February 5, 2021

【779】勇気と蛮勇。

 何で読んだのか忘れてしまったが勇気と蛮勇を区別して論じている人がいて、そのときはあまりピンと来なかったが、その後も時々思い出してはどういうことだろうかと思って、思い出すたびに考えてきた。そうして今になってなんとなくこういうことなのではないかと思い当たる気がしてきている。

 それは、なにかに挑まなければならないようなとき、その先に待ち構えているだろうことに対して「目を開いている」かどうかの違いではないだろうか。

 勇気の場合は目を開いて見ている。これから起こるだろう困難な状況が予めわかっていて、それから目を背けずに進む。このとき必要とされるのが勇気だ。

 逆に、蛮勇は見ていない。「目をつぶって」やる状態だ。

 勇気は自覚的かつ持続的に困難に挑んでいくイメージだが、蛮勇は無自覚的かつ瞬間的な勢いの問題だということになる。

 勇気を持って事にあたり、その結果失敗した場合、それがどうして失敗したか、あるいはどのように失敗したか、ということを「目の当たり」にすることになる。これは厳しいことだが、もう一度同じような機会があった場合、状況がつかめている分、一回目よりはるかに失敗しにくい。

 一方で、蛮勇による行為で失敗しても、その状況は「見えていない」。おそらく「何が起こったのかわからないまま失敗していた」という感覚を持つだろう。この場合、もう一度同じことをやっても一回目と同様に失敗する可能性が高い。

 勇気を持って事に当たれば、結果がどうであれ、得られるものがある。蛮勇で事に当たれば、うまく行ったときにはその結果を享受できるが、失敗した場合は、得るものがない。

 勇気と蛮勇を区別していたのが誰だったか思い出せないが、たぶん、こういうことだと思う。

 ちなみに辞書(デジタル大辞泉)では、

勇気:いさましい意気。困難や危険を恐れない心。
蛮勇:事の理非や是非を考えずに発揮する勇気。向こう見ずの勇気。

 この「勇気」の定義では「蛮勇」を含んでいる。僕の印象も同じようなもので、そのあたりが最初にピンと来なかった理由だろうが、この「勇気」から「蛮勇」を除いたものを〈勇気〉として扱えば、〈蛮勇〉と区別して論じることができる。そして、そこから上記のような意義を見出せる、ということだと思う。

 だからなんだという感じではあるけれど、少なくとも、誰だか思い出せないその相手に対して、なんとなく借りを返せた気分はする。


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