大谷美緒です。
10月にアラタとようと父親と国立民族学博物館に行きました。
見ようと思っていた企画展はアラタが興味を失い、たまたまやっていたワークショップにアラタが興味を持ち参加。
常設展にあるルーマニアの「陽気な墓」。
お墓だけど明るくて、個人の楽しい思い出などが文章と絵でつづられているらしい。それにちなんで陽気な墓を模した小さなお墓に自分の思い出を描こうというもの。
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(左)アラタ作、(右)美緒作 |
正直、期待はしていなかったけれど、常設展で何度も見ていたはずなのに気にも留めなかった展示物について知れただけでよかった。面白かった。
私はアラタとデビッド・ホックニー展に行った時のことを描いた。
アラタはようちゃんが階段を登ろうとしていて、美緒ちゃんが怒っているところ、を描いたらしい(上3分の1程度)。
思い出というとなにか特別な出来事、催し、イベントをとっさに想起してしまう気がするし、それはそれでなにかだけど、アラタの思い出を聞くと、もっとたくさんのことを思い出にできる気分になってきて、もっと日々がいとおしいものに思い始めた。
アラタが最近iPhoneで写真を撮りまくることがあり、わたしにとっては 意味不明だし、いたずらの時もあるのですぐにでも消去したい気分になることも多々だが、時々、私では残せない一コマに目を向けているとあなどれない気分になったりもする。
記録すべきこと、記憶すべきことが知らず知らずのうちに固定化されてきたんだということに気づく。それを変化させることはできるのか。できそうな気がしてやってみている。