April 25, 2022

【822】まるネコ堂芸術祭、開幕。

 初日。あいにくの雨ですが、それでも来ていただいたお客さんに感謝です。

 2年前の2020年のゴールデンウィークに「10年10回はやりたい」とはじめた芸術祭ですが、今から思えば芸術祭を始めるには最悪の時期でした。新型コロナウイルスは2019年末に世界的流行が始まりました。僕の記憶では年末時点に中国で原因不明の肺炎として発見され、2020年1月に日本でも感染が確認され、世界が変わっていきました。

 そんなとき、とても甘い見通しを持って、この芸術祭は企画されました。2020年の3月に予定していた山本明日香さんの「レクチャーコンサート」が新型コロナウイルスの感染拡大によって中止せざるをえない状況になり、とはいえ「5月には収まってるよね」と、この芸術祭の「第1回」は企画されました。その後、誰もが知るように、コロナ禍は2ヶ月では収まらず、オンライン開催を余儀なくされ、「第1回」は「第0回」へと変更されました。

 第0回の案内ページを読み返すと、今でもその当時の緊迫感を思い出します。開催日直前の実行委員によるギリギリの状態での深夜のメッセンジャー会議を思い出します。

 2021年の「第1回」も似たような状況でした。直前まで出展者が会場での展示プランを進めていましたが、ギリギリで「無観客開催」となりました。

 そのような経緯があるので、今年、会場に多くの作品が展示され、お客さんがそれを観てくださるというのは、もうそれだけで感慨深いものがあります。

 表現というのは、とても壮大なものでもあるのですが、同時に、自分でやるしかないものでもあります。どのような環境であれ、そのなかで自分がどうするか、ということが問題です。困難な状況を理由に「環境が整わないから表現ができない」と意識してしまうと、環境が表現の外部にはじき出されしまいます。こうなると表現は始まりません。我々が現実に生きているという状況はとてもノイジーで、理想とはかけ離れています。表現は、この、何も整わない、なんの才能も材料も環境もないところから、始まらざるをえないものです。材料も才能も技術も環境も、その表現の内部にあって、「それをやる」ということにまつわるあらゆる抵抗を表現は含んでいます。

 といったことをとても実感できるようになりました。「コロナだからできない」というよりは、「コロナでもやるにはどうすればいいのか」です。

 やりたいことをやろうとすると数々の困難に直面しますが、その困難たちはすでに表現のなかで表現を刺激して、活性してくれるものだと、本当に思います。

第二回まるネコ堂芸術祭 2022年4月24日から30日

April 22, 2022

【821】いよいよ、今週末24日日曜日から芸術祭。

  明日が搬入日。僕は一足先に昨日作品設置を完了し、明日は家具移動などをする予定。

 ともあれ、明後日から第2回まるネコ堂芸術祭。一週間やります。前回までは、単発イベント的だったけれど、今回からは、なんと「会期」があります。そして、今年こそは念願の「有観客」開催ができそうです。

 毎回少しずつアップデートしてきている芸術祭ですが、今回の変更の一つとして、11月にイン・プログレス・クリティーク、1月にプロポーザル・レビューを入れたことがあります。前者は制作の途中経過を出展者同士で発表して意見交換すること、後者は出典内容のプレゼンテーションです。これがどうだったのか、というのは出展者それぞれで異なると思いますが、僕自身の経験としてはとても有意義でした。

 「プランニング」というものの意味合いが広がりました。

 表現というものは、不測の事態が多いです。というよりも不測の事態へ向かうことと行ってもいいぐらいです。そういうことに対して、予め計画をたてるということは果たして有効なのか。以前の僕は、さほど有効ではないと思っていたように思います。しかし、今は逆になりました。先行きがわからない、不透明だからこそ、プランが有効なのだと思うようになりました。

 プランとは「その時点」での見通しです。この見通しは、不測の事態に遭遇すれば、変更を迫られることになります。当初のプランがそのまま最後まで通用することはほぼないと言ってもいいです。しかし、だからといってプランがなくていいかというとそうではない。実は、プランがないと、始めることがとても困難で延期がちになります。「はじまり」が偶然の産物でしかなくなってしまうからです。「はじまり」は、様々な要因の複合的事象ですが、ここに「自分」を関与させる方法としてプランニングというものを意識することができるようになりました。

 プランは、現在から最終結果までを確定するものではなく、なにかをスタートするためのものです。プラン変更は消極的妥協というよりは、出発点では見ることができなかったことが見えるようになった進捗の証拠であり、歓迎すべきことなのだと思うようになりました。

 作品表現もそうですが、芸術祭自体も試行錯誤の連続で、毎年少しずつチャレンジを続けています。

第2回まるネコ堂芸術祭