March 27, 2026

2026/03/27

アラタの小学校の離任式。春っぽい行事。なぜか僕のなかでは卒業式や入学式よりも春っぽさを感じる。

春は落ち着かなくて、30代くらいまで嫌いな季節だった。でも最近はそうでもなくて、それは多分、僕の暮らしが一年中イレギュラーだからだ。特に春じゃなくても落ち着いていないから、春の落ち着きのなさに戸惑わない。

離任式が春っぽいのは、春休みの中にあって、この日だけ特別に学校へ行かなくてはいけないことと、式自体は比較的短時間に終わって、さっさと帰ってきてしまうから、何か余計に落ち着かないからだと思う。

お世話になった人が離れるのももちろん落ち着かない。

March 23, 2026

2026/03/23

最近、情報を得るルートとしての「紹介」が退屈だと感じるようになった。

と言っても、他人から教えられる未知の情報自体の魅力が減ったわけではない。誰かに何かを教えてもらう時のスタイルとしての「紹介」がダメで、読み続けたり聴き続けることが難しい。

紹介とそうでは無いルートの違いは何だろうと考えて、その情報をもたらす人の視野ではないかと思い当たった。

紹介者の視野は広い。

広く見渡した上で、これが優れていますよ、という「態度」を感じる。実際にその人の視野が広いかどうかというよりも、私は広い視野でこの情報をピックしましたという雰囲気に、さめてしまう。

一方で、僕がついつい興味を惹かれる発信者の視界は、大体、狭く歪だ。

オタク語りの顕微鏡を見るような狭さや常識を身につけていない子供語りの歪さ、そういう、度の強い歪みの大きな視界で見出される物や、その歪んだ視界そのものに惹きつけられる。

広い視野を持つこと自体は悪いことでは無いだろうけど。

僕も多分、残念ながら、視野が広くてクリアな方だ。だからせめて歪んだルートで話したい。

March 22, 2026

やりたいことは多くない。

完全にやりたいことは多い方がいいと思っていた。いつも、常にいろいろ思いついて、いろいろやりたい、いろんな作品が作りたい、みたいな。


よくよく考えてみると、うち自身はやりたいことはあんまり多くない。自意識の問題として。あんまりいろいろ思いつかない。作りたい作品も多くない。ただ、やりたいことがないわけではない。それで何の問題もないし、あんまりないと感じていても全部できてるわけでもない。 


なんかでも、いっぱいある、みたいな雰囲気は妙な憧れがあった気がする。でも、そう思ってることに気づいて、肩の荷がおりた気分になる。



March 20, 2026

2026/03/20

絵本のような暮らしをしている、とある人に言われたことがある。え?と思った。

自分の暮らしのモデルとなるような何かが、僕には無いから、自分の暮らしやスタイルを何かに喩えられるとほぼ必ず戸惑う。そういうつもりでやっていないから、そう言われてもピンと来ない。

これまでに、エコですね、ロハスですね、ミニマリズムですね、などなど、様々に喩えられたけれど、要するに、その時々の流行のスタイルに喩えられていたということで、ある意味で褒められているとはわかるのだけど、僕自身にそういったスタイルへの思い入れはたいして無い。

でも、絵本のような暮らし。この言葉はたびたび思い返す。

絵本は概ねフィクションであり、ファンタジーであり、イマジナリーでメルヘンだ。要するに現実的では無い。

そんな暮らしが現実に成り立つはずはない。

でもだからこそ、確かに僕はそんな暮らしを標榜しているのかもしれない。こんな出来事が自分の生活に含まれていたらいいのだけど、ということをいつもやりたがっている自覚はある。

既存の現実的な特定の美しいスタイルを目指して行動する器用さや実用や執着が、僕たちになかった。何ものにもなれない暮らしをとても上手に肯定してもらった言葉だなと思う。


顔に出す。

副鼻腔炎がなかなか治らない。

随分医者にも通ったがすっきりしない。
なんかいろいろヒントは探そうという気持ちはあるので、とりあえず口呼吸は治そうと多分定番の「あいうべ体操」してまず口呼吸を改善した。

Facebookでふと目に入った知人の顔が前見た時より老けていた。それが自分の顔の感じと似てるなと思った。なので、顔の筋肉を使わないとと思った。これは副鼻腔炎と関係があると、勝手に確信した。

うちに来てくれた方と話してるとなんと副鼻腔炎の克服歴があった。副鼻腔炎サバイバーだ!
話を聞いていると、運動不足はよくなかったというようなことを言っていた。
舌を見せて(やっぱり顔!)と言われたので、見せると「専門家ではないけど、私と一緒だ。ハーハーするようなトレーニングがいいよ。鼻だけにこだわらず、全身をみないと」。
その少し前からなかやまきんに君のYouTube動画でトレーニングし始めていたけど、後押しされて更にしっかりやり始めた。

大分よくなった気がする。

顔を使うというのは、実は結構心的なハードルがある。いわゆる「顔に出す」というのが苦手。
「顔に出す」のが苦手、とか書くのがすでに恥ずかしい。「顔にでちゃう」人はきっと鼻水も出てる。たまらない。
「顔に出せない」人は「顔に出せない」ということが四六時中でちゃう。笑。なんか書いてて笑う。チャーミングではない。
多分、唾液も出ないし、涙も出なくでドライアイなんではないか。言い過ぎかもしれないが、トンチンカンでもない気がする。







March 12, 2026

2026/03/12

福音館の雑誌絵本「こどものとも」の購読を半年ほど前から始めたのだけど、今月で辞めることにした。

福音館の絵本はすごいし、「こどものとも」もすごい。今でも、そう思っている。だけど。

半年間送られてきた絵本は、絵本としての完成度は高かった。読み聞かせれば子供たちも面白そうにしている。

ただ、なんというか、総じて、昔話的というか。昔の絵本を読んでいる気分になる。2026年の新刊とは思えない。

これなら、古い名作を買いたい。まだまだ僕も子供たちも触れていない名作は山ほどある。多分、その多くは過去に福音館の「こどものとも」で発表されたものだろう。それを集めたい。

半年前に購読を始めるまでの僕の「こどものとも」に対する認識は、安く作って安く売ることができる製本で、安定的な定期購読者に支えられてもいる、だからこそ、若い作家やチャレンジングなアイデアをどんどん形にしていける。そんなふうに思っていた。大人が首を傾げても子供は大喜びするとか、これはさすがにチャレンジしすぎで失敗ではと思えるようなものでも、世に問うてくれる、そんな期待を勝手にしていた。

March 8, 2026

虎ちゃんの沐浴。

日曜日。はじめて虎ちゃんのお風呂を隆と2人でいれた。

2人で、というのは訪問看護さんやヘルパーさんの助けなしでということ。

病院でほぼ毎回沐浴の練習をして退院してきたので、沐浴は自分たちでするんだろうと思ってたけど、帰ってきたらほぼ訪問看護さんにやってもらっている。

人口呼吸器やもろもろ注意することがあるので、虎ちゃんの沐浴は2人がかり。休みの日で葉がいると、葉がちょっかいをかけないように見とく人が1人必要なため、私と隆と2人だけでは危険で沐浴できない。今まではだいたいそれで諦めて、体を拭いていた。

今日は父が来てくれたので葉を見てもらった。

虎ちゃんは沐浴は好きそうで、終わったあとのなんだかとてもスッキリした顔を見るのが私の楽しみだ。



March 3, 2026

2026/03/03

虎ちゃんが退院して1ヶ月たった。恐ろしく長い1ヶ月だ。

2025年がもうすでに記憶の水平線に沈みそうになっている。2025年の6月3日に、ということは、夏より向こうに、虎ちゃんは生まれた。面会のために、梅雨の大雨を、灼熱の盛夏を、毎日鴨川の河原を、歩いていた記憶が、もうフィクションのように遠い。

時間がどんどん伸びている。まだ季節が一巡りしていない。というよりも、季節はそもそも巡ってなんかいない。同じことは一度も起こっていない。季節が巡ったり、日常が反復されたりしているように感じるのは、大雑把な近似を当てはめていられるからだ。

ここ数日、虎ちゃんの体調が微妙に悪い。それだけで、一日は反復されない。日々とは呼べない。

2026/03/02-03

生きることの盤石さの上に、楽しさや面白さといったものが構築されるのではなくて。そんな形式と内容とが分離した人生なのではなくて。生きていることを無条件に無意識に前提するのではなくて。

毎日毎日、その都度、どうにか生きていられるような方策をとって、生きることを継続させていくような、あやうい生自体に楽しさや面白さがある。

健康は大事だけれど、健康の上に日常があるのではなくて、健康だったり不健康だったりしながら過ごしていくのが日常で、明日どうなるかわからない。

March 2, 2026

2026/03/02

自分の暮らし、生活、仕事など、ざっくり自分が生きることの中に、どれぐらい不確定要素が含み込めるか。

アイスクリームに含み込まれる空気の割合をオーバーランと言って、オーバーランの多い少ないでなめらかさなどの舌触りがかわる。空気だから食べ物としての実体は無いとも言えるけど、空気がなかったらアイスクリームはカチンコチンで食べられない。それはアイスクリームではない。

そういう意味で自分というものにとって他人の存在は、たとえ空気のようだったとしても、大きい。

無意識というのはとても盤石で、意識化された途端に弱さが生じる。

虎ちゃんのように多種大量の薬と繊細な医療機械が生きることの条件として意識化されていると、とても脆弱だ。

SpO2の値なんか一生意識化しないで済む人間は強靭だけど、でも実はどんな人も何かの拍子に問題が出る。自分の生の条件が意識化される時が来る。

必ずしもそれは自分自身の状態だけではなく、親の介護とか、家族の病気とか、同僚の退職とかでも、突然起こりうる。平穏で無意識的な人生が、実は諸々の危うい複合的な条件の束で成り立っていたことに気づく。

だとしたら元々、今日のバイタルサインを見て、その都度やるべきことを変えていく虎ちゃんの生き方の方が動的な強さがあるのかもしれない。

いつも同じであることは、静的安定だが、動的には不安定かもしれない。

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