December 26, 2018

【540】再び眠れない夜。(生後111日目)

昨夜はかなり痒かったようで、親子3人ほぼ眠れず。

今日ちょうど皮膚科へ行く日。背中と足、お尻などがひどい。以前と同じアルメタ軟膏など4種ほど出る。薬の種類が増えるのは良くない傾向。帰ってきて薬を塗るがなかなか収まらない。何度かひどいところへ塗り足していく。

前回、きれいに治ったと思ったお腹にも出ているのがきつい。

表情や声の出し方、泣き方、足や手の動かし方などを観察する。だいたい痒い場所がわかるようになってきた。特にひどくなっているところがあると、ものすごい声で泣くのでそういう場合は服を脱がせて全身をチェックする。

抱っこでごまかせる痒みと到底ごまかせない痒みがある。ごまかせる軽度の痒みはごまかしてしまえばしばらく大丈夫だが、ごまかせない強い痒みには薬を使う。

一人で布団に寝かせておくと泣き続けるので、そばにいて話しかけてやる。するとちょっとご機嫌が戻る。笑い顔まで出ればかなり痒みを遠ざけておける。話しかけながら全身を見ていて痒くなりそうなところは早めに手を打つ。

今夜はどうなるか。現在20時前。すでに痒そうでいろいろ覚悟する。

December 25, 2018

【539】口を閉じて声を出せるようになった。(生後110日目)

新(あらた)の湿疹。

以前強く出ていた、おでこ、頬、お腹はだいぶ収まってきて、1日2回の弱いクリーム薬でほぼ大丈夫になった。そのかわり、以前はそれほど出ていなかった耳の後ろから後頭部、首の後、背中に今は強く出ている。ここはクリームだけではおさえられず、時々痒がって泣き続けるので、強い軟膏を部分的に塗り足して、抱っこと授乳をあわせておさえている。26日にまた皮膚科へいって経過を見てもらうことになっている。

ところで、最近、口を閉じたまま頬を膨らませ気味にして「んー、んー」という声をだすようになった。それまで声をだすときは口を開けていた。
ちょうど「んー」と言っているとき。
微妙な表情。

口を閉じて出す「んー」は、口を開けている「あー」などと違って、ちょっと機嫌が悪いとき、悪くなりそうなときに出しているように見える。タイミング的には痒いことをアピールしているように受け取れる。表情としても微妙な苦悶を浮かべている感じ。このまま放置すると泣き出したり、手で耳などを擦ったりする。耳の付け根が切れてしまっている。

声はご機嫌に生まれ、やがて不機嫌へと向かうということなのか。

December 21, 2018

【538】皮膚科2回目。「かなりひどい状況」は脱する。(生後106日目)

二日前に皮膚科に行って、ステロイドを出されたその後。

アルメタ軟膏(とアルメタを薄めたクリーム)は怖いぐらいに良く効いた。

一時間も経たずに目に見えて赤みが引いていき 、丸一日後には、ほぼ全身から消えた。かゆみもほとんどない様子。お風呂に入ったあとや、眠たくなったとき、夕方になって副交感神経優位になり体温が上がったときに目の周り、耳、あごなどが少し痒くなるぐらい。

それ以外のときは、以前のご機嫌モード全開。楽しげに笑いながら喋り続ける。まったく、子供の体に不調がないのであれば、育児がつらいなどということはありえない。

そして今日、2回目の皮膚科。炎症がちゃんと収まっていて経過が良いので、弱めの薬に切り替わる。とはいえ、まだ治ったわけではない。新(あらた)固有の対策を考えていくことになる。多くの場合は、月齢に伴って皮膚が強くなって自然に治っていくようだが、かゆみのコントロールをしないと掻いたりこすったりして悪化する。

新の肌が弱いことは複数の医者や保健師の言葉からも明らかだし、新生児の頃から肌の状態が万全だったことがない。ほぼ最初から湿疹が出ていたし、その後ずっとカサついていた。長期戦を覚悟しなくてはならない。

炎症が治まれば、痒くなるタイミングはほぼ特定できる。お風呂、睡眠時、夕方。このタイミングをどうにかすればいい。抱っこは一番簡単なコントロール法で、揺らし方によって、新のバランス神経に適度な負荷を与えることができる(ただし親の体への負担が高い)。上手に抱っこすれば、こすったり掻いたりしなくても眠らせることができるし、眠らせなくても落ち着かせられる。適度な揺らしでリラックスさせすぎないようにして副交感神経が優位になりすぎないようにすればヒスタミンが出ず、痒みが発生しにくいのだと思う。

ということは、痒くないから機嫌よく喋りまくっているのではなく、機嫌良く喋りまくることで意識が集中され、アドレナリンが分泌され、痒みが出にくいホルモンバランスになっているのかもしれない。あるいはむしろ、その両方向的な事象なのだろう。

ところで、皮膚への刺激というのは、皮膚が弱かろうが強かろうが誰にでも常に全身のいたるところで発生している。これを痒みとして認識するか、キャンセルするかは、その人の状況なのだけれど、リラックスしているときほど痒みとして認識されやすい(閾値が低い)ということはあるようだ。アタリマエのことに聞こえるけれど、ある程度の集中状態や興奮状態にあれば痒くない。もちろんこれは、皮膚が良好な状態での話であるが。

さらにところで。「リラックス」というのが万能薬のように言われていることこそが、実は逆に現代的な病なのではないかと僕は疑っている。いわば「リラックス至上主義」が現代の問題のいくつかの原因なのではないかとすら思う。これについては後ほど書くつもりである。

今日の新。
婆娑羅大名風。

December 19, 2018

【537】新(あらた)の肌がひどいことになっていた。(生後104日目)

昨夜、痒そうにしていたので、いつも行っている小児科ではなく皮膚科につれていく。一目見るなり、医者の表情が変わる。

「かなりひどい状況です。ステロイドを出すので怖がらずに全身べったり塗ってください。薄く塗り伸ばしたりすると治りません。(小児科で処方された今使っている薬をお薬手帳で確認して)治す成分は一個も入ってない。」

帰ってきて早速、全身にステロイドを塗る。特にひどい額、頬などは強めの薬をべったり。

皮膚科に行ったのがちょうどお昼ぐらいで、夕方にはだいぶ赤みが引いていた。たしかによく効く。それでもまだ頭、おでこ、頬などは赤い。体も赤みは引いているがかゆみはあるようで自分で引っ掻こうとする。もしかすると散々自分で顔に傷をつけていたのは、痒かったからかもしれない。もっと早く適切な医者につれていくべきだった。

痒みが収まると早速、ご機嫌なおしゃべりを始める。そういえば、ここ何日かこのおしゃべりがなかった。

今後、どうなるか。

どうか、治ってほしい。

【536】イェスパー・ユール『ハーフリアル』を読む。


この本は面白いのだけれど、どう面白いか説明するのがちょっと難しい。でもやってみよう。

いきなり最終章(Chapter 6)から引用する。
この本の目的は、ビデオゲームについての基礎理論を作り出すことにあった。[236]
この本はビデオゲーム(日本語では「コンピューターゲーム」が近い)の楽しさを論じるための「土台を提供する」ということをしている。

Chapter 1「序論」が特にそうなのだけれど、読んでいてワクワクしてくる。「ゲームとはなにか」「楽しさを論理的に考える」といった見出しが示すように、誰でも知っているあの「ゲーム」の「楽しさ」。それを語るための場所が作りだされていく。先行研究の分類、分析の丁寧さも、退屈ではなく少しずつ何かが始まっていく予感を生じさせている。

著者がどれほどゲーム好きかは、例示されているゲームの豊富さ、それも様々な時代の様々なタイプのゲームを適切に繰り出してくる感じからよくわかる。

終わりも評価もない「SimCity」、初期設定以外になにもしない「ライフゲーム」(これは厳密にはゲームではないと本書では分類される)、単純な画面と操作から複雑な結果を生じさせる「pong」、リアルなグラフィックを駆使する最近のゲーム。

ゲームの楽しさや面白さというのは本当に多様に生じるのだけれど、だからといって何でもありなわけではない。面白いゲームもあれば面白くないゲームもある。しかし、その面白さや面白くなさは、例えば小説や映画を語る言語ではうまく語りえない。ゲームの面白さを真正面から語りえない。隅々まで語りえない。だからそれを語る言語を作ったというわけだ。

この本は、ゲーム好きがゲームの楽しさを思う存分、余すところなく語り合う、そんな「面白さというもの」の土台作りをしている。

本書の魅力は「楽しさ、面白さ」という得体の知れないものを作ったり語ったりするための新たな言語空間=場所が構築されていく様子を目の当たりにできることである。読んでいくことでそのプロセスを見ていくことができる。何もなかった野原に舞台が作られていく。〈所〉そのものができていく。その、じわじわと広がる嬉しい予感が味わえる。

December 18, 2018

【535】エアコンとADSLと。

澪の親戚からエアコンを頂いた。取付費用まで出してもらう。本当にありがたい。


工房につけた。六畳用らしいのでちょうどいい。これで夏の工房作業が格段に快適になる。

ADSLの接続工事も今日だった。

これで常時接続。速度的にはスマートフォンのテザリングの方が出るはずだけど、データ容量の制限もないし使い放題。「ネットまるネコ堂」とか来年の通年講座の「ネットゼミ室」がこれで開設できる。

いろいろと設備増強中。

December 17, 2018

【催し】山本明日香レクチャーコンサート。第2回はベートーヴェンです。

昨日、1回目のモーツァルトでした。

明日香の楽譜を読む話は、話としても面白くていろいろと発見があるのだけれど、それだけじゃなくて実際にその後の演奏が違って聴こえてくる、というか「聴く」ということ自体が変わってしまうのが凄いところです。

2回目はベートヴェンです。ベートーヴェンは「お化け屋敷」のように人を脅かしてくるところがあるので、「あの」状態で聴くのはちょっと怖いんですよね実は。これも大きな体験になると思います。

3月10日(日)14時からです。

【534】表現 について。

自分が面白いと思っていることを他人にも同じように面白いと思ってもらおう、という書いてしまえばどうということがない当たり前のことをやっている人を見ると、僕はある種のいとしさというか、かっこよさを感じる。

そういうことができる人は、どうやらそんなに多くはない。もっとも傷つけられたくないものを、もっとも傷つけられやすい状態でさらけ出すことになるのだから、これは大事(おおごと)である。

大事(おおごと)というのは、だいたいそうなのだけれど、一見、ごく当たり前の「大したことでない」ような見かけをしている。「言われてみればそう」なのだけど、言われないとそんなことは思いもしないというようなこと。思いもしなかったくせに、一旦言われると、そうとしかありえないようなことだ。

つまり世界に亀裂が入るのだ。こういうことが引き起こす衝撃波に飲み込まれるときに感動は生まれる。

幸いなことに僕の周りには、それをやる人たちがいる。そういうところに出くわすと、僕もなにかやろうと思える。

December 15, 2018

【533】電車に初めて乗った。節目の報告。(生後100日目)

今日から月曜日まで新(あらた)と澪が吹田の澪の実家へ行く。乗り換えの京都まで僕も一緒に行って、そこから僕だけ比良のスペースひとのわへ。
これから電車に乗るところ。
初めて乗る電車に若干緊張気味だったが、泣き出したりはしないで周りの気配を探っていた。車内放送にちょっと驚いた顔をする。人の話し声は好きだけど、この声は一体なんだ?と思ったのだろう。そういえば、うちにはテレビがないし、最近はラジオや音楽もかけないので、機械から出てくる音自体が初めてかもしれない。あ、新自身の話し声を録音して聞かせたことはあった。その時もちょっと変な顔をしていた。

そういえば昨夜は、心配していた痒みは出なくてほっとした。

さて、今日は生後100日目。特に何かをするつもりはなかったのだけれど、図らずとも初電車となった。

一応節目ということで、振り返ってみる。

1、一時期、気にしていた便秘は解消。すっかり。

2、完全母乳への道はまだ半ば。それでもノーミルクデーは10日ほど達成し、最近は連続2日ということも。今はもう、特にこだわりはないので、のんびりやっていくことに。

3、湿疹はあまり芳しくない状況。手足顔頭がガサついている。薬をいろいろためしているところ。

4、体は巨大。すでに8キロくらい。生後100日ですよ。

5、やたらと喋る(独自の言語を)。最初は機嫌が良いときにだけ喋っていたが、最近はちょっと不機嫌になりそうなときも喋り声で訴えるようになってきた(いきなり泣き出さずに)。夜、布団に入って、今日一日あったことを熱心に報告してくれる(かのようにべらべら喋ってから寝る)。

なお、最近は日記を書き始めたときほど目まぐるしく状況が変化するということはなくなってきているので、今後は子供日記の更新頻度を少し落とそうと思っている。

December 14, 2018

【532】結局昨夜は痒がって大変だった。(生後99日目)

昨夜のエントリーで「これで痒くなるとかなりつらいことになりそうだ」と書いたあと、本当に痒くなってしまったようで大変だった。

眠たいのに頬や耳のあたりが痒いらしく、握りこぶしをしきりに擦りつけて泣き続けるという状態。なんとか眠れても何かの拍子に起きるとまた泣き出してこすりつける。見ていられない。
今夜は大丈夫だろうか。
新しい薬(ワセリン)を塗った直後。
やはり赤みは出ている。
結局、今朝病院へ行って別の薬が出る。できることはやろうと思って、澪の食事から母乳経由の食物アレルギーを検証してみる予定。

昼間は痒みはないようで、ニコニコ笑って喋りまくっていた。この笑顔が消えてしまうというのは大事で、本当に心が痛む。なんとか収束してほしい。

December 13, 2018

【531】肌の荒れが引かない。(生後98日目)

新(あらた)はどうも肌が弱いようで、新生児の頃から湿疹や肌荒れが続いている。ベビーローション、ベビーオイル、馬油などいろいろと試しているのだけれど、なかなか症状が良くならない。

ということで、先日の予防接種のときに診てもらって薬もいくつか出してもらった。それを塗っているのだけれど、どうも薬が合わないようで赤みが出てしまっている。こうなってくるとなかなか大変で、明日また小児科へ行く予定。

痒みがないうちはまだいいのだけれど、これで痒くなるとかなりつらいことになりそうだ。子育てというのは、子供の状態によって大きく変動する。元気でさえいてくれたらというのは偽らざる気持ちである。

【530】カウンセリングは「クライアントのために」やるから限界がある。

カウンセラーがクライアントの「ために」やる以上、そこには限界がある。

それは、依頼されて取材をして取材対象についての文章を書くライターという仕事が、誰にも依頼されずに自らの文章を書く(未)作家に対して「ある限界」と「ある無責任さ」を持っていることと同じである。

もしも、カウンセラーが「自らのために」相談行為をやりだすとどうなるか。少なくとも「カウンセリング」の名のもとにおおっぴらにはできないだろう。おそらく職業倫理に抵触する。どれほどの注意力と胆力を持ってそれをなしたとしても、行き着く先は立場を利用したひどいハラスメント的結末である。

こんなことを考えるのは、最近「進路相談」というか「キャリア相談」というか、そういう感じの相談をされる、あるいは、意図せずそんな雰囲気になることがよくあって、その中で、僕はいつもある感覚を持っていることに気がついたからだ。

その人のためを思って言おうとすると、とたんに僕は興味が減退する。そして、どこか無責任になる。その人のためにと思えば思うほど、それは進行する。逆に、僕のためを思って何かを言おうとすれば、僕の興味は亢進し、責任感というか、自らが関与することへのある手応えを得る。ただし、それが本当にその人にとって良いことだと言い得るだけの根拠はない。そのとき、根拠がないことと責任があるということが両立する奇妙な場所になる。

いつものようにアタリマエのことを言っているという気分がしている。自分のためにやれば、そりゃ、興味をもつことも、責任感が出ることも当たり前である。しかしである。それが、他人のこと、他人の将来、他人がやりたいこと、他人が困っていること、などにまで及ぶとなるとちょっと事情は異なってくる。これはやはりそう簡単には整理できるはずがない、もっと複雑なことなのではないかというフィードバックがかかってくる。

そういう、ある場所にいる気分がしてくる。

で、わりとゆっくり考えてみる。だがやはり、どう考えても、僕が誠意を持つならば、僕にとってよいと思うように、僕にとって素敵な世界であるように、僕はその人に対して言えることを言うしかない。

ともにこの世界に存在する他者としての相談行為にともなう責任は、業務的責任のレベルではなく、人道的責任、あるいは人類的責任とでもいうべきもので、契約書に記すことができないタイプの責任である。

「クライアントのために」やるからこそカウンセリングは、そういった契約書に記すことができないタイプの「責任」を問われない。だからこそ業務として可能なのだ。

僕は僕が面白く豊かだと思う世界を、今になってわりと明瞭にイメージすることができるようになって来ていて、だから、そういう世界でともに過ごしてみようぜということを誰にでも提言できるようになってきたということなのだろう。ある意味、無責任極まりないことを言うことになったとしても、それが最大限僕の責任だと思う。

December 12, 2018

【529】ちょっと機嫌が悪い。本を読みながら。(生後97日目)

昨夜から泣いている時間が長く、理由がよくわからない。といっても、いつものようににこにこしゃべってもいるのだけれど、いつもほどはしゃべらない。
隣で本を読んでいたら、寝てくれた。
相変わらず生傷は絶えない。
熱を計ると七度一分で微熱。昨日の予防接種4本の影響が出ているのかもしれない。

今週は週末以外はイベントや来客の予定がないので、僕は溜まっている本を読む時間にしている。ゼミに良さそうな本や来年の講座で紹介できそうなもの、編集面談(家庭教師)や本好きの時間で話をするネタ用など、面白そうな本を手当たり次第物色している。今や本を読むことが僕の仕事のメインになりつつある。読んだ本の分だけ生きていくことの精度が上がる。

今読んでいるのはイェスパー・ユール『ハーフリアル』。テレビゲーム(ビデオゲーム)を真面目に論じた本なのだけど、不思議とワクワクしてくる面白さがある。


新(あらた)は一緒に布団に入って隣で本を読んでいると落ち着いて勝手に寝てくれた。本を読むことは何かと幸せにつながる。

December 11, 2018

【528】予防接種。(生後96日目)

今日は二回目の予防接種。注射を4本打たれて、いつもよりもややお疲れ。

予防接種に関してはさほどこだわりはない。今日はHib、小児用肺炎球菌、B型肝炎の2回目と4種混合の1回目を打った。BCGも月齢が来れば打つ予定。任意のロタは、当面保育園に入れる予定がないので感染リスクが少ないと判断し打っていない。

注射のついでに皮膚荒れを診てもらいいくつか薬が出る。一時期よりはだいぶマシにはなったがまだかなり湿疹が出るし、肌がガサガサしている。治ればいいのだけれど。

December 10, 2018

【527】おしめの洗濯。(生後95日目)

おしめだけで洗濯機を一回回す。
一日のオシメの使用量=洗濯量はこんな感じ。数えたら24枚だった。毎時1枚使っている計算になる。現状、昼間は1枚ずつ、夜寝るときは2枚ずつ付けている。

新品のおしめだったけれど、こうやって毎日洗っているとすでにかなり柔らかくなっている。

そういえば、おしめはどうして輪っかになっているのかをかなり考えたのだけど、まともな答えは出なかった。実際に使ってみて「手ぬぐいと間違わないように」というのは確かにある、のだけど、ほんとにこんな理由?

ひょっとすると乾きに影響があるのかもしれないけれど、直感的には輪っかにせずに切りっぱなしのほうが乾きやすそうに思える。

【526】「信頼関係」というものは結果的に現れ、そのたびに変動し続ける。

「信頼関係があればできる」という言い方には、他人を対象とした何事かが「できる」という実体とは〈別に〉「信頼関係」というものが人間と人間の間にあるというイメージを持っている人が使う言い回しである。

そうではなくて、他人と何事かができるということ自体によって、信頼できたり、信頼を失ったりするというイメージを僕は持っている。他人とともに何事かが起きたということそのものが「関係」なのであって、それとは別の位相に「目には見えない絆」として「信頼関係」があるわけではない。過去の「何事か」の蓄積によって、その信頼・不信の変動度合いが小さくなったりすることもあるが、いずれにせよ、実体として生じた「何事か」があるだけだ。

初対面の人と話を円滑に進めるために「まずは信頼関係を築く」などという行動をする人は、だから僕には不審に思える。「信頼関係さえあればできる」という信念が透けて見えるからだ。言うまでもなく「信頼関係」なるものがあってもなくても「できる」とは限らないし「やりにくいことが都合よくやりやすくなる」ということもない。むしろ、「信頼関係」なるものへの無駄な信頼によって、出来事そのものがおろそかになって失敗しやすくなる。初対面の人と対峙しているときに、余計なことをしている余裕などないはずだ。

「信頼関係」があることで省略できる手続きがあるのだとすれば、「信頼関係」とはさほどのことではないことについて支払いを後回しにできる「ツケ」や、前払いした「回数券」程度のことであって、僕にはそういった領域が「信頼」が重心を置くような場所には思えない。

そのことそのものをちゃんとやることに全力を注いだほうがいい。信頼というのは常に、「ちゃんとやる」に紐付いている。

その上で、「信頼関係」というものを再び俎上に乗せるのであれば、こうなる。

なぜ「ちゃんとやる」ことから結果的に生じているはずの「信頼関係」が、出来事に先立って、予め、恒常的に、出来事とは別の位相で、存在するかのように感じるのか。

いったんここまで。

December 9, 2018

【525】本好きが本の話をする時間(12/7)の様子



12月7日の本好きの時間では、最近読んだ(読んでいる)次の2冊の話をしました。まったく脈絡ない2冊ですが。

千葉雅也『勉強の哲学』
R・ムージル『特性のない男1』

特にムージルの『特性のない男1』は第一章「注目に値することだが、何も起こらない第一章」をみんなで読んで感想を言うということをしてみました。

「なんのこっちゃ、という感じ。でももう少し先まで読んでみたい」といった意見があって、やっぱりそういう感じの不思議な(不気味な)面白さがあるんだよなと再確認しました。

千葉雅也『勉強の哲学』は来年やろうと思っているゼミの候補にしようと思っている本です。わりとおすすめ。

本好きが本の話をする時間・定期

【524】すぐ血まみれになる。(生後94日目)

すやすやと気持ちよさそうに寝ている、と思って油断していると突然大泣きする。どうしたどうしたと見てみたら血まみれになっている。

グローブが何かの拍子に外れていた模様。爪のサイズも大きくなっているので、だんだん傷も深くなっていく。

もっとも本人にとってはさほどのこともないらしく、数分後にはご機嫌である。

画的にはこっちのほうが怖い。どっかで何匹か喰らってきたのか?

December 8, 2018

【523】来客続きで喋りまくっている。(生後93日目)

ここ数日来客が続いていて、新(あらた)は誰彼構わず喋りまくっている。そして、大人たちが喋っているのを聴いている。

喋っているのはまだまだ言葉とは言えない段階のものだけれど、聴いているのは、ひょっとするとある程度は理解しているのかもしれない。言葉の意味は無理だとしても、言葉には違いがあること、もう少し言えば言葉の持つある種の圧力の違いくらいは感じ取っているかもしれない。

まあ、とにかくおしゃべりである。

December 7, 2018

【521】そろそろ初めての冬が来る。(生後92日目)

一気に寒くなってきた。もうすぐ、あるいはもうすでに、冬である、あるいはあった。

近所の方にもらったモビール?。
最近になってかなり面白がるようになった。
新(あらた)は冷えるとお腹がゆるくなる、かもしれない。僕はそうだ。時々、ゆるいうんちをして、ちょっと泣いたりしていているのは、お腹が痛いのかもしれない。

新にとってはじめての冬なので、新を含んだ僕たちにとっても初めての冬である。

僕は夏よりも冬のほうが、たぶん好きなのだけれど、それは、熱いコーヒーが美味しく飲めるからで、単に気温差のことではなくて、冬の空気の乾き具合や透明度の高さがコーヒーをより引き立てるからである。ということを書くとそんなにコーヒーかよと思われそうだが、冬をイメージしたときにコーヒーの暖かさは割とよく出てくる感覚である。同時にさっき書いた空気の感じもセットになっている。

本当は秋のほうがそりゃ好きなのだけれど、ということは、もうすぐ冬が来るというときに、冬もいいなぁと思いながら、それほど厳しくない寒さでいる今まさに晩秋が最高だということかもしれない。

最高の季節である。

December 6, 2018

【520】今日もうつ伏せを頑張らせる。(生後91日目)


うつ伏せをやると夜に寝付きがよくて楽だと気がついたのでせっせとうつ伏せにする。まぁ、本人も楽しんでいるようですから、ほら。

この手の、親が楽をできるということと、子供の発育に良いのだとされていることの共犯的事象は、ちょっと危険な香りがするが他にもありそうである。

December 5, 2018

【519】わざと咳をしている。(生後90日目)

「あ、ホン、あ、ホン」といった感じで、喉を使った音を出すようになった。たぶん咳だろう。これをわざとやっている。
これはあくび、生後7日目ですでにやっている。
現存する新(あらた)の最古のあくび写真。
わざとというのは、普通に風邪などで出る咳ではなくて、明らかに機嫌よく喋っているときにやっているからで、喉の感覚が面白いのだろう。やりだすとかなりしつこい。

くしゃみやあくびは気がついたときにはやっていたと思うけれど、このタイプの咳というか咳払いというかが最近目立つ。くしゃみやあくびは、反射のような、より本能的に予め備わったものだけど、咳は後天的に獲得するものなのかもしれない。

そう言われると、咳に対する咳払いのような、半分意図的にやるようなことが、くしゃみやあくびにはない。特にくしゃみを意図的にやるのはかなり難しい。あくびは、あくびの真似をしているという感じになって、それが本格的なあくびを誘発するようなことはある。

何かの順に並べると「くしゃみ、あくび、咳」となるのかもしれない。なんの順だろう。

そういえば、猫の場合は、あくびはしょっちゅう、くしゃみはたまに、咳はめったにしない。

December 4, 2018

【518】うつ伏せが楽しくなっている。(生後89日目)

少し前まではうつ伏せにすると、はぁはぁ苦しそうにしていて、筋トレとか修行とかの雰囲気だったが、最近は、楽しそうに首を上げている。
目の辺りが萩本欽一に似ていなくもない。
腕で頭を支えながら、足で蹴って反動でちょっと前のめりになったりするのも面白いらしくせっせとやっている。

けんちゃんがこの間、言っていてまさにそうだと思ったのだけど、「継続は力なり」という言葉の意味は「苦しいけれど我慢して続けましょう」ということではなくて、「面白かったり楽しかったりすることは自然と続いて、気がついたらものすごい筋肉がついちゃってました」ということなんだろう。

新(あらた)のこの楽しそうな顔を見ているとそれを実感する。

December 3, 2018

【517】同時多発する出来事。(生後88日目)

多くのことが同時に起こっている現場。
庭でほったらかしになっていたトマトが大量にあったということをなっちゃんがトマトジャムを作るためにトマトを取ってその量の多さを初めて知る。新(あらた)が盛大にうんちをしていて、そのオシメを澪が替えている。昨夜遅くまで話し込んでいたけんちゃんが寝ていて、そのお腹の上が猫のしっぽには居心地が良い。トマトのヘタをとる。トマトを移動させる。コーヒー豆がなくなったので焙煎して、コーヒーを淹れる。これらが同時多発的に起こっていて、たぶん、これ以上のことも起こっているのだけれど、それは把握できない。把握できないほどのことが起こっているということが素晴らしい。豊かである。

【516】白目を剥いて寝ている。(生後87日目)

こんな感じで寝ていることが多い。

目は半開き、口も半開き。白目。

これも筋肉の問題だと思う。まぶたの筋肉が未発達で目をしっかり閉じておけないのではないか。口、というか顎の筋肉が未発達なので口をしっかり閉じておけないのではないか。

だからそのうち、目も口も閉じて寝るようになると思う。何もかもがこんな調子で、少しずつ獲得していく。

December 1, 2018

【515】動かすよりも留めておくほうが難しい。(生後86日目)

最近よく、こういうファイティングポーズをとるようになった。
グローブをつけるようになってデビュー戦を目指すようになった、というわけではない。

考えるに、おそらく、腕を「ある位置」で留めておくということができるまでに筋肉や神経伝達の仕組みができあがったということだと思う。腕をブンブン振り回すのは以前からできたが、ここに来てようやく、留めておくということができるようになったわけだ。その筋肉や神経や脳の感じが面白くてやっているのだと思う。

腕にしろ足にしろ、ある位置で留めておくためには、2つ以上の筋肉のバランスを取るということができなければならない。筋肉というのは収縮することしかできない。筋肉は自ら伸びるということが機能上できない。伸びるには、他の筋肉が収縮することによって、引き伸ばされるしかない。そういう一方向的な動きしかできない筋肉を使って、腕をある位置に維持するためには、2つ以上の筋肉の収縮度合いを調整できなければならない。

ということで、新(あらた)は、いよいよ〈保留〉が可能になったということだ。これは重大なことだ。ここから腕のコントロール精度は飛躍的に上がると思う。そして保留ということの意味を知っていく。

物事を保留しておく。どこにも落とさず保留する。よく落っこちていく、ありがちな先は〈腑〉(=特に消化器官)である。消化吸収排泄の過程に〈落とされる〉。そのプロセスに落とし込まずに〈保留〉する、これがいかに大切なことか。生後47年目の僕はそれを日々噛み締めている。

そういえば以前、噛み締め過ぎて奥歯が砕けた/砕いたのだけど、人間というのは実は、意識的に動かすことができるはずの筋肉のコントロールすらままならないことを知った出来事であった。