November 10, 2019

【560】いつも途中だと思っている。

例によって、こういう人は僕だけではないと思うので、わざわざ書いてみる。

僕は、常に、今は途中だという気分がしている。もう少し言えば、生活や人生にあるだろう「区切り」をうまく捉えることができない。終わりというものが「終わり」として機能しない。どうしても、途中に思えてしまう。

弊害として、達成感が得にくい。達成感と呼ばれているものを実感することがないわけではないけれど、その言葉が流通している意味ほどの「快楽性」がなく、達成感が得られているはずの状況で、僕はむしろ今後を憂いている。そちらのほうが大きい。

たとえばスモールステップとして言われるような、小さな達成感を積み重ねていくようなことができない。ステップだと思って登ってみたところ、実際はスロープなのだ。

スモールステップのいいところは、ステップの小ささ、取り掛かりやすさにあるとされているけれど、僕にはそれはあまり関係がない。しかし、スモールステップのというかステップそのものの概念の良さはあって、それは後戻りが効かないラチェットのようなイメージである。

ラチェットというのは、例えばこうやってブログを書いて発信することにもあって、その意義は、発信してしまったが最後、する前には戻らないところにある。こういうのはとても安心できる。いつも途中で、常に永続的な前進を続けていく気分である人は、何かしらのラチェットを持つといいかもしれない。ただ、ガス抜きになってしまうことには気をつけたほうがいい。

もっとも、苦悩はひっくり返せば革新でもある。ずっと続くことへの耐久性は高いのだから、それがうまく発揮できるような何かを模索すればいい。そう簡単には見つからないが、そう簡単には見つからないことをずっとやっていくこと自体に耐性があるのだから。

日々模索は続き、ナメクジが這いずったあとのように、少しずつ成果が吐き出されていくのだ。


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