September 23, 2019

【597】ついでにの楽。わざわざの美。

「近くに来たついでに」というのは楽な気にさせる。この快楽を僕はよく知っている。一方で「わざわざ来ました」というときの美もある。もちろん「わざわざ来ました」などということを言うこと自体が稀である。そんなことはわざわざ言わない。普通は。

楽に生きることの快楽を存分に享受していることを自覚しながら言うのだけれど、僕はわざわざ生きている。わざわざ生きていたい。わざわざのコアにある美にうたれていたい。

生きることが苦しかったりする時代なのはよく知っている。僕自身そうだった。だから、生き延びるために「生きることに意味なんてない。」「生きることがどういうことかなんて考えてもしょうがない。」「もっと楽に生きろ。」「ただ生きていればいいのだ。」というふうにサバイブすることが生のハッキングとして成立する。でもそれは一時的なものだ。雨宿りだ。

僕は総じてわざわざ生きていたい。毎日わざわざ生きていたい。これはもはや悩みとしての成立要件を備えていない悩みとしてはもはや不備が生じて傲慢とすら言えるレベルにまで昇華されてしまった贅沢な悩みだ。それでいい。


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