自分の暮らし、生活、仕事など、ざっくり自分が生きることの中に、どれぐらい不確定要素が含み込めるか。
アイスクリームに含み込まれる空気の割合をオーバーランと言って、オーバーランの多い少ないでなめらかさなどの舌触りがかわる。空気だから食べ物としての実体は無いとも言えるけど、空気がなかったらアイスクリームはカチンコチンで食べられない。それはアイスクリームではない。
そういう意味で自分というものにとって他人の存在は、たとえ空気のようだったとしても、大きい。
無意識というのはとても盤石で、意識化された途端に弱さが生じる。
虎ちゃんのように多種大量の薬と繊細な医療機械が生きることの条件として意識化されていると、とても脆弱だ。
SpO2の値なんか一生意識化しないで済む人間は強靭だけど、でも実はどんな人も何かの拍子に問題が出る。自分の生の条件が意識化される時が来る。
必ずしもそれは自分自身の状態だけではなく、親の介護とか、家族の病気とか、同僚の退職とかでも、突然起こりうる。平穏で無意識的な人生が、実は諸々の危うい複合的な条件の束で成り立っていたことに気づく。
だとしたら元々、今日のバイタルサインを見て、その都度やるべきことを変えていく虎ちゃんの生き方の方が動的な強さがあるのかもしれない。
いつも同じであることは、静的安定だが、動的には不安定かもしれない。