April 19, 2017

【395】低速ライフ満喫中。

3月末に自宅のADSLを解約しました。今はfreetelのSIMです。普段は「節約モード」にしていて(速くて)200kbps。時々、必要なときに節約モードを解除して使ってます。というわけで、とたんにブログ更新もフェイスブックも滞ります。

まぁ、こういうものだと思っていて、これで何か都合が悪いかというと、ほとんどありません。いざというときに高速化できるという選択肢があるのは、僕にはとても使い勝手がいいです。

MacBook Airは、ほぼワープロ専用機状態で、開くことのない日もあります。ネットが高速だったときは、一日中触っていたこともあったのに。そこそこ高速のネットという、なければないでなんとかなるものが、インフラとしてあるということの威力というか影響力を思い知ります。そういえばテレビを見なくなった時期も、こんな感じの気分を味わって楽しんでいた気がします。もう遠い昔のことです。

で、最近はなにをやってるかというと、ずっと書きたかったと思えるようなものを少しずつ書いています。ずっと書きたかったと思うのは書けた部分に関してで、まだ書いていないところについては、それがずっと書きたかったのかはわかりません。幸せです。これ。

職業ライターとして、せっせと作文というか売文というか、そういうことをやっていたときは、書けないことに必死だったというか、書けないことに苦しんでいたというか、書けないことに焦点があっていて、書けないということに頑張っていました。

今は、書くことにやっていて、書くことでの苦しみというか、書くことに必死というか、書くことに頑張っています。

同じじゃないのかと思われるかもしれませんが、少なくとも僕にとっては全然違っていて、やっぱり後者の方が幸せです。

閉まっている扉を叩いたり引っ張ったり、扉が閉まっていることで生じることに力を注いでいたのが、扉が開いているということで生じることに力を注いでいる感じです。

扉が開いていることで生じる困難や危険は、扉が閉まっていることで生じる困難や危険とは全く違っています。

扉が開いていると、例えばひたすら悪夢を見続けるとか、一番悲しいことをしょっちゅう思い出すとか、何をやっていても今この瞬間にどこかで大切なものが自分を通り抜けていってしまっているのではないかとか、そんな不安がつきまといます。そんな状態で、でも何かをやるとなるとどうしても、こんなことが一体何になるのかという危惧が消えなくて、こんなたわいもないことをやっていてどうなるのかと思っています。

でも、まぁ、こういうものです。