読書の秋とか言っていい感じに文化的な雰囲気を出しているが、読書はそんな生半可なものではない。中毒症だ。この秋、小島信夫に感染した。
『残光』はしばらく前に買っておいて、少し読んでやめたおいた。買ったのはたぶん保坂和志のせいだ。佐々木敦かもしれない。つい最近また読みはじめて、気づけば病に落ちていた。
読書でだいたいひどい症状が出るときは絶版だ。しかたなく『寓話』を図書館で借りる。でかい本だ。読み終わってさらにひどい。欲しい。これ欲しい。絶版だ。保坂さんたちが復刊したのを知っている。買ってしまいそうでなんどかウェブの紹介ページをすでに見ている。メールすればいいと書いてある。
小島信夫のひどいところは、小島信夫の小説群は、そう、群れだ。『残光』でさんざん『寓話』が話題になる。他の自作も話題にする。引用ももちろんする。そんなわけで『寓話』を読む。『寓話』ではさんざん『墓碑銘』と『燕京大学部隊』が話題になる。他の自作も話題にする。そんなわけで、小島信夫の小説を読むということは小島信夫の小説群を読むことになる。小島信夫の小説群を読むことで、小島信夫という小説家を僕の中に創作的に誕生させてしまうことになる。小島信夫は小説を創作することで、小説家まで創作するということをやっている。こんな小説を他に見たことがない。