May 31, 2015

【170】鰹節がうまく削れた。

ここしばらく感じていなかった爽快感がある。
どうやら向きの問題だった。
粉々になってしまっていた原因は。

新しい鰹節になったので、削り方を調べてやったら上手く行った。
参考にしたのは、このページ。

澪にかんなの刃を研いでもらったのも良かった。

ものすごく気持ちよく削れた。

手伝ってくれたのはパーちゃん。
お手本に従い、手前から押す方向に削っている。
こういうことで、
今日はもうこれで良いという気分になる。

May 29, 2015

【169】円坐案内文。

6月21日にまるネコ堂で円坐をします。
その案内文です。

===
円坐のたびに何かが更新されていく。
しかしそれは、
そのたびに円坐というものの本質に迫っていく、
というわけでは無い。

川を眺めているのが好きで、
僕はずっと眺めていたい。

眺めているうちに、
少しずつ土砂がたまり、
流れの中に中洲が現れたり、
消えたりして、
だんだんと大きくなる。
そのうち、
背の低い植物が生えて、
人が集まり、市が立つ。
やがて大きな洪水が来て、
出来事としての僕が
流れる。

高まりでも深まりでもなく、
その無為さだけが
確かなことで有る。

大谷隆

======
▶日にち :6月21日(日)
▶時 間 :12:00~19:00
      セッション1 12時00分〜14時00分
      セッション2 14時15分〜16時15分
      セッション3 16時30分〜19時00分
▶場 所 :まるネコ堂
      京都府宇治市五ケ庄広岡谷2−167
▶アクセス:JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩15分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
http://marunekodosemi.blogspot.jp/p/blog-page_7.html
▶坐主(ファシリテーター):小林 健司
▶参加費 :3500円
▶定 員 :8名
▶申込先 :http://goo.gl/qouj1O
      もしくはtak@marunekodo.jp (大谷隆)

※可能であれば終了後、会場で夕食(800円)も一緒に。

May 28, 2015

【168】混ざったものとしての日本。

今読んだり、聴いたり、考えたりしていることからぼんやりと思いうかんだことをメモ的に書いておきます。(あまり検証していません)

網野善彦、吉本隆明の日本論と天皇論。
いずれも同じようなことを言っている。
「日本」という場所は、単一の種族から成り立っていなかった。
「日本」という場所は、孤立した場所ではなかった。
網野善彦は例えば『日本の歴史をよみなおす』、吉本隆明は講演『宗教としての天皇制』

ここからは、僕の考え事(思いつき)です。

日本語というものを表記する方法として平仮名、片仮名、漢字がある。もともとは大陸から持ち込まれた漢字から片仮名と平仮名が生み出された。これらの文字を駆使して、例えばこんな文章がさらっと作れる。

 最近、日本人のアイデンティティがゆらいでいる。

アイデンティティというのは「identity」であるから、次のように書こうと思えば書ける。

 最近、日本人のidentityがゆらいでいる。

この2つの文章は、読んだ時の理解が異なる。

前の表記のほうが後の表記より圧倒的にしっくり来るし、分かった気になる。英語という言語においてidentityという語がどのような状況や文脈で使用されるかを知らなくても、つまりその語の周辺にどのような言葉と経験のネットワークがあるかを知らなくても、アイデンティティという「半日本語」にしてしまえば容易に受け入れられる。

さらにいえば、「最近」というのもおそらくもともとは中国語だったはずで、だとすると、上記の文章は、もともと中国語であった言葉ともともと英語であった言葉を日本語の中に継ぎ目なく組み込んでいることになる。

よく日本人は、海外の優れた技術を模倣するのが得意だと言われる。でも、よくよく見ると単に模倣しているというよりは、日本という場所に組み込むようなことをしている。日本車、家電製品、携帯電話。

もっと簡単に言うと、混ぜている。

平仮名や片仮名といった文字自体も漢字を日本という場所に混ぜるために生まれた。その使われ方も日本以外の言語を日本語として混ぜるために使われている。ように見える。

混ざったものは、混ざる前のものと比べて、濁りがあって不明瞭なところがあったりするだろうし、どっちつかずな状態にもなりやすい。大江健三郎の「あいまい(アンビギュアス)な日本の私」というのは、この混ざりやすさ、すでに混ざっているものとしての日本という場所によって生じてきていることなのではないか。

と書いてきて、椹木野衣の『日本・現代・美術』には実はそういうことが書いてあったなと思いだした。

【167】ハエが飛んでる。

家の中をハエが飛んでいる。常時10匹ぐらいは飛んでいる。発生源はおそらく勝手口近くのコンポスト跡で、未分解の猫の糞が大量にある。去年は3匹のうち2匹が子猫だったので量が少なかったが、今年は十分に成長している。微生物やミミズの分解が追いつかない。分解が追いつかないコンポストは、天候が悪くて乾かない洗濯物と同じで残念な代物になっている。

ハエ自体はまぁ、もともと高かった「昭和の家」度がさらにグレードアップするぐらいで、直接的にそんなに大きな害はない。害はないけど、常にぶんぶん鳴っている羽音と時々視界に黒いゴマのように入ってくるのは、耳障りであり、目障りであり、気が散る。さらに、ついこの間までのあの春の爽快な空気から一転して、肌にまとわりつくような湿度が鬱陶しい。これがまたハエの活動が活発化する温度湿度環境と合っているのだろう。

ちょうどぴったりまさにこのタイミングで、5月のハエ。

最近はこういうどうでもいいことが次々に湧いては消えていく。このブログも下書き4本目でようやく「公開」ボタンを押す気になる文章に成った。それがこれだというのだからもう、夏に向けて着実に思考が腐っていっている。例年通りである。

May 26, 2015

【166】それっぽさの確信と共有。

平安神宮に来てみた。応天門の下の石段に腰掛けてこれを書いている。

神社というのがそもそも何を祀っているのかということについて、以前そう君に教えてもらった「空っぽの空間」という話を思い出す(無印良品「原研哉氏トークイベント採録」)。

空っぽの空間つまり空き地、それを囲うと「シロ(代)」、屋根をつけると「ヤシロ(社)」。無いということを顕在化させ、意識化したもの。そこには何も無い、しかし、厳然と空間はあって、だとしたら、そこに有る得るものは何なのか。形而下の無存在が形而上の存在を誘発する。つまり、神が宿る。

眩しいぐらいの白い小石が広大な敷地に敷き詰められ、朱い柱と緑の屋根の建物に囲まれている場所。そこに何故か次々と人が訪れる。無い場所に人が訪れる。人が訪れることによって、人が訪れる目的が生じてくる。ここに訪れるべき何かがあるから、ここに来ている。

ここに人が来る目的は無い。
無いという目的を果たすために人はここに来る。
そういう気分になる。

何も無いことによって生じる、何か特別なものが有るに違いないという確信、その確信が多くの人の間で共有できること。何も無くただそれっぽいことこそが神ということなのだろう。

May 24, 2015

【165】一神教と定冠詞

グーグル翻訳。順序が「定冠詞と一神教」だと
定冠詞theは入らない。
少し前にトムと出会った。

トムのお父さんは日本人でお母さんはアメリカ人(だったと思う)。トムは英語とスペイン語と日本語ができる。トムのことを知ったのはけんちゃんからの誘いで、最初「トムという人と知り合った。彼を先生に英会話教室みたいなものをやるから来ないか」という話だった。

僕は英会話には興味が持てなくて、せっかくけんちゃんが誘ってくれているのにどうしても乗り気になれなかった。だから、言い訳じみたメールを書いて行かないと伝えた。伝えたものの、なんとも自分に対して嫌な感じが残った。

僕が外国語に興味を持てない理由ははっきりしている。苦手だからだ。特に英語がとても苦手だ。なまじ言葉を扱うことを仕事にして、そのことに得意でいるから、言葉が通じないと完全に手も足も出なくなる。それを僕はよく知っていて、その感じを味わいたくない。これはもう不安というレベルの話ではなく、恐怖としてある。

にも関わらず、そのトムに別の機会で直接会うことになった。けんちゃんと同じフェンスワークスのそう君のはからいでだった。

一泊二日、トムやけんちゃんやそう君たちと一緒にいた。先に帰るというトムを駅まで送ることになって、道すがら僕はトムと少しだけ話をした。それまで、寝袋を広げる場所をお互い確認した以外に二人きりで話したことはなかった。

みんなと一緒にいるときにはトムも僕もそこにいる全員に向かって話をしていたから、トムがどのような話し方をするのかはわかっていた。

「トムは言葉を正確に使いますね」と僕は言っていた。言葉少ななトムの日本語の話し方が好きだったし、それをなんとか言い表したかった。こんなことを言われて当惑するだろうかと思ったが、その時は他に言いようがなかった。

僕は小さい時、文字に興味があった。文字や言葉を覚えるのが好きで、本を読むのが好きだった。小学校に上る前から絵本ではなく本を読んでいた。親はどんどん本を僕に与えた。少しずつ本の対象年齢が上がっていって、実年齢との乖離が起こり始める。すると本の中に僕の知らない言葉が現れ始める。知らない漢字も出てくる。そういうものに遭遇すると僕はいちいち親のところへ行って「これなに?」ときいていた。

親も最初は丁寧に教えてくれていただろうけれど、そのうち面倒になる。ほどなく、国語辞書と漢字辞典をよこして、使い方を教えた。

それ以来、僕は大半の言葉の意味を辞書で最初に知ることになる。辞書を引く習慣ができてよかったね、ということではなくて、もっと重大な結果として、僕は言葉というものの意味と使われ方を優先して辞書から写し取っていった。

おとなになってから、そのことの特殊性に気がついたけれど、多くの人は言葉をそのようには習得しない。おそらく母語であれば特に、また外国語を上手に修得する人も。言葉はそれを使う人がどういう状況と意図で使っているかを内包してその意味と使われ方が伝達されていく。どのような状況と意図で使っているかを共有することの方が、言葉の意味が辞書通りかどうかよりもずっと重要なのだ。僕はそのことにとても長い間気が付かなかった。

おそらく僕は、そういう成り立ちによる僕の言葉に対する見え方とトムの日本語の話し方に似たものを感じたのだ。トムの日本語の話し方は、言葉をとても正確に扱おうという意思が感じられた。トムは辞書で日本語を学んだわけではないかもしれないけれど、どこか僕と同じような感覚を持っている気がした。

「トムは言葉を正確に使いますね」と言ったのはつまり、僕たちは似ていますねということを伝える暗号のようなものだ。

その初めての出会いからしばらくして、今度はフェンスワークスのひとみちゃんから2回目の英会話教室があるから来ないかと誘われた。僕はあっさり行くことにした。トムと会って話がしたかったからだ。

2回目の英会話教室のその日まで、それでもやっぱり英会話教室というものへの恐怖はあった。参加する顔ぶれから典型的な英会話教室にはなりえないことには確信があったけれど、それでもなにか英語的なものへの興味関心を基礎にした場になってしまったらどうしようかと思って、あらかじめ2つの質問を僕は準備した。

その2つは、僕のように日本という文化に閉じ込められている者にとって、どんなに想像しても得られそうにない視界で、実際にいまだかつて僕をそこに連れて行ってくれる人はいなかった、僕にとってはそんなところにある問いだ。

「いくつかある一神教の神は同じか」
「定冠詞とは何か」

一神教と定冠詞は全くバラバラに僕の中に異物としてあって、どうしても消化できない。消化できないがゆえに、僕にとってかろうじて興味を持てる「英語」にまつわるトピックであり続けている。

英会話教室の日、会場のトムの実家に着いて、予想通り「英会話教室」という呼び名からかけ離れた場が続いた。もう大丈夫だと思えて安心したのか、逆に準備してきたものを試したくなった僕は休憩時間に思い切ってトムに質問してみた。

「いくつかある一神教の神は同じか」

トムの答えは日本語で「必ずしもそうとは言えない」という、とても誠実なものだった。僕はそこからなんとか進みたかったけれど、僕には取り付く材料もなければトムから何かを引き出す能力も無かった。

2つ目の定冠詞は質問するのをやめた。質問しても一つ目の質問と同じように、いやそれ以上に僕の材料と能力の不足が露呈するだけで、何も話が始まらないだろう。

この時ほど僕は、英語が話せるようになりたいと思ったことはない。英語で一神教と定冠詞についてトムと話がしたかった。一神教も定冠詞も、日本語以外の領域に属するものである以上、日本語でたどり着けるところには無いのではないか。

だとしたら、僕が英語、もしくはそれ以外の適切な外国語を修得する以外にはない。こうして書いてきて今、僕はすがすがしいほど絶望的な気分でいる。

May 22, 2015

【164】蕎麦を食べた。


蕎麦とじゃこおろし。
昨日のことになるけれど、蕎麦を食べようと思って夕方鰹節を削っていた。この前やった時は削る量が少なすぎて、つゆがうまくなかった。もうだいぶ小さくなって鶏の卵ぐらいの大きさになっている鰹節を測りに乗せると、それ全部で15gしかなくて、水の分量に対しては、全部削らないといけないとわかった。

箱がついていて、かんなが逆さまに付いている鰹節用の削り器はうちにはなくて、普通のかんなをひっくり返して使っている。手前のほうが高くなるようにおいて、向こう側の低くなった面を左手でおさえる。鰹節は右手に持って、奥から手前にスライドさせて削る。削った鰹節はかんなの下に溜まっていくので、テーブルの上に紙を敷いておいてそこにためていくようにする。

かんなと鰹節。
うまく削れていない。
削り始めると決まって猫のしっぽが降りてくる。しっぽはもう大人なので、ガラスの扉の向こうでただじっとこちらを見て座ったまま、わけまえを待っている。小さい猫二匹は鰹節には興味が無いようで二階から降りてこないが、こっちの二匹も鰹節好きだったら黙って座っているということはできないはずで、しきりに鳴き声を上げたはずだ。しっぽの視線を感じながら、次第に持ちにくくなっていく鰹節を削っていたら、近所のおじちゃんが庭にやってきた。

もちろん、しっぽと同じように鰹節のわけまえが欲しかったから来たわけではなくて、おじちゃんが散歩でつれている柴犬がうちに入りたがるから、いつもやってくる。アラレちゃんというその犬は、少し前に近所を一人で歩いているところを僕と澪が見つけて、保護したことがある。その時はそのおじちゃんのところの犬だとは知らなかったから、夕方見つけてから夜遅くまで、近所を歩き回って、その柴犬に見覚えはないか、そういう柴犬を飼っているという情報はないかと探した。犬は散歩で出歩くので犬を飼っている人のネットワークは猫好きのそれよりも活発で、いろんな情報が次々と出てきたが、なかなか当人まで行き当たらなかった。あとで考えると一人だけ正解を言っていた人がいたのだけど、結局夜遅くなっていたので、捜索を諦めて、家に犬を入れて一晩様子を見ることにした。

翌朝、おばちゃんがやってきて、うちの犬、来てますかという。昨夜澪が描いて出しておいた犬の似顔絵と「迷い犬保護してます」という看板を手に持っている。こうしてあっさりと飼い主のところに戻ったのだけど、このおばちゃんとおじちゃんというのが、うちから出て右手、50メートルほどのところに住むご近所さんで、それ以来ちょくちょくやってくる。どういうわけか、アラレちゃんに僕も澪もものすごく気に入られたらしく、散歩で家の前を通るたびに庭まで力ずくで入ってくるのだ。おじちゃんとおばちゃんは、家庭菜園をしていて、そこそこの量の収穫があるようで、それ以来、かぼちゃ、玉ねぎ、さつまいもといったように何かと持ってきてくれる。

今日もおじちゃんのあとからもう一匹の小さめの犬を連れたおばちゃんがついてきて、「この前の玉ねぎ美味しかった」と僕がいうと「大根あげたかな」という。もらっていないというと、家まで来たら上げるよ、となって「辛味大根やから普通のとちごて辛いけどな」「ちょうど蕎麦にしようと思ってたからうれしい」などといって、家まで一緒にいく。

おじちゃんたちの家まで行くと、庭で作っているかぼちゃやニラやきゅうりの話をして、大根をもらって帰ってくる。まだしゃきっとした葉っぱがついた大根の葉を切ってゆがいてからごま油と醤油と味醂で汁が飛ぶまで煮てふりかけのようなものにする。それから澪が蕎麦を打ち、辛味大根をおろして、食べた。たまたま直前に実家からちりめんじゃこをもらっていて、それを大根菜のふりかけにも入れる。大根おろしも少し蕎麦の分とは分けて、じゃこおろしにして醤油をかけて食べる。昨夜のとても都合の良いご馳走はそんな風にして出現した。

May 21, 2015

【163】コンクリート上の植物。

第2号地に苔を移植。
塀に登って雨樋を覗いたら苔が生えていた。
それを先日のコンクリート上に畑か花壇を作る計画で作った囲いの隅に移植してみた。
【160】コンクリートの上を直接、畑か花壇にしたい。

湿っていたほうが良さそうなので、水をかけてみた。
一面苔で覆われたらうれしい。
なんとなくそれっぽく見える。

わかりにくいけれど第1号地にも移植。
ところでこれ、なんという苔なんだろう。
調べるとギンゴケっぽいけど。

そして、3年後。
【430】コンクリートの上の花壇、3年後。

【162】沖縄の海。

沖縄は看板の文字が美しい。
右足を上げて体をほんの少し前に倒せばいい。
あとは重力が全てを引き受けてくれる。
そうわかっていても、その一歩が踏み出せなかった。
水面から2メートルほどの高さの小さな防波堤の切っ先に僕はいて、
すでに15分近くが経っていた。

一昨年の9月の10日間、
僕と澪が滞在した糸満の友人の家は、
風の通りをよく知って作られていた。
島全体を絶え間なく揺さぶる大きな空気に包まれて、
僕は10日間、ただ昼寝をしていようと思った。
素敵な友人二人は、僕らを観光などに連れ出さず、
ちゃんと放っておいてくれるのだ。

それでも、泳ぎたいというパートナーの澪にうながされて、
奥武島(おうじま)のビーチに夕方になると通った。
目当ては、泳いだあとに店先で揚げたてをつまむ「さかな」と「もずく」のぼってりとしたてんぷら。
このためにまた沖縄に来てもいいと思えるほど美味しくて、
白い外壁に黒で直接描かれた明朝体の文字は、
これまで本土で見たどの看板よりも美しかった。

イアリングのように沖縄本島にくっついた奥武島には小さな橋で渡る。
ビーチはその橋のすぐ脇にあって、
夕方になるとどこからともなく水着の子どもたちが現れる。
ゆるくアーチ状になった橋の欄干を子どもたちはたやすく乗り越え、
水面まで3、4メートルは落下する。躊躇なく。

僕はというと仰向けに浮かんで雲を見ながら潮に流されるばかりだったけれど、
子どもたちの飛び込む様子を毎日毎日眺めていたら、
いつのまにか遠い記憶にある落下感に魅せられていた。

しかし橋は高すぎる。
そこで見つけたのが防波堤。
こちらは水面から2メートルほどで、
小学校低学年がまずここで練習し、
やがて橋へとステップアップするのだ。

小さな先輩たちがいなくなるのを見計らって、
10メートルほど浜から突き出したコンクリートの防波堤の上を歩き出した。
幅約50センチ。
一歩一歩水面が遠のいていき、高所恐怖症で歩幅が縮んだ。

どうにか尖端まで辿り着いて、
最初の3分を、縮こまった脚と背筋が伸びるのに使った。
次の3分を、水面と水中の安全確認に使った。
そしてもう、やることがなくなった。

右脚を上げて体をほんの少し前に倒せばいい。
あとは重力がすべて引き受けてくれる。
そうわかっていても、その一歩が踏み出せない。

もはや振り返って同じ道を戻ることすら脚が拒否している。

足の裏に感じるジリジリと焼けたコンクリートの拷問。
ここに立っていられるのも時間の問題であるのに、
進むことも戻ることもできないのだから、
その時は永遠に訪れない。
恥も外聞もなく、立ち尽くすさらなる拷問。
遠くの水面に浮かぶ澪と友人が憎い。

シミュレーションは繰り返される。
訪れるはずの浮遊感を自分の中に「予め再現」し、
未来と現在を無理なく接続し、現在地からの離脱点を目指す。

勢いをつけるのではなく、ただ、するりと。
自分の内側の圧力を徐々に高めていく。

風船ガムを膨らます要領で、
少しずつ内側を外側へ押し出していく。

落下予定の水面に引き込まれすぎると、
意識と吹き出す息に勢いがつきすぎて、
膨らみかけたガムの表面に穴があく。

遠くの空や雲に視線を逃すと、
ガムの膜の張力に内圧が負けて、
しぼんでしまう。

外圧と内圧の双方がバランスよく高まっていって、
綺麗に球を保ちながら、
穏やかに膨らんでいく。

宇宙船同士が無重力状態でドッキングするように、
ピタリと内と外があった時、
するりと、自分が内から外へと滑り出す。

引き返せない未来が現在に置き換わる。

May 20, 2015

【161】二人で10個ずつ減らす。付喪神とのつきあい方。

畳の縁から手前が僕が選んだ10個、
奥が澪が選んだ10個。
不意に思い立って、パートナーの澪と二人で家のものをそれぞれ10個選んで減らす、という遊びをやった。ストレス発散。エンターテイメント。

1 二人でそれぞれ10個選ぶ。
2 それを1つずつ(もしくは同じものを複数個ならセットで)、出す。
3 お互いに依存がなければそれを減らす。

家にあるものはなんでも選んでいいというルールだったから、一悶着あるかと思ったけれど、一つを残してお互いにわりとあっさりと処分に同意した。

一つだけ、澪が抵抗したのは、使い古したアクリルたわし。なぜそれだけ反応したのか、一般的には他にずっと「価値がある」ように思われるものをたくさん自分で選んでいるし、アクリルたわしが「ときめく」ものだとも思えない。

しかし、人がある程度以上の時間や労力を投入して、何かしらの変化を引き起こした物に宿る何かがたしかにあって、これが「付喪神」なのだろう。この遊びは、やってる最中はとても興奮して楽しいのだけど、終わった途端ふたりともなぜかぐったり疲労した。

人間がどうしても持ってしまう愛着というものを不適切に扱ったという感覚がどこかにあって、そういうことをうかつにやると人は憑かれる(疲れる)。

一旦は澪も同意して捨てることにしたアクリルたわしだったけれど、このブログを書いているうちに今度は僕が捨ててはいけないような気分になって、結局は使い続けることにした。

ただし置き方は変更した。それまでは洗面台の上に所在なく放置されていて、いつもなんとなく湿っていたのが嫌だったので、壁にかけて居場所を作った。
件のアクリルたわし。
壁にかけて「見せる」ことにした。
澪が妙にうれしそうにしていて、それがなぜかほっとする。

May 18, 2015

【160】コンクリートの上を直接、畑か花壇にしたい。

写真で見るとセメントもいい感じなのだけど。
我が家の旧玄関に通じる通路はコンクリートがうってあって、当然ながらその上には草も何も生えてこない。これがなんとなく嫌で、できれば生えてきてほしい。

いや、コンクリートの上に生えてこないというのは正確ではなくて、例えば、
左側も「地面」はコンクリートなのだけど、
こうして植物が侵食している。
この写真のように、「土」がなくても植物が生えているところがある。

正確には土がないわけではなくて、ものすごく微量でいいとか、コンクリートの僅かな亀裂から生えているとか、コンクリートの表面を蔦のように覆っているかしているのかもしれない。

いずれにせよ、腐海が溢れてくるように、粘菌が育っていくように、生物たちがたくましくコンクリートを侵食していくさまが僕は好きで、そういう意味で僕は青いコスチュームの少女の南方熊楠的な視界を得ていると断言できる。

なのだけど、我が家の旧玄関前の広いコンクリート面にはなかなか侵食がはかどらないようで、このまま言い伝えにある大海嘯を待つよりも、人類の英知を使って干渉した方が早そうだと判断した。

で、作ったのが、これ、
第1号地。バランを投入。

とこれ、
第2号地。
レンガ造りで風情がある。
問題はたぶん、少しずつ堆積しているはずの砂や土が雨のたびに水に流されてしまっているからで、だから、それをせき止めればいいと、ブロックとレンガを並べてみた。本当はここに土をたっぷり入れてやればいいのだろうけど、それは面倒なので、とりあえず、そこらにあった草を引っこ抜いたのと、隣の家のザボンの花びらがたくさん落ちていたのを拾って、投げ入れてみた。幼稚園児がやりそうな行動で自分でもかなり恥ずかしいし、だいたい植物の繁栄を助けるはずなのに、草をむしっている矛盾は言い逃れ出来そうにない。

ともかく、しばらくは草などを投げ入れ続けてみて様子を見ることにする。うまく土壌が堆積すればそのうち木だって生えるかもしれない。コンクリートの上に。

コンクリートの上には何も生えない、と最初は思っていたけれど、よく考えると土壌なんて数センチあればとりあえず十分なはずだし、だいたい自然というものを取り戻すためにわざわざコンクリートを剥がすような工事が必要というのも変な話だと思う。たぶんどんな文明のどんな都市も数センチ土に覆われれるだけであっけなく自然に戻るのではないだろうか。

以下に続きます。
【163】コンクリート上の植物。
さらに3年後。
【430】コンクリートの上の花壇、3年後。

May 17, 2015

【159】悩んで買った水切りカゴを撤去した。

調理スペースに手ぬぐいをしいた。
調理するときは片付ければいい。
1年半ほど前に買った水切りカゴ。
いらなかった。

それ以前に使っていたカゴがかっこわるかったから、澪と二人でものすごーく悩んで、検討を重ねて、後悔しないようにと値段が高くても良い物を選んだつもりだった。

それがこれ。


いいお値段である。

でも、いらなかった。

いや、水切りカゴとしてはかなり優秀だと思う。
しっかり考えられている。
でも、僕達にはいらなかった。

気に入らないものがあったら、まずそれが無い状態を試して、そこから、その物が果たすべき役割を再構築すればよかったのだ。そうすれば手ぬぐい一枚で代替できるとわかったのに。

ここ数ヶ月にわたって、実はいらないのではと思っていたのだけど、なかなか澪に言い出せなかった。でも言ってよかった。澪も一瞬変な顔をしたけれど、一度なくしてみようと同意してくれた。

【158】僕の原爆。

これが「京都府」から届く。
行政の仕事の幅広さを感じる。
京都府から「平成27年度全国戦没者追悼式の参列について(照会)」という書類が届いた。

実は、数カ月前にも似たような書類が届いていて、そちらは同年度の「広島市原爆死没者慰霊式の参列について」だったはずだ。封書を開き書類を眺めて数秒間、僕には一体何のことかわからなかった。あぁ、あれかと気がついたのは、父が死んだ時に返却した「被爆者手帳」の古ぼけた表紙を思い出したからだ。

僕の父は広島で被爆している。当時の家は広島市中区大手町2丁目だか3丁目だかにあった。爆心近くの原爆ドームが大手町1丁目だから、幼児だった父が自宅にいれば、「僕」はまずこの世に存在しない。たまたまその朝、祖母と父は出かけていて、とある駅で祖母が父を背負ったその背中側から熱線を浴びた。

だから祖母も被曝しているが、被曝量で言えば父の方が多かったらしい。

まだ小さかった父のために祖母は医者に相談した。当時のどういう知識から医者がそういったのかわからないが「ぶどう酒を飲ませなさい」と医者は答えた。祖母はぶどうを買ってきてぶどう酒を作り、それを父に飲ませ続けた。60年以上後になって死ぬ直前まで毎日父が愛飲しつづけたワインの理由がそのぶどう酒のせいだったかどうかはわからない。

その祖母が死んでからもう10年ほどは経つけれど、その時に父宛に同じように「原爆死没者慰霊式の参加について」が来ていたかどうかはわからない。少なくとも僕のところには届いていなかった。

祖母も父も被爆者ではあるが原爆によって死亡したとは言いがたいほど、生きた。原爆による何らかの後遺症があったかどうか、少なくとも僕は聞いたことがない。被爆二世に該当する僕自身に何らかの影響があったかというと、意識できることとしては何もない。

父は晩年になるまで医療費全額国費という強力な被爆者手帳を使用しなかったようだ。病気がひどくなり医療費が上がってきてから手帳を出したらしい。意図はわからない。

父から原爆のことを直接聞いたことはない。祖母からは子供の頃に「ピカ」「川が死体でいっぱいだった」という言葉を聞いた記憶があるけれど、それしか僕は覚えていない。ぶどう酒の話も含め、上記のことを僕は母から聞いた。

そういう事実がある。

原爆投下から70年たった今、突然僕は自分が原爆死没者遺族「になった」と知ったのだけれど、だからといって原爆死没者遺族を僕は「になう」ことはできそうになくて、遺族席に自分の場所があるとはどうしても思えない。だから「広島市原爆死没者慰霊式の参列について」の書類は捨ててしまった。武道館である「全国戦没者追悼式」にも参列を希望する気はない。

しかし、この夏僕は、広島へ行こうと思っている。

それは「僕」というものが根こそぎ存在しないという仮定を置くことができる決定的な出来事として「僕にとっての原爆」があるからで、70年後の原爆を僕は目撃したいのだと思う。

僕の非存在と共に有る原爆、そういう卑近なところからしか僕は何も見ることができない。

次へ

May 16, 2015

【157】蕎麦が戻ってきたかもしれない。

つゆ用の鰹だし。鉋の調整がうまくできないからか、
鰹節が良くないのか、粉々になってしまった。
2年前ほど前、毎日のように澪と二人で蕎麦を打っていた時期があった。美味しいという単純な味覚に由来する動機の他に、うまくできたりうまくできなかったりするという自己の成長に由来する動機があって、蕎麦打ちは特に後者が強い。そして、特に料理という分野でこの2つの動機が組み合わさると僕たちはそこから逃れることが難しくて、毎日同じことをやってしまう。

難しいとか手間だとか思われがちだけど、ある程度慣れてくると「今日は蕎麦を打とう」と決めた瞬間から1時間後ぐらいには蕎麦を食べることができる。想像するよりもずっと手頃な料理である。当時は、毎回お腹いっぱい食べていたけれど、僕も澪をみるみるうちに体重が減って、病気じゃないかと疑われたりした。

それが、仕事が忙しくなってきたかで、打たなくなった。僕も澪もこういうところが似ているのだけど、興味を持つともうそれしかしなくなり、興味を失うと一気に距離があく。来客があったりして、たまに打っていた気がするけれど、単発的で長続きしなかった。

それでも蕎麦自体は好きだから、たまに食べたくなって、先日東山の和室に泊まった時にイオンの冷凍の蕎麦を買ってきてゆでて食べたら、やっすい冷凍モノでもやっぱり美味しくて、少し蕎麦が自分に近づいてきた。昨夜買い物に行った時に、乾麺のやっすい蕎麦を買って、今日茹でて食べたらさらに美味しくて、これは蕎麦が戻って来ている。

早速、おそばドットコムで蕎麦粉を注文して、届いたらまた蕎麦打ちの日々が始まる、かもしれない。

おそばドットコム
http://www.o-soba.com/

うちでは、田舎そば庵というのをいつも買う。
二八で打つことが多いので、

そば粉 田舎そば 庵 1kg✕2個
小麦粉 そば専用つなぎ粉 500g✕1個
打ち粉(花粉) 500g✕1個
こんな感じで買うことが多い。
打ち粉は小麦粉ではなく、蕎麦の実の芯の部分(更科粉よりも中枢?)らしい。

May 15, 2015

【156】要求と応答の罠。

どうして人は、他人に過大な要求をしてしまうのか。

自分は他人の要求に応答し得ているのだという自負を「自信」と呼んで奨励するから、「要求と応答」が際限なく継続的に発生し続ける連鎖的な状況を生み出している。自己の成立基盤が敬虔から自信に移行して以来、一貫して進行し続けた。

自分は他人の要求に応答しているのだから、他人が自分の要求に応答することを自分は他人に要求できるという、要求と応答の飽和が生じている。限度を超えた要求と応答の濃度に、我々は自家中毒に陥っている。社会というものは他人への要求と応答によって発生したのに、社会での要求と応答の濃度が、人が生きていくには不的確な水準にまで上がってしまった。高度で緻密な要求と応答は、テクノロジーでブーストされ、高速度カメラでスロー再生しないと目の前で何が起こっているか見えないぐらいである。

だから今や、他人の要求に応えないという「無能」の自負を持つほうが、この要求と応答で飽和した世界には適応できる可能性があるのではないかとすら思える。希望は無要求無応答にあるのではないか。生きている人(お互いに応答の責務を負わなければならない他人)とのつながりを最小化しようとする人の動きは、社会の物質的飽和を基盤として、部分的に確かに成立しようとしている。

May 14, 2015

【155】ガスコンロに亀裂。

気が付くとこんな亀裂が。
写真中央の燃焼部分左下。
ガスコンロの炎が出る輪っかの下の部分に全周の1/3ぐらいにわたって亀裂が入っているのを発見してしまった。よく見ると逆側にも小さな穴状の亀裂があり、全体にわたって薄くなっている模様。このまま使い続ければ上に乗っている燃焼部分全体が落下することは確実。部品交換で修理できないかとネットでパロマのサイトを調べたけど、この部分の部品は取り寄せられなそうだった。

こんなになるまでどうして気が付かなかったのか不思議だけど、気がついた時にはこんなになっていた。

グリルだとかそういう便利機能は一切ついていない単純なふた口コンロで、気に入っていたのだけど、買い換えるとなるとそこそこの値段なのでどうしようか思案中。

まだしばらくは使えそうなので、もうしばらく考えてみる。

【154】隣から聞こえてくる謡の稽古。

お隣のおばちゃんが謡のお稽古を家でしてもらっていて、それが時々聞こえてくる。寒かった頃は窓を閉めていたようで、耳を澄ませば聞こえてくるという感じだったけど、先週は窓を開けていたようで、響き渡るように聞こえてくる。

隣のおばちゃんは、前はカラオケボックスで一人でやっててんけど、それやと上達せえへんから先生に来てもらってんねんといっていた。

時々聞こえてくるとても安定した音というのは、それだけで何か確固たるものという気がして、他には週に2、3回やってくるお豆腐の引き売りの「パープー」というラッパの音とか、月に1回ぐらい数人でやってくる黄檗山萬福寺のお坊さんの「おぉおおおおぉおお」という托鉢に歩く声とかがそうで、なぜか聞こえてくるだけで嬉しくなる。

May 13, 2015

【153】ブリキのゴミ箱。ゴミは見えなくていい珍しいもの。

生ごみは庭の穴に入れている。
ゴミはプラマークの包装物が多い。
ゴミ箱は2箇所。

1箇所は台所の流しの横にブリキの箱2つ(写真の中央と右)。その中に、燃えるゴミ、燃えないごみ、プラマーク、缶をそれぞれビニール袋に入れている。2階にはゴミ箱は置いていない。

もう1箇所は工房。白いペンキ缶(写真左)。工房は革や帆布、糸などのくずが細かに発生するので手元に置いている。

基本的にはすべてのものを見える状態にするというのが我が家の在り方で、いわゆる「収納」を否定している。キッチン道具は全部壁にかけるようにしたし、押入れの扉は全部はずして中が見える棚として使っている。例外としては日に当ててはいけない革などの素材は布をかけて光が当たらないようにして保管している。

見えるようにしているのは、何がここにあるのかがいつでもわかるということで、見えないと有ることを忘れてしまって、使わなくなってしまう。ただ、これはこれで逆向きにも作用して、見えてしまう以上は、使え使えと物が主張してくるようにもなる。物事には両面ある。そこそこ物が少ないことでかろうじて妥協点を見いだせている。

ゴミは見えてほしい理由がないので、ゴミ箱は蓋付き。いちいち開けるのがめんどくさいといえばめんどくさいけれど、開ける機会はそんなにないからこれでいい。

May 12, 2015

【152】夢と食いしばり。

目が覚めた時、奥歯に鈍い痛みがあるので食いしばっている。以前、歯が欠けてというか割れて歯医者に行ったら、これは食いしばりといって、力いっぱい奥歯を噛み締めていて、自分で自分の歯を割っちゃったんですよ、と言われた。

重症になるとどうなるかというかなりエグい写真を見せられて、対処方法はあるんですかときくと、困ったような顔をされて、仕事を変えるとかですかねと言われた。起きている間は意識して口をゆるめておけばいいのだけど、寝てる間はどうしようもなく、マウスピースをつけて寝るという手もあるが、そうすると余計に食いしばるから、万が一マウスピースを付けずに寝てしまった時に、強く割ってしまう恐れがある。一生マウスピースをつけてないといけなくなるんですよと言われて、それは無理だと思った。結局根本的な医療対策は取らず割れた歯を差し歯にしただけで帰ってきた。

その後、無駄かもしれないと思いつつも、とにかく意識して口をだらしなく開けるようにしていた。口を開けていると、顎や頬の筋肉が「たしかに今までこういう感じになったことがない」と言っているような気がして、少なくともちょくちょく口を開けることで顎や頬の筋肉にこの状態を覚えてもらおうと、そんなちょっと変なことをやっていた。僕の意識がないときも僕の代わりに顎や頬が自発的に口をゆるめておいてくれるかもしれない、そんなことを考えていた。

不思議なことに、この方法がうまく行ったのか、それ以降、食いしばりはかなり緩和された。やがて食いしばりのこと自体を忘れていることが多くなって、口を開けることも、顎や頬の筋肉を擬人化することもなくなっていった。仕事の環境も変わったのでその影響かもしれないけれど。

それから何年か経ったのだけど、そういえば食いしばりが緩和されていると思っていた間、僕はあまり夢を見なかった。見ていたのかもしれないけれど、目が覚めた時にその痕跡がなく、意識のつながりとして、寝る前との時間の連続性さえあった気がする。さっき寝たところなのに、もう起きるのかと。

それがここ数ヶ月、起きた時にかなりの頻度で夢を見ていたことを感じる。そういう時はだいたい目が覚めた時に、これは夢であって現実ではないのだから安心していいという気持ちと、夢であったことにどうやって対策を取ろうかという気持ちが同時にあって、しばらくは安心しつつ、対策を取ろうとし続けている。悪夢というほどの強さではないものの、僕にとってはなにか対策を取らないといけない、解決しないといけないような気分をまとった夢で、内容的には異なるだろうけれど、気分としては同じ夢が何日も続いたりする。

今朝見ていた夢もそういう夢で、どういう内容だったかは覚えていない。しばらくまた口を開けて顎と頬の筋肉に意識を取り戻してもらう。

May 11, 2015

【151】アーモンド小魚。

目が覚めると東山の和室にいて、でも、最近はここにいることが多いので、目が覚めた瞬間のなんでここにいるのだろうかという感覚は薄れてきている。

水を飲もうと思って流しに行くとアーモンド小魚の残りがある。そういえば昨夜、ここでやったなっちゃんの円坐のあとにご飯を食べてお酒を飲んで、という記憶が順番に蘇ってきて、そのときうみちゃんが出したあのアーモンド小魚だ。

アーモンド小魚という言葉を頭のなかで音読すると、いや、頭のなかで音読している自分を思い浮かべると、丸みを帯びてつるっとしたカタカナの「アーモンド」と角ばってちょっとトゲトゲした「コザカナ」の断絶のある繋がりが楽しくて、あれ、そういえば、とこの「アーモンドコザカナ」という音の並びから湧き出して来そうになる記憶に気づく。

「アーモンド小魚考えた人ってすごいと思わん? だってアーモンドと小魚やで」とプラスチックの小袋から摘みにくそうに小魚を摘んでひげもじゃの口の中に放り込んでいたのが吐山継彦(はやまつぐひこ)で、この時もトレードマークの赤いキャップをかぶっていたはずだ。吐山は長年フリーランスのライターとして生きてきた。吐山の特徴の一つは原稿が早いということで、どんなことでもあっさり書けてしまう。ウンウン唸らず軽やかに規定文字数をきっちりと埋める技は天性のライターであり、編集者として何度も吐山には助けられた。

あれ? 今日は飲まないんですか? と夜の会議後に吐山が自転車で帰ろうとするのできくと、明日の朝までに書かなあかん原稿があんねん、という。締め切りギリギリ、そんなタイミングになることは吐山にとっては珍しい。

一回、書いてんけどな。書き直しや。

書き直しというのは尋常ではない。修正は日常茶飯事だが、書き直しは一文字いくらのライターにとってはかなり重たいペナルティで、吐山ほどの書き手でもそういうことがあるのかと驚いていると、漕ぎ出しかけたペダルから足をおろして、こちらを振り返り、

魚をテーマにした連載のエッセイやねんけどな、例えば「秋刀魚」やったら秋刀魚をネタにして書く。で、今月は鯖のやつを書いて出してん。そしたら編集者から電話かかってきて、吐山さん、申し訳ないんですが鯖は第1回で書いてますよ、って。

書いたものは書いたもの、もう自分の中には残っていない、ということ自体はそんなに不思議なことでもなくて、僕も簡単に忘れて、後で読み返してこんなことを書いていたのか、なんて思う。しかし、同じお題でもう一本、なんの疑いもなく書き上げてしまうことにはさすがに呆れた。

アーモンド小魚の話は、たしかアーモンド小魚を初めて作った会社の考案者を吐山が取材して、商品化までに社内でかなり反対されたけれど、というふうに話が進んだはずで、しかし、アーモンド小魚の何がどうすごいかは、何度聞いても、

「だって、アーモンドと小魚やで」

を繰り返しただけだった。あんたそれでもライターか、と思いつつ、アーモンドと小魚、確かにすごいなとも思っていた。

May 9, 2015

【150】なんでもやりたいことをやればいい。道具は揃っている。という空間で何もできない。

今日は『贈与論』のゼミが午後からあるので、東山の和室から帰ってきた。

澪がスリッパを作るために革に穴を開けていて、実家宛に荷物が届いているから持って行ってほしいと言われ、猫のシロが久しぶりに帰ってきたからか怯えているので、帰ってきた挨拶をしろと言われる。

家に上がってくるまでに駅からずっと坂を登ってくるから、だいたい家にたどり着くと疲れているから、少し休みたいと思うのだけど、ラジオで802がなっていて、802は全てにわたって特にテンポがタイトに詰まっていて、掻き立て続ける。

猫に挨拶をする。シロを抱っこして二階に登るとチビもついてくる。シッポはいつもの椅子に寝転がっていて、挨拶をするとあくびをする。シッポの喉をかいてやると気持ちよさそうにして、それを見たシロが自分もやってほしいと僕の手とシッポの頭の間に自分の頭をねじ込んでくる。仕方なくシロの頭をかいてやると今度は左足にチビが首を擦りつけてくるので、そっちは左手でかいてやる。

シャワーを浴びてさっぱりして、カルボナーラを澪が作ってくれて食べる。家に帰ってくると美味しい料理が食べられる。自分で作っても家だと美味しい物が作れる。東山の和室だと、美味しくない。それでも慣れてくるとあるラインを下回らない程度の物を選んで食べることができるようになって、例えば、冷凍のそばを茹でて缶のつゆで食べたり、インスタントのタイラーメンあたりがラインナップに入る。もう少し、あと1つか2つ見つけられれば、あとはそれを繰り返すだけでいい。

コーヒーは東山にいる間は飲まないでもなんとかなった。家に帰って美味しいコーヒーを飲むのがうれしい。

総じて家にいるとできることが増える。増えるどころか僕が今、思いつくこと、望むことはほぼなんでもできるだけの道具が揃っていて、その環境がなんでもやりたいことをやれと言ってくる。まさにフル装備の生活。(というのは以前ブログにも書いた

そうするととたんに何もできなくなる。何もかもが僕に何かをしろと迫ってくる。なぜなにもしないのかと迫ってくる。そうするとなおいっそう何もできなくなる。何もできないことに困りだす。何もしなくても困らないはずなのに、困り、罪悪感が発生する。

東山の和室は何もないから極端にできることが少なくて、だから何もしなくても困らない。困ることがあればそれに対処すればいいだけだし、そもそもほとんど困らない。

どうしてこういうことになるんだろう。この社会は一体どういうことを望んでここまで来たんだろう。そんなくだらない疑問のようないらだちのようなものを考えこんでしまう。

僕のこういう感覚は、澪が
東山和室のないを味わう。
で書いていたものと同じものを別の方向から見ているのかもしれない。物が人を掻き立てる。この方向感のない豊かさは、その豊かさの実現として有る物、それ自身が自分の根拠を主張することで実現する豊かさで、だからこの豊かさはそれ自身を求めて増殖し続ける。

May 7, 2015

【149】東山の和室を使って旅を練習する。

また東山の和室に来ている。今月は来れる時はなるべく来ようと思い始めている。

昼ごはんは家で食べてから出た。五月分の家賃を払おうと郵便局に寄ってから電車に乗る。回数券がなくなっていたので買う。回数券を買うというのは、未来を確定させるようなところがあるので、少し身構える。この身構えるのは、常にというわけではなくて、反復的な継続性が確保されていない今だから起こることで、未来に向かう反復的な継続性が気持ちを拡大させて経済を振興する効果を実感する。

前回、東山の和室に来たときの反省から、もう少し食の充実を図ろうと思って、実家から使っていない中華鍋を掘り出してきていて、それを良く焼いて、使えそうなことを確認して持ってきている。あとは、包丁代わりにナイフと布団代わりの封筒型の寝袋を一つ。封筒型の寝袋は、これからの季節、人形型の寝袋だと暑すぎるので、封筒型のを二つ使って、敷布団と掛け布団にするといいのではないかという案である。すでに一つ封筒型のは和室に装備してあるので、もう一つ。

中華鍋と寝袋をぶら下げてリュックを背負い連休直後の電車に乗るのはちょっと変な感じがする。どう見えているのか。でもそんなことに注意を払う人なんて本当はいなくて、僕はただ、どこにもいない人の視線を勝手に感じて、変な感じを得ている。

和室に着くと窓から陽が入っていてちょっと暑いので窓を開け、すだれを垂らす。が、それでもあまり日除けになっていなくて、悩んだ挙句、持ってきた封筒型の寝袋を広げて、カーテンレールに引っ掛けて遮光カーテンのようにする。効果的な遮光で、部屋が暗く、ビニールの質感は風情がない。今週の日曜日にここで円坐をするのだけど、その時はどうだろうかとちょっと不安になるけれど、しばらくすると日が雲で陰りだしてきたので、寝袋を外してみたらちょうど心地が良くて、このぎりぎりの行き過ぎるか行き過ぎないかの季節である今がまさに山の頂上のような最高の瞬間なんではないかと思ってうれしくなる。

明後日のゼミの『贈与論』、ちょうど家を出る直前に、注文していた岩波文庫のが届いたので持ってきていて、それを読む。今度のゼミは第二章でその半分ぐらい読んだところで眠くなって昼寝する。起きると自分がこれから先、こうやって何もできないまま生きていけるのだろうかと不安になっていて、何か夢でも見たんだろうけれど、いてもたってもいられなくなっている。どうにか散歩へ行こうと思うのだけど、散歩へ行くまでの段取りがうまくできない。ポケットに『贈与論』だけ突っ込んで、途中スーパーでなにか買って、風に吹かれて気持よく居られる場所を見つけ出してそこで、買ったものを食べて本を読むという、旅的非日常を謳歌すると決めて、ようやく部屋を出る。お金は持たず、クレジットカードだけ持つ。

ウィンドブレーカーを着て外を歩き出すと元気が出てくる。イオンについてウロウロして、まずバナナを買うことにする。もう十九時を回っていて、二十一時に閉店なので店員さんが惣菜売り場でカツや鶏の揚げ物やらをパックに詰めて値下げシールを貼っていて、アメリカンドッグが二本まとめて百四十円になっていて、それを買う。

店を出るとすっかり暗くなっていて、本を読むためには明るい場所を探さないといけないと思って、岡崎のみやこめっせを目指す。とうに閉館していて暗いけれど、街灯があるからそのそばで座って本を読めるようなところを探すけれど、ない。京都府立図書館、近代美術館の前を通るけれど、ない。そのころにはアメリカンドッグを歩きながら二本とも食べ終わっていて、鳥居をくぐって橋を渡ったところのセブン-イレブンの前に行くけれど、特に買いたいものがあるわけではない。そこからさらに南へ行き、三条通へ出る。もう目的はなく、ただ生き物としての走光性に従っている。

三条通を歩いていると古川町商店街が左手にあって、以前から澪と気になっていて行ってみようと思っていたのでそこへ入っていく。時間も時間なので全部シャッターがおりているかと思いきや、ちょっとお酒を飲むような小さくて雰囲気のあるお店が何軒か開いていて、アーケードの商店街には珍しく旅館もある。中には「一棟貸しの旅館」と書かれたところもある。閉まっている店も開いている店も、店の前に店名と短い売り文句が墨字で入った揃いの大きな提灯が出ていて、その提灯に灯りが灯っているからか、閉店時間を過ぎて閉まっている店が多いにもかかわらず歩いていて気分がいい。商店街の終わりまで歩いて行くと白川にぶつかったので、今度は商店街から出て白川沿いに北上して三条通へ戻る。白川沿いは背の低い街灯が、歩いている人の足元を照らすために並んでいる。白川に柵はなくて、奈良の猿沢池にも柵はなかったのを思い出す。夜、ほとんど歩く人もいないけれど、こういうところが観光地で、こういうところを歩くのが楽しいと思えるぐらい部屋を出た時と気分が変わっている。

三条通に戻り、そのまま三条大橋を渡り、鴨川の河原へおりる。西側の広い方の河原は鴨川名物の川床の明かりが届くので本を読むことができるぐらいに明るい。鴨川は「ゆか」と読み、貴船は同じ字を書いて「かわどこ」と読むと母親に聞いたことがある。橋のちょっと北側、芝生に座って『贈与論』を開く。川本真琴に似た声とギターが聞こえてくるけれど、歌っている人は影の中で見えない。その歌い手の頭上には川床で食事をするテーブルの人の影が逆光に映る。僕から5メートルほど離れたところの土手に水面を向いて若い男性二人が座っていて、小瓶のビールか何かを飲んで話をしている。そのさらに向こうにも5メートルほど離れたところに水面を向いた人影が見えるけれど、何人いるのかわからない。川本真琴に似た声の演奏が終わるともう少し遠くから別の、こちらはもう少し甘みの少ない女性の声の歌が聞こえてくる。本の中に意識が入りこむまでの数十秒、何度も同じ行を読み返していると、突如、人が生きていくことは楽しかったり悲しかったりする感覚の中に常に入り込んでいるのだけど、それらが何か重大で決定的であるわけではなくて、ただ次から次へと曲が変わるように歌い手が変わるように僕の前に露出しているにすぎないという感じがして浮遊し、あぁこれが旅というものかと思う。僕は旅が上手にできない。だから、部屋まで借りてベースキャンプを設営し、310円の回数券でやってきては、世界的観光都市である京都の中枢を目指してアタックを繰り返して、そしてようやくほんの数十秒の旅ができた。

本が読めだしてしばらくすると小さな雨粒を感じて、そこで本から意識が出てしまい、だから今の瞬間まで本が読めていたとわかったのだけれど、雨のせいでそれが中断して、それでも読み進めようと思ったものの、ページにできた小さなふやけたシミを見つけて、慌てる。傘は持ってきていない。澪が今日は雨が降ると言っていたのを思い出す。周りの人たちは意に介さないようだけど、僕は天候にはばまれてアタックを中止し、ベースキャンプに戻る決意をする。

帰り道、御池通に出て、やまやによって夜食にタイラーメンとアテにカルパスを買う。もういつものパターンに戻っている。旅は消えてしまった。雨とも言えないほどの雨もやんでしまっている。でももう旅に戻る勇気はくじけていてベースキャンプで酒を飲みながら、日誌代わりにブログの原稿を書きはじめる。

【148】庭で髪を切ってもらった。気楽な散髪。

チョキチョキ。
髪がうっとおしくなってきたので、澪に切ってもらった。

この時期は温かいのでTシャツ一枚でいても大丈夫だから、庭で切る。掃除も楽。頭からある程度の量の物体が落ちていくのが爽快。軽くなった。切ってもらったらシャワーを浴びて頭を洗って終了。全部で30分ぐらい。

こうやって澪に切ってもらうようになって数年。それまでは髪が気になってから実際に床屋に行くまで数日から数週間かかって、どうにか勢いをつけて行っていた。それがほぼ思い立った時に切ってもらえるのがとても軽やかでありがたい。

【147】手ぬぐい生活開始。さよならタオル。

手ぬぐい。
ちょっと黄色くくすんでるけどあんまり気にしない。
少し前から風呂あがりにバスタオルを使わなくなっていて、普通のタオル1枚で体を拭いていたのだけど、木綿の手ぬぐいでも大丈夫なんじゃないだろうかと2回ほど試してみたら、拭けた。

2、3度絞りながらだけど、まぁ十分。髪に残る水分が若干多い気もするけど、まぁこれもそのうち気にならなくなるだろう。

というわけで、僕が使う分は手ぬぐいに変更してタオルはやめにする。もっともパートナーの澪はまだ使うようだし、家にある共用でトイレと洗面所にはタオルが残るけれど。

手ぬぐいがタオルより優れているのは、乾きが速いことと手洗いが簡単なこと。あとは体積が小さい。ということで、いつも持ち歩いているものを全部突っ込んであるリュックに一枚手ぬぐいを入れておくことにする。

いつも持ち歩いているリュックに入れているものはこちら。
【125】持ち歩くものを全部リュックに入れた。

これで外出中に気が向いたら銭湯にも行ける。そんなに行かないとは思うけど。

May 6, 2015

【146】東山の和室に二泊した。の続き。

起きたのはたぶん8時過ぎで、雨が少し降っていた。朝ごはんを食べに澪と東山三条のマクドナルドへ行く。ゴールデンウィークまっただ中にしては通りに人が少ない。時間帯が早いのか、天気が悪いのか、それとも人がいないわけではなくてそれなりに歩いている人はいるので、外れとはいえ京都という一大観光地の一角に位置するこの辺りはいつもこんなかんじで連休も何もないのかもしれない。

宇治で育って、途中抜けるけれど、また戻ってきて今も住んでいる僕は、小規模な観光地というものが原風景としてあって、それは街の大きさの割には町並みの保存というか景観というかそういうものにある程度力がかかっている場所である。一時期住んだ箕面もそういうところがあった。

観光地は観光地であるためにお金と労力がかかった街で、住んでいる人以上に外部の人が訪れることを、しかも一時的にのみ訪れることを前提として基盤が整備されている。休日の昼間などが来訪者のピークで、そこに照準を合わせて街がある。それは繁忙期に対応してスタッフを揃えたカフェに似ていて、そういうところでも当然来訪者が少ないタイミングはあって、そのタイミングの時は、たまたまそこにいる人にとっては比較的過剰な設備となる。観光地に住むものの特権ともいうべきは、その過剰な設備を独り占めするような感覚で、だから観光地は夜がいい。余力を持った環境。観客が少ない豪華ステージ。僕自身は絶対に構築しようとは思わないものとして、人が少ない観光地はあって、それがなぜか心地よい。

ソーセージマフィンとホットコーヒーで200円。澪は家に帰るので、三条方面へ、僕は今日も府立図書館。一応図書館へ行く目的はあって、ゼミで読んでいる『贈与論』を読み直しておこうと思っていた。図書館について検索すると書庫にあるので出してもらう。僕が持っている『贈与論』はちくま学芸文庫のやつで、ゼミの標準は岩波文庫で、図書館には岩波のやつがあったのでそっちを読む。

原文を読むことは僕には無理なので、翻訳そのものの出来をどうこう言うことはないのだけど、日本語としてだけ見た場合、僕は岩波のほうが読みやすい。

例えば、ちくまでは、
(クラでは)贈与そのものが極めて厳粛な形態をとっている。受け取った物を軽蔑し、あるいは警戒し、あるいは足元に投げつけた後で取り上げる。物を贈った方も極度に謙遜な態度を装う。贈り物がおごそかに運ばれてほら貝が鳴ると、贈った方は残り物に過ぎないものをさしあげると詫び、贈り物を足元に投げつける。[74]
岩波は、
クラでの贈与行為は、それ自体としてきわめて儀式ばった様相を呈している。受け手の方は、贈り手が物を足元に投げ出してもそれには見向きもせず、つまらぬ物を、というあつかいで、投げ与えられてしばらくたってから、ようやくそれを手にとるありさまである。贈り手のほうはというと、へりくだった風情を大袈裟に示す。ホラ貝の音にのって、恭しく贈り物をもってくると、残り物しかあげられなくてすまない、と言って詫びた上で、クラでの競合相手でありパートナーでもある相手の足元に、贈り物を投げつけるのである。[146]
となる。単純に文字数の違いでもあるのだけど、岩波の方が原文の解釈の密度が高い印象がある。その解釈が必ずしも正しいかどうかはわからない。おそらく原文は簡素に見えるちくまの方に近いのではないか、岩波は独自の解釈を入れているのではないかとも考えられる。そうだとすると、著者マルセル・モースの視界というものを厳密に得ようとするとちくまのほうがいいということになるのだけれど、僕には原文のモースが使った言葉が機能する、その言葉の持つネットワークそのもの、つまりその言語を扱う能力がごっそりと無いわけだから、逐語訳的なちくま訳ではモースの視界まではかなり遠くなってしまう。岩波のような、翻訳者が持っている原語での言葉のネットワークに一旦写し取られたものを再度、翻訳者の持つ日本語のネットワークに変換されたものの方が、少なくとも翻訳者の視界は得られるわけで、そちらのほうがいいように思う。これは、僕が日本語以外の言語に対してほとんど知識と経験がないからそうなのであって、原語を知る人であれば、別の視界が得られうるのかもしれない。そんなことを考えたりしながら、結局今後のゼミのために、僕は岩波のを買い足すことにした。

 

気が付くと14時近くになっていて、お腹が減っているような気がしだす。図書館を出てイオンに行き、おにぎりとカップうどん、翌朝の朝食用にバナナを買うことにして、もう一泊することを決める。

部屋に戻っておにぎりを食べて、昼寝をしたり、少し文章を書いたりする。夜、ろうそくをつけてウイスキーを飲んで、散歩に行きたくなり、雨上がりの疎水の周りが気持よくてぐるぐると歩きまわって、帰ってくると疲れていて寝る。そろそろ食べているものがスーパーの惣菜やインスタント食品ではつらくなってきて、家のご飯が食べたくなってきている。翌朝起きて共同の掃除機を借りてきて部屋にかけて、昼前には家に帰って澪のカルボナーラを食べた。

May 5, 2015

【145】東山の和室に二泊した。

東山の和室に泊まったことがなかったので、ちょうど季節も良さそうだから泊まることにした。ぱーちゃんはちょくちょく泊まっている。

昼過ぎに着く。何もない部屋なので何もすることはない。パソコンを持ってきているけれどネットにはつながらない。ネットにつながらなければ、今のパソコンには自動的に何かを引き起こしてくれるようなソフトは入っていない。

昼寝をして眠気が消えたら夕方になっていて、散歩へ行くことにする。近くにネットが繋がるところはないか探すという目的を設定して、パソコンをだけを持って出る。

疎水の方へ歩くとみやこめっせがある。いかにもWi-Fiが飛んでいそうなところなので、ロビーに座ってパソコンを開くと案の定あった。今度からメールチェックはここですればいいと思って、目的を達成できた喜びと目的を達成してしまった不安とがやってくる。

ネットにつないでやることは特にないので、みやこめっせを出て散歩を続ける。もう目的はなくなっていて、糸が切れた凧である。隣に京都府立図書館があるので、そこに入る。夏場、暑くなったら東山の和室にはエアコンがないし、つけるつもりもないので暑さを避けられる場所が必要になる。そういう時に図書館はいいなと思って、それを確認するという短期的な目的を設定する。でも、図書館に行けば常に読みたい本があるかというと最近はそういう感じでもなくて、だとしたらいつも常に新しいことが書いてある雑誌を読むことにしておけばいいと思って、雑誌の棚を見に行く。これなら何かあればここに来て雑誌をめくればいい。

棚にあった「群像」を読んでしばらくすると、閉館時間が近づいてきたというアナウンスがあって、出る。そのまま一度和室に戻る。

戻ってもやることはないので、晩御飯を買いに行く。イオンが近いのでそこへ行って、レトルトのカレーとご飯とカツを買って帰って、レトルトのカレーは湯を沸かした薬缶に突っ込んで温める。カツカレーを食べ終わって少し文章を書く。

夜になると散歩に行きたくなる。イオンが9時で閉店するのは知っていて、酒を売っているやまやはどうだろうかと、御池通のやまやを目的地にして歩き出す。夜の鴨川の堤防を歩く。鴨川の西側はもう川床が出ていて提灯などに灯りが入っている。東側の堤防は、鴨川の水面を隔てていて、こちら側には灯りは少なく堤防も狭い。自分の居場所が照らされていないところから、ある程度の距離を隔てたところにある灯りとその灯りに照らされている人を眺めるというのが夜の街の楽しみ方なので、この景色が僕にとっての京都の一番艶やかな姿である。

やまやは10時までで、ちょうど閉店間際。しばらく店内を歩いたあとブラックニッカとドリトスを買う。

酒とアテを買ってしまうともう意識はそこにへばりついてしまうので、いそいそと部屋に戻って飲む。しばらくすると電話がかかってきて、出町柳に来ていた澪がこれからそっちへ行くというので、待っている。

夜中近く、澪がやってきて、一緒に飲む。その後、窓を開けたまま寝たので明け方寒くて失敗したねと翌朝二人で言う。

長くなったので、このへんで。続きを書くかもしれない。

May 4, 2015

【144】何もしない時間が、何かであるものを作り出す。

保坂和志の小説が好きで、というか現在進行形で今まさに日本語で小説というものをやっている人はそんなにいないのではないかと思うし、その中で一番なのが保坂さんだと思う。

保坂さんは小説とはなにかというようなことにも積極的に言葉を重ねている。小説論三部作なんかは特にそうだけど、今日、珍しく家ではない場所でネットを見ていたらこれを見つけた。

#136 途方に暮れている状態だけが信じられる

そこに、
僕はだいたい一日4、5時間しか仕事をしないんですけど、最初の2時間は何も書かないで外を見ているだけ。それか家の中ブラブラしたりするだけで、「新幹線に乗っていたらもう名古屋過ぎてるな」って思うんだけど、その2時間を何もしないでいないと出てこない。その間も、気晴らしに外とか運動のつもりで2時間歩いてりゃいいじゃんと思うけど、そうするとできない。2時間動かない時間をつくらないと次が出てこない。
とあって、この何もしないでいないと出てこないというのは、円坐をしている時の無言の時間がなければそこで話すことも出てこないというのと同じだと思う。

円坐は、ただ集まって坐る時間と場で、それ以上に何か目的や根拠があるわけではない。始まってすぐなんかは特に、無言の時間がほぼ必ず発生する。 無言の最中に無言の終わりとして話し出すということはとても高い圧力の中で扉を開くようなもので、水没していく車からドアを開けて脱出するのはとても大変なのと似ている。そういう時はエンジンルームなどから車内に一旦水が入って、車内が水で満たされて中と外とで圧力差がなくなってからドアを開けると良くて、脱出するにはそういう時間が必要である。それまでは息を止めていなければならない。苦しくて不安で本当に出られるのかパニックになりそうになる状態を冷静に維持し続けてやがてドアが開く。と書いたけど、この水没する車の話はちょっと違う話になった気がするけれど、これはこれで書けてよかったと思ったので残しておく。

May 3, 2015

【143】未来、過去、現在。

すだれ。
未来主義者はホラ吹きだ。
過去主義者は頑固だ。
現在主義者は無気力だ。

主義者への罵倒としてあるそれらの言葉は、
しかし同時に主義者たちの拠り所でもある。

弱い主義者は悩み依存する。
強い主義者は開き直り依存する。
生きていくならそうせざるを得ない。

May 2, 2015

【142】一周忌。

喪服は冬服しか持ってない。
命日は毎年同じ季節に来る。
暑いので平服で行く。
明日は法事。
父が死んで約1年経った。

そろそろ救急車の音にも慣れてきた。
サイレンがなっていても、
それが実家に止まるかもしれないと思わなくてすむ。
遺体で見つからないかと思わなくてもすむ。
夜中に電話で呼び出されなくてもすむ。
意味不明瞭なメールが大量に来なくてすむ。

寂しいとは未だに思わないけれど、
いろいろと考えさせられた1年だった。

お前もいずれは死ぬのだ。
そう教わった。
教わったということはやはり教師だったということか。

May 1, 2015

【141】織る、編む、紡ぐ、ではなくて漉く。

白紙。
人が生きていく中で何かを作り上げることを比喩として、「織る」とか「編む」とか「紡ぐ」とか言う。

織るは、経糸と緯糸という2本の糸から現れる。例えば、自他。
編むは、1本の途切れない糸から現れる。例えば、人生。
紡ぐは、曖昧な多数から一本の糸が現れる。例えば、物語。

しかし僕が僕の何かを作り上げるやり方を言おうとした時に、何かを織ったり、編んだり、紡いだりしているイメージはない。そういう言葉でうまく言えた気がしないというよりは、そういうやり方を試してみるのだけどうまくできないことが多い。

ではどうやっているかというと、漉く。

漉くは、紙とか海苔とかをつくること。すく、と読む。

漉くは、大小様々な繊維がバラバラの方向を向いて水の中を漂っている。
少しずつだけど、常に移動し続けている。
それを、ある一瞬、すのこで掬いあげて、平面として定着させる。

織る、編む、紡ぐのように連続的な反復によって少しずつ進行するのではなくて、ある一瞬で、その時の状態を転写するように固定する。

すくい上げられるまでの時間、バラバラで脈絡のない断片の非連携的な集合としてただ水中に漂っているというところが、悲しくもあり、楽しくもある。