February 28, 2021

【783】2月27日の文章筋トレ。

今日は二人。10分と60分をやる。

特殊な文章を書いたわけではないけれど、そういえば以前はこんなふうには書けなかった。ということに気がついた。ほぼ毎日見ているけれど、文章で書こうと思えばちょっと苦労するような物を説明するという文章で、書いてみて感想を聞いて、あぁこういうふうに書きたいなと思っていたことを思い出した。

僕にとってはとても平板なごく当たり前の説明として書いているのだけれど、読んだ方にとっては少し特別な意識が生じるというもの。

結構うれしい。

3月の文章筋トレ、今のところ決まっているのは3月16日火曜日午前です。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★3月16日開催
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●文章面談
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●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
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February 14, 2021

【782】2021年2月13日の文章筋トレ。

 今日は3人で。久しぶりの全員会場でzoom無し。10分と60分をやる。

 書くことは広大でいろいろな場所がある。その人にとっての場所がある。慣れ親しんだ場所もあるし、行ったことがない場所もある。行ってみたい場所もあれば、行きたくない場所もある。こういうイメージを僕は持っている。

 面白いけれど、そこにとどまることが難しい場所にどうにか留まるように書けたらいいなと思う。ぬかるんだ足場の悪い場所だったり、大きな海流がぶつかる複雑な流れの場所だったり。

 そうやって書いていると書いているのが面白い。


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February 8, 2021

【781】2021年2月8日の文章筋トレ。

 月曜日午前の文章筋トレ。3人で10分と60分をやる。曇り空だけど、ひどく寒くはない。この時間にやるのもいいなと思う。最近、朝の家事を少し見直して9時前にはコーヒーを入れて業務が始められるようになった。アラタの成長に伴って家事はどんどん楽になっていく。

 最近は、文章を書いたり読んだりするということ自体がどう面白くなるのか、というようなことを考えている。どういう文章が面白いかというよりも。かなりゆっくりとほとんど同じ場所にいる。文章筋トレではそういうことを自分なりにずっと試していける。


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February 7, 2021

【780】近況。

 昨日の小説部会のために書いたレジュメが近況の報告になっていたので、こちらにも掲載。最近はこういう感じで、レジュメという名目で話すことを予め書いてみている。それが結構面白い。話をすることと文章を書くということの両方の重なり具合がいいのかもしれない。

 話すときにはこのレジュメを見ながら、この通りではなく話している。近況報告ぐらいならレジュメ無しで話すこともできるけれど、レジュメがあるときのほうが話自体が面白くなっていると自分では思う。




小説部部会 大谷 2021年2月7日

▼旧暦の正月に向けて、次の一年についてじっくり考えることができた。新暦は、秋が終わって、冬が来たと思ったらすぐに歳が変わってしまい、途中で打ち切られる感じがする。とにかくゴールすることで精一杯で、その直後の正月は息を整えるだけ。新暦は鋸歯状。旧暦の正月は冬が深まっていて、そろそろ春を感じ始める時期にあたっている。冬の最中を使って春以降の準備することができる。旧暦はサインカーブ、季節とあっている。

▼春から「エチカ」ゼミをやる。予定を立てた。全体の区分け。こういうことからすでに「エチカ」という気がする。

▼今年は1月から経理の帳簿つけができている。快挙。これまではいつも確定申告の時期にまとめてやっていた。経理は、毎年よくわからないこととしてやっていて、これまで全く進歩がなかったが、今年は大きく変化した。かんたんだが予算もたてた。

▼芸術祭でやりたい方向性がだいたい決まった。

▼日記が続いている。長月廿四日(2020年11月9日)から。毎日、一日中考え事をしているので、だいたいそれを書いている。考えることの楽しさの要素が増える。もっと早くからやっておけばよかった。


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February 5, 2021

【779】勇気と蛮勇。

 何で読んだのか忘れてしまったが勇気と蛮勇を区別して論じている人がいて、そのときはあまりピンと来なかったが、その後も時々思い出してはどういうことだろうかと思って、思い出すたびに考えてきた。そうして今になってなんとなくこういうことなのではないかと思い当たる気がしてきている。

 それは、なにかに挑まなければならないようなとき、その先に待ち構えているだろうことに対して「目を開いている」かどうかの違いではないだろうか。

 勇気の場合は目を開いて見ている。これから起こるだろう困難な状況が予めわかっていて、それから目を背けずに進む。このとき必要とされるのが勇気だ。

 逆に、蛮勇は見ていない。「目をつぶって」やる状態だ。

 勇気は自覚的かつ持続的に困難に挑んでいくイメージだが、蛮勇は無自覚的かつ瞬間的な勢いの問題だということになる。

 勇気を持って事にあたり、その結果失敗した場合、それがどうして失敗したか、あるいはどのように失敗したか、ということを「目の当たり」にすることになる。これは厳しいことだが、もう一度同じような機会があった場合、状況がつかめている分、一回目よりはるかに失敗しにくい。

 一方で、蛮勇による行為で失敗しても、その状況は「見えていない」。おそらく「何が起こったのかわからないまま失敗していた」という感覚を持つだろう。この場合、もう一度同じことをやっても一回目と同様に失敗する可能性が高い。

 勇気を持って事に当たれば、結果がどうであれ、得られるものがある。蛮勇で事に当たれば、うまく行ったときにはその結果を享受できるが、失敗した場合は、得るものがない。

 勇気と蛮勇を区別していたのが誰だったか思い出せないが、たぶん、こういうことだと思う。

 ちなみに辞書(デジタル大辞泉)では、

勇気:いさましい意気。困難や危険を恐れない心。
蛮勇:事の理非や是非を考えずに発揮する勇気。向こう見ずの勇気。

 この「勇気」の定義では「蛮勇」を含んでいる。僕の印象も同じようなもので、そのあたりが最初にピンと来なかった理由だろうが、この「勇気」から「蛮勇」を除いたものを〈勇気〉として扱えば、〈蛮勇〉と区別して論じることができる。そして、そこから上記のような意義を見出せる、ということだと思う。

 だからなんだという感じではあるけれど、少なくとも、誰だか思い出せないその相手に対して、なんとなく借りを返せた気分はする。


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February 1, 2021

【778】スピノザ「エチカ」ゼミ、やります。

 スピノザの「エチカ」の講読ゼミをやる。毎月1回、少しずつ読み進める。一回あたりどれぐらい進めばいいのか。

 「エチカ」という題は略称で、もとの題は日本語では「幾何学的秩序に従って論証されたエチカ」である。「幾何学的秩序」というのはまずその書き方に現れていて、第一部の「神について」は定義一、二、三、四、五、六、七、八と始まり、次に公理が一から七まであって、続いて定理一、定理二と三六まである。数学のようだ。

 条文が並んだ文章はそれだけである種の世界を作っている。

 これまでゼミでやってきた本の中には同じようなものはなくて、だいたい長くまとまったひとつづきで、「定義」や「公理」「定理」といったような文章そのものがすでにあるルールで分類されているようなものとは違って、そういうルールにとらわれていないいわゆる普通の散文だ。

 普通の散文はだいたいの分量に重量が比例するようなところがある。書き手によってその比重は多少異なるが、同じ書き手であれば千文字は千文字分の重量があり、二千文字になればだいたい二倍の重みになる。だから、ゼミで読む場合、一回あたりにどれぐらい進めればよいかという目安は、文字数で決めてしまえば、そんなに内容的な重量に偏りは生じない。

 その点「エチカ」のような箇条書きは、散文よりも詩に近い。第一部の冒頭、定義一は「自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられないもの、と解する。」という短い文章だが、この文章を読むということの重量感は、散文とは異なった感覚がある。だから一回あたりでどれぐらい読むのがいいのか、単純な分量は測りにくい。

 たぶん各部の最初に出てくるいくつかの定義は重要なはずだ。この定義を読むのに何をどれだけかけたかが、その後に出てくる数十の「定理」を読むことを大きく左右する。

 そんなわけで、一回でどれぐらい読むのか、その結果、全部で何回になるのか、それぞれの回の重みはどうなるのか、そんなことをイメージしながら、回数の区切りを入れていく。まだ一度も通読していない本だけれど、おそらくこのへんはこれぐらいしか進めないだろう、このあたりは少し多めにしても大丈夫だろうと、勝手に調整していく。この作業が意外にも面白い。上下巻の文庫本二冊を開いて、行ったり来たりしながら、分量の感覚を掴んでいく。

 中身の文章を読んでいるわけではないが、それでもこの行為は「本を読む」ということの一部だ。小説を読んでいるときに、あとどれぐらい残っているのか、と残ったページの分厚さを気にすることが時々ある。「あんまりおもしろくないんだけど、あとどれぐらい読まなければならないのか」と思ってすることもあるし、「とてもおもしろいんだけど、あとどれぐらいで終わってしまうのか」と思ってやることもある。あるいは、「あとこれぐらいの厚みしかページが残ってないのに、こんな展開になって、これで本当に終わるのか」とか。こういうことを考えるのも読むことの一部だ。

 ほとんど読んでいない「エチカ」の分量的な全体像を予測しているのだが、こういう予測は良い本であればあるほど、裏切られる。まさかこんな本だったとは、とあとから思う。「エチカ」はおそらくそういう本だ。そう思いたい。

 今、知っている範囲で僕が思い描いている「エチカ」は、選ばれなかった未来の地図だ。選ばれたのはデカルトだった。僕たちが今いるこの世界はデカルトが示した未来だ。「思う」ことが「できる」という自由意志を持った個人である「我」が、「在る」ということを起点にした世界観だ。スピノザはそれとは違う可能性を示していた。違う地図を描いた。だが、僕たちはそうはならなかった。僕がスピノザに興味を持ったのは國分功一郎の「中動態の世界」で、だから、この「選ばれなかった未来図」は國分の「エチカ」像だが、自分で読んで、見れば、この像自体が変化していくのかもしれない。ともかく、「選ばれなかった未来」というイメージはとても魅力的な世界だ。

 夏目漱石は自分や自分の周囲の作家が書いている「小説」に対して、その総体としてのあり方の必然性を疑っていたところがある、らしい。日本の小説は、自分が書いているこんな感じのものとは全く異なった方向に進むこともできたはずだ、と思っていたらしい。僕たちが今、知っている日本の小説は、どんなジャンルであれ、大きく「小説」という言葉でイメージされるある総体を持っている。「小説を読む」といえば、だいたいどういうタイプの文章を読んで、どういう体験をするのかが、決まっている。漱石は、そういう「小説」体験の全体像が、今そうであるのとは違うようになる未来もあり得たと、思っていた。選ばれなかった日本語の小説の未来があった。

 「エチカ」のゼミは今の概算では24回でやる。月一回で二年だ。二年で一つの、その後の世界はそうはならなかった、というその総体がつかめるのだとしたら、僕はワクワクする。そのあと僕はどうなってしまうのか。世界はどうなるのか。

 上下巻二冊の文庫本を携えて、文庫本の中へ旅へ出る気分だ。漱石もつれていくか。ついてくるか。



 ゼミの詳細はまるネコ堂ゼミ、スピノザ「エチカ」を御覧ください。


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