July 4, 2021

【811】うまれてはじめて立ち上がって拍手した。

『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』

演劇というか能なのだけど、人間にはこんなことができるのかと圧倒されてしまった。言葉と音楽と歌と踊りと美術とあともっと色々とで、人間はこんなことができるのか。

以下、昨日観て、家に帰ってきて、とりあえず日記に書き込んでおいたこと。

▼敦賀はとくに、衝撃が大きかった。原発の問題。夢がしつこく語られた。夢が夢でなくなる。あるいは、夢が夢になる。夢という言葉の意味が変わる。夢で「糖衣のように」くるんでしまう。そういうことは僕が言いたかったことではなかったか。それを全部言われたような気になってしまう。

▼センシティブな問題をやるときに、それがセンシティブであればあるほど、思い切りやらないといけない。腰が引けた分だけ、外側に弾かれた感じになる。表現者が問題に対して弱者の位置に立つと、表現ではなくなる。「これは事実を描いているだけなんですよ」というエクスキューズが、「だからこれは自分の表現ではないのだ」というふうに防波堤を作って、自己を問題の外側に押し出してしまう。結果的に表現者が自分で表現を見切ってしまう。「私の表現なんかよりも現実を見てください」と。この演劇はそういうところがなかった。その問題の中心を内部からやっているように見えた。それそのもののように見えた。とても大きく難しい問題を扱っているのにこれができるのがすごい。

▼演技やダンスもよかったが、音楽も歌も素晴らしかった。特に歌がよかった。もうストレートすぎて、パロディに見えてくる瞬間もあるが、それでも作品から離れたような気になることがなかった。どれほど滑稽に見えようともそれを上回る情況の力があった。その情況が圧倒的に存在感を持っている。登場人物への感情移入の必要はなく、そこで観ているだけで、もう、巻き込まれている。

観に行ってよかった。

追記
影アナ(場内アナウンス)の文体がすっきりしていて、あれっと思った。男性の声だったが、僕には岡田利規さんの声に聞こえたし、文章も彼が書いている(リライトしている)ように思えた。後でネットで検索してみたところ、僕と同じ感想をツイートしている人を一人だけ見つけることができた。その人は、日付から横浜での公演を観ていた。だとしたら、横浜と兵庫という別の劇場で同じ声が流れたということになる。あれはやはり岡田利規さんなのではないか。気のせいかもしれない。


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