March 25, 2021

March 24, 2021

【795】製作日誌【芸術祭まであと38日】

 いったんこんな感じかな、あとは微調整かなと思ったところから進まず、だんだん印象が薄れていく。これは良くない。かなり良くない。

 ということで、大きく全体を見直す。もともとの印象を取り戻すために、巻き戻していく。長々とたどってきた航路を自分で戻っていく。

 結局全体の8割ほどに大幅な変更、というかほぼ書き直し。かなり印象が変わる。おかげで、完成は遠くなったが、それでも、なんというか、名残惜しさが出てきた。これを完成させてしまうことへの名残惜しさ。書いていることへの名残惜しさ。この感じがあれば大丈夫。

 今週末には告知用の説明が確定する。

 出展者の会場下見がポツポツある。他人の作品だけど、少なくとも一人の人間が大事にしているものがあり、それが白日のもとにさらされようとしている。その感じにわくわくする。どきどきする。楽しい。


●5月1日、2日
4月初旬に詳細お知らせ予定。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★4月7日、5月14日開催
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
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March 18, 2021

【794】製作日誌【芸術祭まであと44日】

 ほぼ10日停滞。

 こういうときに他のことはなるべく手を付けないようにしたほうがよいがそれがなかなか大変。夢も見続ける。精神的には悪化する一方で、果たしてこんなことで何かが作れるのだろうか、今つくれる状態にないのに、これより悪化するともう本当にどうしようもなくなるのではないか、となってくる。だから、なんでもいいから手を動かして気を紛らわしたくなってくる。これではない他のプランがどんどん浮かぶ。

 しかし、ここで焦って手を動かすとこれまでやってきたものはバラバラに散らばる。これではない何かはできるかもしれないが、これはできない。これがやりたいのであれば、他のことをしても意味はない。と、自分観察を楽しむ。

 結局、できるだけ最初の雰囲気が強まるのを待つ。眼の前にある中途半端な代物からは、ほとんどかき消えてしまっているその雰囲気。かき消えてしまっているから停滞している。天気を待つようなものだ。戻らなければそれまでだろう。自分が作ろうとしているものが出来上がってしまえば陳腐に思えることを恐れないように。これを恐がると何もできない。

 今日ひさしぶりに進む。ようやく目処が立つ。難所は超えたか。

 作ろうとしているのは絵本だ。正確には絵本の「文」で、絵は僕には描けないから、誰かに頼まなければならない。美緒が描いてくれたら嬉しいが、いずれにせよ5月には間に合わない。だから、絵本の「文」という中途半端なもの出展することになる。はたしてどう展示しようかと悩むが、それもこれも「文」ができたあとの話。


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March 16, 2021

【793】読み書き論、現時点で書けるもの。

 文章を書いている人を文章の中に書き込むことはできない。「私は今文章を書いている」と書いても書かれているのは文章を書いている人の姿であって、まさにその文章を書いている人そのものではない。しかし、だから文章を書いている人を文章の中に書き込むことはできない、と結論するのは間違っている。

 文章を読んでいるとその文章を書いている人の姿を感じる時がある。あるいは、文章を書いている人の心の動きを直接的に感じ取れるときがある。こういうとき、かならずしも文章そのものには書き手の姿が描写されているわけではない。それでも、そういう感じがするときがある。

 淡々と子供の様子を綴った文章に親の愛情深い眼差しを感じることがあったり、年表のごとく事実の羅列を書き記したものに激しい怒りや悲しみを感じたりすることがある。

 こういった読文感覚がいったいどうやって起こっているのかを説明しようとすると、かなり難しいし、普通は手っ取り早く、作者の実際の家族構成などを引き合いに出して「この文章を書いた時点で、作者の子供はなん歳ごろで」といったことを根拠にしたり、歴史的社会的な事件の凄惨さやそれに関係する作者の立ち位置など、文章の外部で説明しようとしたりする。

 しかし、それはおかしい。作者がどのような立場にあろうと、読者は文章を読んでいるだけだ。どれほど文章外の情報を得ていようとも、この現象が生じるのは、その文章を読んだからであって、あくまでも文章にその原因を求めるのが筋だ。外部情報のトッピングはあとからいくらでも足せるが、あとからしか振りかけられない。

 そこで、文章の内部で、その作者の姿が立ち現れる仕組みを説明する必要がある。少なくとも文芸批評家にはある。例えば吉本隆明は、これを「視点」で説明しようとする。登場人物を俯瞰で見ていたはずの視点が、次の瞬間、その人物の主観になっていたり、あるいは、内的な視野になったり、というように説明することで、この転換する視点の軌跡から、ある空間構造が生まれ、そこには作者の意識が蒸気のように立ち込めることがある。蒸気のような意識に読み手が重なるようにして、作者の意識が直接的に読み手に入り込むことで、書かれていない作者の姿や意識すらも「伝わる」ということが起こる。これはかなりうまく説明されているし、これ以上うまく説明できる気もしない。

 それでも何か物足りない気がするのはなんだろうか。書くことや読むことを神聖視してしまっているのかもしれない。そんなにかんたんには説明できないはずだ、というのは、説明できてしまっては困るということかもしれない。

 細かいことではあるが、一つ言えることは、僕はそんなに見ていない。記憶というものは視覚的ではない。覚えているのはビジョンではない。イメージというのは視覚にとどまらない。聴覚像、味覚像、嗅覚像、痛覚像なども一発で変換できるぐらい一般性を持った言葉になっている。だとしたら「感情の像」のような、悲しみの像や愛しさの像というものもありえるだろう。イメージというカタカナ語をそれぐらいで使ってみてもいい。そのイメージをもう一度、言語の持っている構造体に組戻してみるとどうなるだろうか。

 作者の存在やその意識を感じ取れるというのは、作者の意識のイメージを持つということだ。持つというと能動的に思えるが、持たされるという方が近い。ここでいうイメージは視覚にとどまらない。意識を映像化したもののことではなく、意識を意識として機能させたままその作者から分離して「意識のイメージ」として取り出したものだ。意識のイメージというのは意識そのものと同じように駆動する。それが読者の意識に浸潤してくる。

 ある言葉にならない体験を誰かに言葉で伝えようとした場合、それそのものを言語化することではなく、書かれた何かしらの言葉によって意識を構造化し、その構造のなかでイメージとしてその言葉にならない体験のイメージを湧出させる。読み手はそのイメージを自身の意識に吸い込むことで、その言葉にならない体験を、より正確には、その言葉にならないその要素を、得る。

 だから、逆に言えば、きれいな夕日を見たときにある言葉にならない感覚を得たということから、「きれいな夕日を見た」と記述された体験のシーンが書かれるとする。それを読んだ人が「夕日」とは別種の「赤ん坊が生まれた」という体験のシーンでの曰く言い難い思いを、夕日の話として書かれた文章を読むことで得るということも起こりうる。この場合、夕日と赤ん坊の誕生を結びつけるものは、その人にしかないし、その人にしかなくて良い。一般的な象徴関係は結ばれる必要がない。夕日と誕生とを結びつける因果をその人の生い立ちや社会のあり方などで説明することはできないし、必要もない。この特殊な結びつきは、文章のなかの構造によって生じている。


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【792】2021年3月16日の文章筋トレ。

 二人。時間がわりと取れるので10分のあと久しぶりに90分をやる。

 90分間ずっとキーボードに手をおいておくというわけではなく、60分ぐらいで一度もうこのへんでいいかと思い始める。読み返して校正をする。今日は、枝葉を削り込む意識で、後半を削除する。いつも筋トレだと、こういうのもちょっと書いておこうかという欲が出てそれをつまみ食い的に書いて残しているのだけど、読後の感想でそこにひっかかったと言われることが多いので、今回はそういった寄り道への示唆がある部分はなくしてみることにする。

 そうしているうちに、もう少し書けそうな気がしてくる。これは枝葉部分ではなく幹の続きという感じで、力を入れて書き進んで見る。

 結果的にはそれがよかった。自分ではそこが書けてよかったと思う。

 書くということ自体が試行の連続で、試すというのは、失敗しておく、とか、それではないということを確認するとか、大部分はそういった排除や潰しのプロセスだったりする。こういうことをネガティブではなく、反転させて面白く思えるかどうかは、結構重要だなと思う。書いてしまうと概ね陳腐な気がする、ということ自体を面白がれないと、しんどいのだ。膂力がいること。

 次回の筋トレ予定、今のところは、4月7日午前です。3月中にやりたいという方がいればせひリクエストください。

文章筋トレ


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March 11, 2021

【791】製作日誌【芸術祭まであと51日】

 連日のように夢を見る。それなりに力を入れて文章を書こうとしている時期は夢の頻度があがる。昔はひどい悪夢を見た、というようなことは以前の日誌にも書いた

 今は目が覚めると忘れてしまっている程度の夢が多いが、昨晩のは久しぶりに強度が高く、夢を見ている最中に目が覚めた。こんな夢だ。

 僕は芸人で、後輩芸人とどこかの酒造メーカーのチューハイかなにかのCMに出演する。その後輩芸人がチューハイのイメージキャラクターに抜擢されたのだ。僕と後輩芸人は同じコンビではないが、普段から仲が良い。僕は他の誰かとコンビを組んでいるが、今日はその相方は登場しない。僕はいわゆるツッコミだ。後輩芸人はたぶんピン芸人で、芸風は天然でいつもぼーっとした感じ。人が良さそうな顔でへらへら笑っている。何が面白いのか説明しにくいが、彼を中心になんとなく可笑しみが広がっていく、そんなタイプだ。僕とその後輩芸人は昔からの知り合いだ。お互い売れなかったころから友達だった。
 CMの撮影現場は、その酒造メーカーのビルの一階。本社ビルだろう。広いロビーがある。その片隅にオープンなミーティングスペースがあって、打ち合わせ用のテーブルと椅子がある。そこに後輩芸人がすでに座っている。テーブルには、チューハイの缶が何本かとコンビニで買ってきたような適当なツマミが袋のまま雑然と散らばっている。カメラマンや照明などの撮影スタッフがその殺風景なテーブルを取り巻いている。
 そんなおよそCM撮影現場とは思えないところに僕が現れる。半信半疑で、本当にここでやるんですか、という顔をしている。後輩芸人はすでにテーブルに座ってにこにこ笑っている。脚本のようなものは一切なく、スタッフからは「いつもお二人で飲んでる感じで」とだけ説明される。
 僕は、スタッフに挨拶をして椅子に座る。すでにカメラは回っている。
 「これCMだよな。こんなんでいいの?」と僕はさきイカをつまみ上げながら後輩芸人にきく。
 「いいみたいです。いつも先輩と飲んでる感じで飲んでればいいらしいです。」
 後輩はすでにチューハイの缶をあけて飲んでいる。ラベルがカメラに見えるようにして不自然に持つといったような映りの配慮はまったくしていない。両手で缶を抱え込むように持ってちびちびやっている。僕は不安になって、スタッフのほうを向いて、いいんすか?と口を動かす。スタッフは笑顔で頷いている。
 僕も仕方なく缶を開けて後輩と乾杯をする。一応、カメラ目線で缶を顔の横に持ってきたりしてみるが、そういうのは特に求められていないようでスタッフの反応は無い。
 「いつも二人で飲んでる感じで」というオーダーに答えようと後輩との会話の糸口を探す。
 「それにしても、すごいよな。お前にCMなんて。聞いたとき俺も嬉しかったよ」
 「自分でもびっくりです。僕にCMなんて。」
 しかし、広いロビーの一角に置かれたテーブルで、どうしても会話に入り込むことができない。周りが気になる。
 「ほんっとにこんなんでいいんですか?」と声に出してカメラに向かって不審な顔をしてみせる。その様子をさらに引いた位置から手持ちのカメラが撮っている。照明があたったテーブルについている場違いな二人の男。それを撮影する大きなカメラ、頭の上辺りに迫るマイク。それらを手持ちのカメラが遠目に狙っている。
 僕はだんだん飲み込めてくる。ようするにこの陳腐で貧乏ったらしい二人の芸人の飲みを明るみに引きずり出してやらせるというシチュエーション自体をCMとして見せるという趣向なのだろう。
 「CMの仕事なんて、俺のところには来てないのに。先を越された」
 「僕も初めてで心配だから、先輩も一緒だと安心できるんですけどって言ったら、いいですよって。それでこうなったんです」
 「そんなんで呼ばれてるの俺?」
 ピーナツを小袋から出してつまんだりしながら、普通に飲んでいく。だんだん、二人とも酔いが回る。後輩は泣き上戸らしく、
 「ここまでこれたのは先輩のおかげですよ。ほんとに感謝してます」
 などと言いながら泣き出す。
 そのうち、後輩が抱きついてくる。最初は手で払い除けたりするが、だんだん激しくなっていく。僕は耐えきれずに、椅子から立ち上がる。カメラマンや照明さん、音声さんが動く。
 「もうわかったからわかったから」
 それでも後輩は両手を広げて迫ってくる。僕はテーブルから逃げ出して、ロビーを走る。後輩が追いかけてくる。撮影スタッフもあとを追うが振り切られる。その様子が引きの手持ちカメラで撮られている。
 僕も後輩も酔っているとは思えないほどの全速力でロビーを走り抜けていく。二人とも、その滑稽さをわかってやっている。後輩も本当は酔っていない。ロビーを抜けて手持ちカメラですら追いきれず画面から消えてしまう。しばらくして、僕と後輩は抱き合ってお互いを抱えるようにして、肩を叩きながら歩いて戻ってくる。元のテーブルまで戻ってくると、さっきまでいなかった若いスーツ姿の男が一人座っている。男の前にはチューハイの缶がきれいにピラミッドのように積まれている。
 「え?だれ?」と僕が驚いてみせる。
 「〇〇(会社名)の〇〇です。」と男は笑顔で自己紹介する。画面には「〇〇株式会社、広報宣伝部」というテロップが出ていそうだ。
 「ここの会社の人?」と僕がきく。
 「はい。」と若い男がこたえる。
 「ほんとうにこの会社の人?」と僕が疑う必要のないことを疑う。
 「はい。ほんとうです。」と男がこたえる。
 カメラはその様子を撮っている。さっきのロビーを走り去る立ち回りで、映像的には一山作れているが、そろそろオチをつけなくてはという気分がしている。僕はとっさに、若い広報担当者の前にピラミッドのように積まれた缶を一つとって、
 「じゃぁ、本社の住所、言って」と若い男に迫る。
 若い男がひるんで、笑顔がひきつる。
 「本社の住所、言えるでしょ。当然。」と僕は缶に書いてある住所を見ながら更に追い打ちをかける。
 「東京都、〇〇区、・・・、〇〇、1-3」と若い男はかろうじて住所を答える。
 ここで、目が覚める。

 製作とは全く無関係な日誌になってしまった。


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March 9, 2021

【790】製作日誌【芸術祭まであと53日】

 少し体調を崩した。寝ている間に熱が出て、朝にはだいぶよくなった。

 僕は、何かを作るときに、こんなことをやってもなんにもならないと思う期間が必ずある。こんなことになんの意味もない。なんの価値もない。というような気がしてくる。作っているものだけに限らず、すべてのことになんの意味も価値も感じられなくなることもある。

 難所だ。

 昔の僕は、この難所を目をつぶって、えいやっと通っていた。見ないようにして、勢いで乗り切っていた。それでうまく通り抜けられることも多かったが、失敗して難破することもしばしばあった。

 今はちょっと違う。難所というのは、航海で言えば、潮の流れが激しかったり、障害物が多かったりする場所だ。海峡などに多い。こういうところはだだっ広い大海原とは違って波乱に富んでいる。

 もったいないんじゃないか、と思うようになったのだ。目をつぶって見ないようにして、こういう場所をできるだけ早く勢いだけで通り抜けてしまうのは、もったいないんじゃないか。

 というわけで、できるだけ見て通るというのはできないだろうか。もちろん、そういうことをすると一時的には事故率は上がる。難所に目を奪われるというか、吸い寄せられてしまう。でも、こういうやり方を続ければ、そのうち再び事故率は下がっていくはずだ。そして豊かな何かを得られる特別な場所になるだろう。

 最近はそんなことを考えている。今ちょうど難所だと思う。いろいろと目が散っている。


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March 6, 2021

【789】製作日誌【芸術祭まであと56日】

 一日数え間違いをしていた。第1回まるネコ堂芸術祭まで、あと56日。

 今日は土曜日。アラタが家にいる。土日は基本的に製作は進まない。進めない。

 小さな子供を育てているときの独特の大変さはイメージというものに関係していると思う。この時期、子供関連でやることがたくさんあって追いつかないということもあるが、それ以上に物事がことごとくイメージしたとおりにならないということがある。二歳児は「イヤイヤ期」と言われて特にそれが顕著に出る時期の一つだ。

 どんな単純なことであれ、無意識に近い行動であれ、僕たちは何かをするのに少し先の未来をイメージして、それを実現するということをやっている。

 ご飯を食べる。という一見単純に見える行動もご飯を食べる前に、ご飯を食べている自分や食べ終わった自分を無意識的にイメージしている。このイメージは視覚的なものというよりは、全体的な体験としてのイメージだ。このイメージを実際にご飯を食べることで実現する。

 それがどうかしたのかと思うかもしれない。それがどうかするのだ。

 「手を洗おう」と子供に呼びかける。このとき僕はイメージとして子供と一緒に手を洗っているのを体験している。それが一言、「いや!」だ。僕のイメージとしての体験はかき消える。僕はもう一度イメージを作る。「手を洗って、ご飯食べよう」。「いや!」。また消える。また作る。「ご飯食べないの?」。「食べる!」。「じゃぁ手を洗おう。砂だらけだよ」。「いや!」。

 イメージのスクラップアンドビルドが延々と繰り返される。膨大な量のエネルギーが浪費されていく。これが、小さな子供を育てているときに生じる精神的消耗の大きな要素だと思う。肉体的作業として見た場合、子育てというのはそこまで過酷ではない。しかし、疲れる。親でなければ、それほど疲れないのは、そのイメージのなかに子供の占める割合が少ないからだ。

 僕も自分の子供でなければ、笑って見ていられる。しかし、自分の子供でなくても、自分のイメージの中にその子供が占める割合が多くなると、同じように疲労する。なんとなくだけど、僕が子供の頃はまだそういう大人が周りに多かったのではないかと思う。親でもないのに本気で怒鳴られることがしょっちゅうあった。今はそんな大人ほとんど見ない。僕自身にしたってそうだ。

 こういったことはもちろん、全く同じことによって、楽しさを生む。予期せぬ姿に愛おしさも生じる。大人とのつきあいではありえないような幸せを感じる。イメージの浪費、イメージのずれが生むものだ。

 言葉というのはイメージと強く関係がある。その言葉を書いたり読んだり話したり聞いたりすることはその体験をイメージとして構築し、現実的な意味と同じ原理で「体験する」ことだ。言葉の底の方にあるイメージとの結びつきを結ぶことだ。言葉が海面だとしたら、イメージの空間は海底から海面までの深さに相当する。

 製作もイメージの世界で進行する。土日は、そちらに回るだけのエネルギー量がない。すっからかんだ。

 昼寝のタイミングを見計らって、今日の分の日誌は書けた。

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March 5, 2021

【788】製作日誌【芸術祭まであと58日】

 今日もファイルを展開する。今日はそこそこ進んだ。

 気になっているのは展示方法なのだけど、気にしていても展示するべきものができなければ展示できない。展示方法に関しては、一旦保留することに決める。

 夢を見た。夢の内容は覚えていないが、かなり長い時間見ていた。それなりに濃厚な夢だったと思う。ちゃんと作品にしたいと思うようなもので、ある程度長い期間が必要なものを書いているときは、普段より多く夢を見る。ちょうど今のように芸術祭に向けて何かしらを作ろうとしているときなどは、この夢を多く見る状態になる。「扉が開きっぱなしの状態」と僕はイメージしている。普段は開けて通ったらすぐ閉めるのだけど、今は開きっぱなし。無防備でもあるけれど、来訪も多い。

 数年前まではこういうとき、悪夢を見た。「言語」の原稿を書いているときは連日のように酷い悪夢を見て、眠るのが怖くなった。明らかに書くことの影響だとわかっていたから、書くのをやめれば見なくなるのも知っている。だけど、それだともう一生書けなくなる。そういう僕にしては珍しく思い詰めるような時期があって、やはりそれでも書きたいと思って悪夢を見続けながら書いているうちに、悪夢にも慣れてきた。1年から2年ぐらいはかかったと思う。そうすると不思議なことに悪夢の性質も恐怖から悲しみへと変わっていった。僕のベースは恐怖ではなく、怒りでもなく、悲しみなんだと思う。最後は悲しみの深い海が現れる。

 その後も、夢の強度は薄れている。今こうやって製作に入っても、途中で目が覚めるような強い夢は減った。とはいえ、それほど強度を持たない夢は書いていない時期よりは格段に多く見る。ちょっといつもよりドキドキしている。扉が開きっぱなしになっている。無防備だ。悪い気分ではない。むしろ心地よい。

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March 4, 2021

【787】芸術祭まであと59日。製作日誌。

 ゴールデンウィーク、5月1日と2日にやる第1回まるネコ堂芸術祭。その出展作品の製作が思うように進んでいない。思うように進まないのはいつものことで、だいたいこういうたぐいのことはいつもギリギリまで思うようにはなっていない。だから、毎度同じ状況なのだけど、毎度毎度焦ってしまったりする。

 思い描いているという視覚的な比喩よりは、雰囲気として持っているような「イメージ」がある。それをどうにかして作る。僕の場合、言葉でやるのはもう決まっている。胸のあたりがざわざわしている。

 ちょっとリズムをつけるために、こういう「あと何日」的な製作日誌を書いていってみようと思う。ブログに書く理由は、芸術祭を盛り上げる宣伝にもなるかなという下心である。そううまくは行かない予定である。

 今日も製作途中の作品を自分の意識に展開する。グーグルドキュメントのファイルを開くという具体的作業でもあるのだけれど、それだけではなくて、そうやって開いたファイルを自分の意識に展開して、その空間を作る。一文字も書けなくても、その空間には居る。



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March 3, 2021

【786】まるネコ堂ギャラリーの展示替え。


二ヶ月に一度の展示替え。自分の家に絵を飾る。

来てくれた人が見てくれるというのももちろんあるのだけれど、自分で毎日のように見たり、それが存在しているという存在感を感じるのはなかなか新鮮なもの。絵を飾ることの意味がようやくわかってきた。

来ていただければ、いつでも見れます。だいたい毎日在堂していますが、念の為にご連絡いただけると幸いです。この展示は4月末頃までです。

作品についての解説は、大谷美緒のブログを御覧ください。


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★3月16日開催
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
https://gengoweb.jimdofree.com/



【785】夏の合宿。

夏合宿のお知らせです。

いつもこうやってお知らせをするときは、季節が全く違う時期で、今だったら夏のことを考えると遠い懐かしさとしてあります。未来なのに。

今日は眩しいぐらいの日差しですが、それでも夏のものとは比べ物になりません。

お待ちしております。

言葉の表出、夏合宿2021


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
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March 2, 2021

【784】最初から飽きている。

 「飽きる」ためには少なくともそれ以前の一時期に「熱中している」というような時期があるはずだ。熱中しているときは自分が飽きるとは思っていない。そういうことが入り込む余地がないような状態を言うのだと思う。

 でもどうなんだろう。ネットサービスなど特にそうなのだけれど、最初からどこかもう「飽きている」ような感じがする。熱中するということ自体の水位が最初から低く、予め飽きて去る準備をしている。

 何かが飽和している。何もかもかもしれない。

 飽和した世界において経験できることは人間の一生を超えてしまっている。どんな本好きであっても、すべての本を読むことはもうできない。重要だとされる古典を網羅することだって大変だ。

 一つのことに長い時間をかけるということだけでもう、時代に逆行していると取られる。時代の流れに乗ることを欲したとしたら何も困らない。そこら中に溢れている。何もかもが似たようなもので飽和している。スクロールさせれば次々に出てくる。

 だからこそ、あるいは、しかしながら。

 僕は、一つのことにじっくりやってみると良いと思う。今となってはなかなか味わえない時間や空間の雰囲気を味わうことができる。長い時間で生きることができる。長い時間を生きることができる。数百年後、世界はどうなっているかなんて考えることが楽しい。自分で確かめることはできないが、最大限に考えられる。

 四月からはじめて二年間続ける「エチカ」ゼミに対して、そんなことを考えている。

 少しずつ申し込みが増えて、今の参加者は四人。気になっている方はぜひ。

 一度はじまってしまうと終わるのは二年後の2023年です。

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