクを設置する理由として、水道代が安くなるとか、環境にやさしいとか、下流の水害対策になるとか、そういうことは言いやすいし、事実そんな説明をしてきたけれど、僕が雨水タンクを作ってよかったと思う理由は、そういうこととは違っている。
樋のパイプを途中でカットして(右が切られたパイプ)、
ロート代わりにペットボトルを切ってホースをつないでいる。
空から降ってきた水が屋根に落ちてそれが流れていって雨樋に集まっていく。屋根の上を流れるときは薄く波打つぐらいだけど、雨樋を流れる頃にはタップリとした水量を感じるぐらいになっていて、それがホースを伝って、タンクにどんどん流れ込んでいく。そういう様子を見るだけで楽しいし、タンクに入りきらずに溢れていく様子を見ているのも楽しい。トイレを使うと、タンクの水量が数センチ下がって、その分また水が溜まっていく。

タンクを設置してすぐの頃は、タンクに溜まっていく様子をずっと眺めていた。今では雨が降っているというだけで、そういう水の旅を想像することができるから、見なくても楽しいし、見ていても楽しい。

流れていくものを眺めている楽しさ。その流れを少しだけ手元にとどまらせておく楽しさ。雨水タンクは楽しい。

April 20, 2015

【128】精米機は要らない、のか。発芽玄米を作る。

水につけて24から48時間。
黒米があったので混ぜてみた。
前回、結構うまくできたのでまた玄米を発芽させている。

玄米は元々はあまり好きではなかったけれど、分搗き米を食べているうちにだんだん慣れてきた。今では、好んで玄米というわけではないけれど、白米である必要も感じないぐらいになった。

発芽させるとかなり柔らかくなるのか、精米したお米を炊くのと同じように炊ける。味も良くなるらしいけれど、僕にとっては玄米にしては食べやすい印象といった程度。こうやって玄米をいつも食べるようになれば、精米機は要らなくなる、かもしれない。でも、完全に精米した白米の単純明快な旨さも時々味わいたくなるけれど。

そういえば一升瓶に米を入れて棒でつついて精米するのを映画なんかで見かけたけれど、あれはたぶん一時的に「流行した」食べ方なんじゃないかと思う。あんな感じで毎日精米し続けるのは大変だろう。きっと村で共同の水車を持っていてそこで各自精米していたんだろうけれど、都市化が始まってそういう施設が間に合わなくて、仕方なく家にあるもので何とかしようとしたら一升瓶でつつくというところに行き着いたんじゃないだろうか。

と、ここまで書いて、グーグルで調べてみたら、一升瓶精米は戦時中(1939年)の「米穀搗精等制限令」によるものとわかった。一升瓶に入れているのは玄米ではなくて七分搗米。やはり一時的な状況。

『昭和の家事』DVDによると、洗濯板での洗濯も洋装(ワイシャツなど)が入ってきてからの比較的最近の洗濯風景で、それ以前は和装で、たらいに水といっしょに入れて足で適当に踏んづけて物干し竿に通せば乾きも良いから、洗濯の負担は少なかったらしい。物干し竿というものも和装に特化された道具で、洋装ならロープが良いと思う。

「昔は大変だった」というときの「昔」は、「太古の昔から延々と受け継がれる」ような昔ではなくて、単に一世代か二世代ぐらい前の歴史的に見ると瞬間的に生じたにすぎない状況だったりする。

April 19, 2015

【127】付箋は要らない。一時的な「便利」からの脱却。

剥がされた付箋をなるべく美しく撮ってみた。
以前働いていた会社の新人がとても美しい付箋の使い方をしていて、それがとても印象に残っている。

オーストラリアに留学して修士をとったという彼女は、A4のレポートの読むべきページの右肩に小さめの付箋をじゃまにならないようにほんの少しだけ先が出るようにして、きっちりと並べて貼っていて、そこのページを開くと大きめの付箋に彼女によってコメントが書き込まれて該当箇所のすぐ下か横に貼られている。

コメントに書かれた指摘の適切さや着眼点の鋭さもあいまって、その印象がとても強くて、僕はそれ以来その付箋の貼り方、といっても右肩に小さな付箋を綺麗に並べて貼るというところだけを真似するようになった。

全然畑違いの分野から流れてきて「環境報告書」の仕事をするようになった僕とは違い、彼女は生粋の「環境畑」であぁこれが本当の専門家かと思わされた。オーストラリアの人々が日本人をどう見ているのか。オーストラリアの政治家が日本というものをどう利用しているのか。捕鯨、植林、そういった言葉にまつわる現実を教えてくれた。ソローの『森の生活』を教えてくれたのも彼女だ。

付箋は、そういうことを思い出す。そんな付箋をもう使わないでおこうと思う。美しく使えない、僕には。いまさらだけど。

本を読む時になんとなく貼っていたのだけれど、貼りだすとどんどん貼ってしまって、結局あとからそのページを探すのになんの役にも立たない。後から読んだ時に、以前はここに付箋を貼った、つまり何かしらひっかかる部分であった、ということがわかるぐらいのものでしかなく、そういう意味では線が引いてあるから付箋は要らない。

付箋はあくまでも一時的に「指し示す」ものでしかない、メタ的な存在であって、恒常的に指し示される側に存在するものではない。僕は総じて一時的な役割のものをうまく使えない。近い将来において役に立つかもしれないけれど今ではない、という事象を自分の中にカテゴライズできない。そういうことをすると、ちょっと気になった何もかもがそこに投げ込まれて乱雑に放置され、二度と取り出されることはない。

僕には付箋を使うための能力が足りなかった。

April 18, 2015

【126】春の日中は庭で暮らせる。庭ぐらしのすすめ。

いつも同じものを食べている。
今日のカルボナーラはかなり上手くできた。
部屋の中より庭のほうが断然快適なので、庭で暮らせる。温度、湿度、風速が整っている。

ぶどうの苗木は順調に葉が出てきているし、勝手に生えてきているふきやルッコラを収穫したり、一応植えているえんどう豆やニラの生育具合を見たりする。ハチが飛ぶ音が聞こえたりもする。

体を動かしたくなったら薪にするためにおいてある木や竹を切ったり割ったりすればいいし、気が向いたら雨水をためているタンクから水をまいてもいい。

ここでは、どうせ僕が何かをしてもそれほど大きなことは起こらないし、何もしなくてもたいがいのことはうまくいく。自分では何もできないに等しい「自然」というものに対して、ちょっとだけ関わることができる、そういう実感を持てるところ。

おいしい食事とコーヒーもついてくる。

April 17, 2015

【125】持ち歩くものを全部リュックに入れた。

こういう感じの写真はつい見てしまう。
画面全体に視線を注ぐ感じ。
家の中でも時間帯によって快適な部屋が違うので、昼間、夕方、夜と移動する。そういう時に、その時に一時的に読んでいる本、使っているパソコンなどだけを持ち運ぶと結局他のものも必要になって何度もそれを取りに家の中を歩きまわることになる。

歩きまわることが嫌いなわけではなくて、しょっちゅうあてもなく歩きまわっているけれど、それが何かを取りに行かなければならないとなるととたんに嫌になる。

そういうわけで、家の中でも外出しているかのようにリュックに手持ちの物を全部入れて、それごと移動するようにした。

最近は講読ゼミの本が多くて、今は3冊の本を読んでいる。『贈与論』『増補 無縁・公界・楽』は今まさにゼミで読んでいる本で、『日本・現代・美術』は読み終わってレポートを書くためにもう一度読み返している。

ゼミ関連だと、これまでのゼミのレジュメ資料も持ち歩く。こういうのをデジタル化してしまえばいいと思うのだけど、こういう紙ものの資料でデジタル化しておけばいいやと思ったものをこれまで見返した記憶が殆ど無いので、スキャンするぐらいなら捨ててしまったほうがいい。

リュック屋なので、帆布のカラーサンプルの束と注文ガイド・注文書はいつも持ち歩いている。写っているリュック自体が愛用品であり、商品サンプルでもある。

財布は、カード類とお札をクリップで挟んでいて、レジで払うときにクリップを外したりして多少もたつくけど、お金を払う機会そのものがとても少ないので、もうこれでいい。

デニムの四角のものはノートカバーで、中身はMDノート。時々、文章を書いておきたくなることがあるので、持ち歩いている。

携帯電話は洗濯したやつの2台目。一週間ぐらい放っておいても電池がなくならない。

MacBookAirは小さい方の11インチ。使わない日はない。

左上の茶色いのはトラベラーズノートのカバーでもともとはもっと縦長だったけれど、A6のサイズに自分で切った。切り口がザラザラなのは切る道具がなくて、鉄板を切るようなはさみで無理やり切ったから。中にはコクヨのスケジュール帳が入っている。

ペンは2本。赤とブルーブラックのインクを入れている。

モカベージュのリュックは外ポケット無し。

こんな感じで家の中をうろついている。

【124】庭のふきを収穫して佃煮。一年に一皿分がちょうどいい。

これぐらいのちょうどいい量。
収穫もあっという間。
庭のふきを収穫した。少し前にふきのとうが出ていた、あのふき。

早速、板ずりをし、ゆでて皮を向いて、同量の醤油と味醂で炊く。収穫から一時間もしないうちに一皿分の幸福なおかずができあがる。
銅のミルクパンが佃煮にちょうどいい。
この手の料理はめんどくさいという理由で敬遠されるけれど、これぐらいの量ならめんどくさくもないし、飽きることもない。
醤油と味醂を入れすぎたので、
佃煮っぽくない代物になった。
からあげ隊長のブログで知った発芽玄米をやってみようと、一昨日の夜から水につけていた玄米から確かに芽が出てきたので、それを炊いて晩御飯にしよう。

April 16, 2015

【123】父の遺品の本を処分する。僕が死んでいられる時間。

本がインデックスとなり、それにまつわる何もかもが
蓄積されていくアナログのデータベース。
しばらく手を付けられなかった父の遺した本を今日少し整理した。どの本もたいてい線が引いてあり、書き込みがあり、付箋が貼ってあり、新聞などの切り抜きが挟んである。古本屋に売るには不都合で、そのことでイライラする。こういった本になされた行為の数々から、彼が永遠に生きるつもりでいたのだとわかる。事実、死ぬ直前まで彼は本を読み、文章を書こうとしていた。彼にとっての死と僕にとっての死とは同じではないのかもしれない。死は誰にでも平等に訪れるけれど、その死が同一のものであるとは誰も確認していない。

生きているということが、ある一定期間何かをすることができる遊園地のパスポートのようなものだとしたら、楽しいことをやって、美味しいものを食べて、ヘトヘトに疲れたら休んで、たっぷりと幸せな時間を過ごして、後はのんびりと閉園時間を待つだけだ。幸せな時間を過ごしたいのであれば、誰もがそのパスポートを手に入れて、有効期限を有効に活用すればいい。それがどんなに充実し、楽しく、幸せであろうと、結局のところそれは、充実し、楽しく、幸せであるに過ぎない。生きていることに価値があるのは、ただ幸せであるからに過ぎないというのは、とてもつまらない。

死はもっと違う。

サスペンスドラマなんかで「自殺しようとしている人がスーパーで玉子と牛乳なんて買うでしょうか」といったところから捜査が始まったりするけれど、僕はそれを聞いてその通りだと思うと同時に自殺しようとする人がいつもしていることと違うことをするはずだというのは永遠に生きていこうとする人の側の勝手な幻想ではないかと思ったりもする。二度と生き返ることがないから死は取り扱いにくいのだけど、何度か生き返れるのだとしたら、僕はかなりの時間を死んでいることにするだろう。スーパーで玉子と牛乳を買って時々死ぬだろう。

永遠に生き続けようとしていた人が死んで遺したものに、こうして囚われ続けるのは、その人がまだ生き続けていることになる。ホコリまみれの本を拭いたり、付箋を剥がしたりしている間、僕は代わりに死んでいる。そう思うと、買取価格を意識するイライラから開放される。そんなことは生きている人の戯れ言にすぎない。僕は死んでいられる。

April 14, 2015

【122】ゲルハルト・リヒターの流儀。

振り返るブレた猫とリヒター本
画家ゲルハルト・リヒターは1961年、旧東ドイツから壁が崩壊する直前に西側へ移ってきた。彼の特徴は、彼自身が書き留めたノートからはっきりとわかる。
84年4月23日 私はイデオロギーの助けなしに考え行動し続けてきた。私には助けとなるものはなにもないし、信奉しなにをすべきかを教えてくれるような理想もないし、行動の規範もないし、進む道を示してくれる信仰もないし、未来像も、したがうべき意味をあたえてくれる構想もない。
そこにあるものを認識するだけである。だから知らないものを描写したり、イメージしたりするのは無意味だと思っている。[ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論、250p]

リヒターはイデオロギーを否定し続けてきた。

イデオロギーは現在では政治的な意味合いを強くもっている言葉だけど、もともとは「観念の体系」「世界観」といった広く(そしてあいまいな)概念で、引用した文章を読むとリヒターも広い意味で使っていることがわかる。

「何をすべきか教えてくれ」「進む道を示してくれ」「従うべき意味を与えてくれ」るものとして。

僕達の生きる現代においては、イデオロギーという言葉は「濃すぎて古臭い」感じがする。今は、もっと曖昧で、やわらかく、肌触りの良い「ストーリー」とか「物語」という方がしっくりくる。ただし、その現象するところは「イデオロギー」と同じ。

そういうものは誰もが望んでいる、そういうものがあれば「希望」に満ちた「未来」を生きることができる、そういうものを誰もが手に入れた時、世界は「平和」になる、という幻想を伴う言葉。

リヒターの前述の文章は、こう続く。
イデオロギーはつねに人を扇動して無知を利用し、戦争を正当化する。[同]
ストーリーが戦争を正当化するかどうかはともかく、人を扇動して無知を利用するのは確かだと思う。

それに対して「そこにあるものを認識するだけ」というリヒターの流儀は、どうしようもなく存在してしまう自分自身を認識することから始まる。何も描くことが無いことを知っていた画家の流儀。何もかもを、もう一度「認識」することから始めるやり方。

April 13, 2015

【121】飛び去る車窓を懸命に描き留めるように。

何もしていなくても車窓は流れていく。
そして写真はそれを捉えられるというのに。
「日本海」という名前の夜行列車があった。今はもうない。小学生の夏休み、秋田の祖母のところへ行くのによく乗った。21時ごろに京都駅で乗り込んで翌朝9時頃に東能代駅で降りる。

乗り込んでからの夜の雰囲気は他では味わえないぐらい独特だった。自分の寝台のところから狭い廊下を歩いていって、列車の前か後ろかについていた洗面台の冷水機から備え付けの小さな紙袋のコップで水を飲むのが好きだった。飲んでいる途中も揺れるからよくこぼした。

隣の車両まで足を伸ばすと青いカーテンが垂れ下がった同じ寝台が並ぶ。その光景は、強烈に「よその団地に来た」ような気がして心細くなった。僕は団地に住んだことはないけれど、何度か団地に住む友達を尋ねたことがあって、団地のように同じ構造が繰り返し続くととたんに僕は自分のいるところがどこかわからなくなる。今でも新幹線の指定席に座るときには、切符の座席番号をしつこいほどに確認するのだけど、それでもここがそうだという確信は検札まで持てずにいる。

「日本海」に乗る前は、旅行の楽しさしか思い浮かばないのに、乗った途端に心細さがやってきてせめぎ合う。この夜行列車の経験が、僕の旅というものに対する二律背反的な気分を形成したと思う。

それでも翌朝、目が覚めるころにはいろいろなものに慣れてきていて、不安や寂しさが遠のき、安心と希望が支配するようになる。そういった時間帯にやっていた遊びを時々思い出す。父と僕と弟と母が寝台をたたんだ座席に座っている。

「踏切!」
車窓から見えたものを僕が叫ぶ。それを父が手帳に描く。描き終わるのを待たずに、今度は弟が叫ぶ。

「田んぼ!」

それをまた父が描く。

「自動車」「道」「木」「電線」「海」・・・

僕たちは次々と叫び、父はものすごいスピードでそれを描いていく。やがてメモ帳のページが埋まったら終わり。いつもは厳しさが優って怖い印象だった父が、描くのが追いつかずにあわてている様が楽しくて、僕たちは何度もやってやってとせがんでいた。

僕は楽しいと同時に、この時とても不思議な気分になっていた。それは、

窓の外に見えた踏切を父は見ていないから、僕が見た踏切と父が描いた踏切は同じではない。踏切の次に弟が見て叫んだ田んぼも父が描いた田んぼと同じではない。踏切と田んぼはメモ帳のページの上では隣に描かれているけれど、実際には列車が走っている分、ずっと離れたところにあった。自動車も道も木も電線も海も全然違う場所にあったものが、メモ帳の上では同じページに配置されてしまっていて、にも関わらず、そのページはひとつの景色を、あたかもある一瞬の車窓の景色のように構成されている。

だから嫌だとか偽物だとかそういうことではなく、でもなぜかその時の記憶に強くこびりついている。

生きているということは、列車の車窓のように一瞬ごとに何もかもが後ろへ飛び去っていく。人は、その一瞬の視界から何かを認識し、さらに次の瞬間現れた何かを記憶の中に恣意的に隣に配置する。「日本海」で感じたあの時の気分は、今でも僕にあって、文章を書くときにそれを強く意識する。

文章を書くときに僕は、心象的な景色を見えたとおりになるべく忠実に書こうとしているけれど、それでも、写真のように一瞬のうちにシャッターが下りてフィルムに焼き付けるようには書くことはできなくて、その景色は刻一刻と変化していく。その結果、書くことの不自由さによって、書かれた物事は、時間と空間を超えてしまう。

こうではないということを知りながら書くしかないのだけど、限りなくそうだったと言えるような文章を書きたい。

April 11, 2015

【120】散歩は最高の娯楽。目的も成果も無い。

夕方のアスファルト。
美しい。
ここ数日雨が降ったりして、寒い日が続いていたけれど、今日はカラッと晴れて春の最高の日。

こういう日は年に何日も無くて、たぶん今年の春もあと数回か十数回で温度と湿度がゾーンを超える。

秋にも最高の日があって、春の最高の日と似た温度、湿度、風速なんだけど、秋は秋で全体を流れる雰囲気が死へ向かう感じがあって、それはそれでいい。

こんな時にすべきことは散歩である。

最高の日の散歩以上の娯楽はなくて、娯楽というのはつまり生存的な「生きていくこと」に関して最も遠い行為という意味で。

生きていくことから遠いということは死に近く、
事実、夕日を見ながら散歩するとなんだか死んでしまいそうな気分になる。

【119】丈夫なフライパンがあればたいていの料理ができる。フル回転する調理器具。

黒光りする鉄。
コーヒー豆の焙煎直後でこの時が一番状態が良い。
2年ほどかけて色んな物を処分してきたけれど、調理器具もかなり減らした。その結果、少ない道具をフル稼働させることになって、それがとても心地よい。

なかでも、この貰い物の鉄のフライパンは優秀。炒めるのはもちろん、揚げる、茹でる、煎ると大活躍している。パスタ、てんぷら、インスタントラーメン、コーヒー焙煎などの頻度が高い。重たくて最初は使いにくいかと思ったけれど、今ではその重さも頼もしい。柄のところに「堺刀司」と入っている。

テフロン加工などの表面加工は一切ないけれど、すでにしっかりと酸化皮膜ができていてほとんど焦げ付かない。使い終わったあとは水とたわしでこすって汚れを落として、水分を空焼きしておくだけでいい。

それでもさすがに、インスタントラーメンを作ったり、冷凍うどんをゆでたりするときなどに水を沸かすのに使うと皮膜が落ちるのか、ちょっと表面が怪しくなるので、そういう時はコーヒー豆を焙煎する。そうするとまたしっかり皮膜ができて、サラサラと滑りの良いフライパンに戻る。

使う前に熱してから油を回してその油をポットに戻す油返しをするとなお良いのだけど、面倒でほとんどしていない。それでも、特に問題なし。

1日に3回以上確実に使うフル回転の調理器具。
穴が空くまで使い続けるつもり。

April 10, 2015

【118】ファシリテーターでない者の責任は、場が壊れることをも厭わない言動。

「自然」というのは誰も「守っていない」からこそ、
自然なんだろう。自分勝手な場。
以前書いた
の続きといえば続き。

ファシリテーターは何をしているのか。
という問いへの答えは「場を守る」だと思う。

守るべき場の種類や性質によって守り方も異なるけれど、
一言で言えば「命がけで場を守っている人」。

一方、それに対して、ファシリテーター「ではない」人は一体どうあるべきか。

ここの部分が最近見えてきて、
ファシリテーターでない者の「責任」は、
「自分の言動によって場が壊れることをも厭わない」だと
思うとしっくりくるようになってきた。

我ながら乱暴者だなと思う。

乱暴者だけど、
でもやっぱり「命がけで場を守っている人」が居るにもかかわらず、
その人の仕事を勝手に肩代わりしようとしたり、
場が壊れないように手加減して振る舞うというのは、
命をかけて守る人に対して失礼だと思う。

そういうところから見て、僕はファシリテーターに敬意を払える。

命がけで守ろうとする人と壊れてもいいから全力で振る舞う人が
同時に同じ場に存在するというのは、
矛盾するような気もするけれど、
いや、文字通り、完全なる矛と完全なる盾の勝負なのであって、
だからこそ誰も想定できない状況が出現しうるのだろう。

April 9, 2015

【117】自分の場所だからこそ開くのが怖い。

コーヒーのネルを固定する器具。
これも澪に作ってもらった。
大学生の頃からだから、コーヒーを自分で焙煎するようになって、もう20年以上になる。

最初は焙烙を使っていた。焙烙というのは急須に似ていて、持ち手のところが筒状に穴が開いていて、煎り終わった豆をその穴からザラッと出す。でも、一回にできる量が50グラムしかなくて、すぐに無くなってしまうので、しばらくして150グラムできるアウベルクラフトのくるくる手で回す焙煎機に変えた。

それをかなり長い間、使っていたのだけれど、それでも頻繁にコーヒー豆切れになる。だから澪に出会って大きい手回し焙煎機を作ってもらった。大学で溶接ができるというからだ。

覚えているのは澪と岡崎の近代美術館に行った時に、雨水や川の水を浄化する機械が展示されていて、自転車に搭載されたそれは、だから自分で漕いでいって、水があるところでさらに自分で漕いで浄水する。その機械というか作品の水を吸い上げる部分の筒状のパーツが焙煎機の筒状のものとそっくりで、これから焙煎機を作らなければならない澪が大喜びして観察していた。

初めて作ったにしてはよく出来ていて、ちゃんと焙煎できた。軸受けのところに油を塗るとキイキイなる音もほとんどなくなるとわかって、そういう機械的なことがわかってくるのも楽しかった。僕もうれしくてお礼に一生分のコーヒー豆をプレゼントすると約束した。

それでも、もっと一度に大量に焙煎できないものか、いっそこれでできたらこの手の道具はみんな手放せるんじゃないかと思って中華鍋でやってみたら、あっさりできた。中華鍋を手放した今はフライパンで焙煎している。400グラムぐらい一度にできるし、専用の道具も必要ない。これ以上を追求する必要はなくなった。

コーヒーが好きな人はとても多いし、コーヒーの味を決める大きな要素は豆の銘柄や値段ではなくて焙煎してからの時間で、つまり鮮度だから、新鮮な我が家のコーヒーを飲んだ人はだいたい美味しいと言ってくれるし、その美味しいやつを自分で焙煎しているというと驚く。

焙煎の仕方を教えて欲しいとか、生豆はどこで手に入れているのか、と言われて、実際に焙煎を教えたり、ネットショップのURLをメールしたりする。

一時期、自宅でイベントをやるのが好きだった頃、コーヒー講座と称して、コロンビアの浅煎りと深煎りとそのブレンドを飲み比べてみて、味がどう変わるかなんてことをやってみたりもした。コーヒーについてなにかやる以上はと、フェアトレードの話も読んだ本の知識を披露してみたりもした。世界のコーヒー豆の流通はたった4つの巨大焙煎会社でその殆どを扱っていて、その4つの会社によって相場が決定されてしまっているのです。

でも続かなかった。そういうことがやりたいわけではなかった。

同じようなことは、ベーコンも自宅で作っていて、ベーコンの作り方を聞かれたり、やりたいと言われる。そういうときはベーコンの日を決めて一緒に作る。それはとても楽しい。でも、それをベーコン講座としてやる気にはなれない。

やる気になれないだけで、やろうと思えばできるし、きっとそれなりに楽しく、それなりに満足感を得てもらえる。僕には、こういうことは他にもあって、そこそこうまくできることで多くの人はやっていないことをやってみせるというのは簡単で、飽きやすい。

そういう意味で書くことの講座をやることになった時、僕にとって書くことは特別なのだとわかった。

編集の仕事をしてきたので、文章を扱うことへの自信という意味ではコーヒー焙煎なんかよりもずっとある。でも、それが本当に講座として求められているのかについては全く自信がない。いや、求められているとしても、それを満足行くようにやることに自信が持てない。

コーヒー焙煎のほうがずっとずっとやりやすい。

知らないことが多いということがそれを可能にしている、といえばそうなんだけど、それ以上に実感としてあるのは、いくらコーヒーが好きだからといって、僕は、それが僕自身の一番大事なこととして位置づけてはいない。

編集は、文章は、書くことは、読むことは、それに比べて圧倒的に中心だ。僕の最後の場所であり、最初から居た場所。

そういう場所を他人に開いて見せるのはとても怖い。でも僕が居るのはそこなのだから、そこでやること以外に僕ができることなんてない。

でもほんと、怖くて仕方がない。

言葉の場所というところは、僕にとっては一番好きで、そこにこそ居続けたいと思っているから。

April 8, 2015

【116】植えたぶどうの苗木が死んでいなかった。

出てきた出てきた。
植えてから長い間、なんの変化もなかったぶどうの苗木。

コンポスト(堆肥)にしていた穴にそのままで植えたから、堆肥として十分に発酵していなかったかもしれない。発酵していない堆肥はむしろ有害かもしれない。

そもそも堆肥にするには適していないものを容赦なく放り込んでいた。猫のおしっこを固めたおから猫砂を入れていた。アンモニアは良くないのではないか。それも3匹の猫の排泄物はバランスを崩すぐらいの量で堆肥としては良くないのかもしれない。

植えるときの植え方もいまいちだったかもしれない。根っこの扱いを慎重にしろと一緒に届いた紙に書いてあったのに雑だったかもしれない。根っこがしっかり土につくまでは風で幹がゆらされないように支柱に固定しなければならなかったのに、支柱は一応建てたけれど、支柱への固定が十分ではなかったかもしれない。

天候は良かったのだろうか。水をあげたことはほとんどなかったけれど、水は十分だったろうか。あるいは雨が多すぎてはいなかっただろうか。

視界に入るたびに意識をさせられ続けた。

でもよかった。本当に良かった。

April 7, 2015

【115】「ただ読む」ことだけが書く人の視界に迫る。

だんだん本が増えていく。
旅行記のように積み重なる。
知識のため、感情のため、生きていくためにではなく、「ただ読む」ことだけが書く人の視界に迫る。ただ読むことができれば、どんなに難解な本も読める。

まるネコ堂ゼミのサイトをリニューアルした。

書くことが孤独であるように読むことも本当は孤独なことで、だからこそ書く人に迫るには純粋にただ読むこと、読む人に引きつけずに読むこと。それでも、言葉はその人の経験とのネットワークなしに存在できない。だから本を読むのは慣れ親しんだ自分の港から出て未知の海原への旅になる。

ゼミについて書いた文章を転載します。

===
旅するように本を読む。

仲間と一緒に本を読む。
ただそれだけなのに終わると旅から戻った気分になります。

目的地もわからない、霧や嵐に遭い、
時には現在地すら危うくなる旅です。
この旅は、集団で一緒にする旅ではなく、
一人ひとりが自分の場所から出発します。

そして赴いた遠くの地から互いに便りを出しあい、
見ている視界を伝え合う。

時には一堂に会する瞬間もあり、
そしてまたそれぞれの旅に戻っていく。
そんな旅です。

生きている間ずっと、
仲間と語り合える旅なのです。

April 5, 2015

【114】ダッチオーブンで燻製。

鶏のもも肉の燻製。
スーパーで買ってきた肉とは思えない艶。
いつもベーコンは家で作っている。そのベーコン用にスモークウッドを買った時に間違えてスモークチップも買ってしまっていて、そろそろスモークウッドがなくなってきたからチップを使わざるを得なくなってきた。

スモークウッドとスモークチップの違いは、チップはそのまんま木を粉々にしてあるだけで、ウッドはもっと細かくしてそれを棒状に固めてある。

ウッドはお線香のようにゆっくりと燃えるので、長時間の燻製に向いていて、そしておそらくコストが高い。チップは、長時間の燻製だと途中で何度も継ぎ足す必要があって、さらにチップ単体では火が消えてしまうので、別の熱源がいる。

ということで、チップを使うためにダッチオーブンでやってみることにした。
網の下に石を3つ入れて脚代わりにしている。
ベーコンは温燻の方が良くて、今回のやり方は熱燻だから鶏のもも肉にしてみた。熱燻と温燻は燻製する温度が違う。

前の晩に塩コショウをしてピチットシート・スーパーにくるんで冷蔵庫に入れておく。塩コショウは味付けのためだけなので適当でいい。(冒頭の写真の肉に対して塩は小さじ1程度)

燻製をはじめる1時間ほど前にピチットシートを剥がして、フック(太めの針金をS字に曲げたもの)で引っ掛けて風に当てる。表面を乾かすためで、濡れていると燻製しても煙がつきにくい。

ダッチオーブンにアルミホイルを敷いて、チップを2つかみほど入れる。
手頃な石を3つほどいれてその上に焼き網をのせる。
焼き網の上に肉を置いてダッチオーブンの蓋をして準備完了。

熱源は七輪を使った。七輪は熱効率がいいし、焚き火とくらべて火の扱いがとても楽。

剪定した枝なんかを薪に、七輪で燃やす。ある程度燃えて赤い熾になってきたら熱源も準備完了。

七輪の上にダッチオーブンを乗せる。

途中蓋をあけて様子を見ながら、今回は20分ほど燻製した。

この方法は燻製の中でも熱燻法と呼ばれる方法で、高温での燻製だから、肉にも火が通る。

ゆでたまごを一緒に入れても大丈夫だけど、チーズは溶けて落ちる。チーズをやるなら温度が低い温燻にしないといけない。温燻はアウベルクラフトのダンボールスモークセットでできる。今回は七輪からおろしてからチーズを入れてみたけれど、オーブンの予熱で危うく溶け落ちるところだった。ギリギリセーフ。

ワインも忘れずに。

できあがったら切ってそのまま食べる。美味しかった。酒が進む。

April 2, 2015

【113】死体に触れたいと思うわけ。

そういえば牛革も死体。
そして、触りたくなる。
この間、道を歩いていたら小鳥が息絶えて落ちていたので、その死体を拾ってすぐ横の神社の敷地の土のあるところへ移動させた。それを見ていたぱーちゃんにしばらくしてその時のことを、

「大谷さんが小鳥の死体を素手で拾ったのを見た次の日かに、イタチか何かの死体が道に落ちていて自分もやろうと思ったけどできなかった」

と言われた。

死体を触ることへの躊躇というのは僕にもとても良くわかるし、僕にもある。そしておそらく生物としての合理性もある。死体に近づくこと、触れることはその死体の死因がまだそこにあるかもしれないわけだから、それに近づきたくなくなる心理というのは本能に組み込まれている必然性が高い。

でも、僕はなぜか死体を見ると触りたくなる。そのまま放置しておくことで死体が粗末な扱いを受けるかもしれないということに耐えられない気分になる。小鳥や小動物の場合だとできれば埋葬したいし、それが無理なら、より自然な形で土に還ることができる状況に置きたい。それでも、死体への不気味さがないかといえばそんなことはなくて、やはり死体は不気味だとは思っている。

人間の死体はそれほど多く見たり触れたりする機会はないのだけれど、お葬式やお通夜に行った時に、可能であれば僕は遺体に触れる。去年の父の葬式の時に見るともなく見ていたのだけど、遺体に触れようとする人は極めてまれだった。でも全くいないわけではなくて、そういう人はかなり強い意志を持って、できることなら顔を直接見たいとか、お棺の蓋を開けて欲しいとかそういうことを言う。僕はあぁ同じような人がいるんだなと思ってよろこんでそうしていた。

死体に触れたいというのは、死を悼むというような意味合いではない。死を悼む気持ちがないわけではないけれど、僕のそれが他の人と比べて突出しているという感じはまったくしない。だから、あくまでも死体に対して生じるものなんだけれど、その理由らしきものとしては死んだものとの回路を開くという感覚がある。

死んでしまった存在との意思疎通というか意思というほどまで行かない何かの交通のようなものがもしも可能だとしたら、それは死体に直接触れるということ以上の方法はなくて、たとえばお墓の前で手を合わせるみたいなことでは、僕には回路が開く感じがない。

回路というと安定した何かをイメージするけど、もっとかすかな、ノイズのようなものといったほうが近い。もちろん、死んでしまった存在と何かを通じさせるということは不可能だというのはわかっているから、そういう何かしらの信号のようなものは、すべて僕の中に生じているものに過ぎない。ということもよくよくわかった上で、僕の中だけの現象に過ぎなくても、死体に触れることからしか生じない何かがある気がして、そのために死体に触れたいと思ってしまう。

そういえば、ぱーちゃんはなぜ自分も死体に触れようとしたのだろうか。そういう行為に何か惹きつけられるものがあったということになるし、それは僕のそれと同じ感覚なんだろうか。

【112】「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」に行った。

会期初日の展覧会に行くなんていうのは
初めてかもしれない。
去年東京でやっていた時から楽しみにしていた。
京都国立近代美術館の「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」

ゲルハルト・リヒターが良かった。いや、それまで知っていたとは言えない画家だったので、この展覧会で出会った。キャンバス全体を長い木材でなぞって絵の具を多層に塗りつけていく手法の『抽象絵画』(1990)が衝撃だった。

上層の色とまったく脈絡のない下地の色が表面に引きずり出されている。塗装が剥げて地金が出て錆が無様に露呈している鉄骨のように、今、僕の周りを覆っている現実の向こう側にある、非現実というか現実の地金のようなものが露出してくる。

ここにアンドレアス・グルスキーの写真が加わる。

『メー・デーIV』(2011)は、大画面全体を覆う人々の群れを俯瞰で見下ろしている。だれかが「ウォーリーを探せ」みたいだという。近づいてみるともちろん人は一人ひとり違っていて、向きも動きも服装も多様なんだけれど、少し引いてみるとその違いは消えて平らな画面に押し付けられた「壁紙の柄」のように見えてくる。

美術館を出て、アスファルトの上の横断歩道の白い塗装面の平面性に引きずられて、さっき見たグルスキーの写真の効果を思い出す。道の上を歩いていたり動いていたりする人や車やバスがグルスキーの写真のように平らになっていって、僕の周りに立つ壁の壁紙に見えてくる。その壁紙が次の瞬間、リヒターの絵のようにべろりと剥がれてその向こう側にある地金が見えてしまうのではないかと恐怖する。現実が剥がれてしまったあとにあるのは、形而上学的な世界。

こういうふうに文字で書くと、そういった非現実的なエフェクトがかかった映像(例えば『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の使徒)が頭のなかに容易に再生するけれど、リヒターやグルスキーはそれを写真や絵でやる。一度見てしまった人に対して、その人の「実際の現実」が剥がれ落ちたり、平らに押し付けられたりすることを生じさせる。想像させるのではなく網膜に映写するように。優れた絵や写真にはそういう装置性がある。

帰り際にリヒターの本を買った。