August 30, 2022

【847】アラタの絵本づくり。第二、第三作目。

以前作った絵本。本人はそれなりに気に入ったようだったので、続編。

今回は、

  1. アラタがべらべら喋っていた物語を書き留めて、
  2. 縦書きに印刷し、
  3. 四つ目綴じで製本してみた。

絵本と言いながら、絵はないけど。


「ハイカン寺」と「くつのお話」。「ハイカン寺」は第一作とは別のお話。

中身はこんな感じ。「くつのお話」より。




前回の大学のレポートみたいなのよりはそれらしくなった。

内容は、特に「くつのお話」が面白かったので、一挙全文掲載(編集者権限)。

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「くつのお話」 おおたにあらた文 


くつがはいてくれなきゃ、
さみしかって、
お部屋の中に入っていって、
机にきいてみました。

長細いのがいいかなぁ。
短いのがいいかなぁ。
どっちがいいかなぁ。
短いのがいいや。

くつはいてくれるかな。
くつはいてくれなきゃだめなんだけどなぁ。
それなら、お散歩に行こう。

てっとこ、てっとこ、とことことことこ。

お父さんとお母さんがお部屋の中に入っていったら、
くつと机がなくて、
びっくりしました。

とことことことことこ。

その時にぽっちゃんと音がして、
それかなあと行ってみました。

ああそれだ。

うちのきれいな机とくつだ、と思いました。

出ておいで。
出てこれないなぁと思いました。
じゃぁどうしたらいいのかなあ。

おしまい。

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アラタは、毎晩絵本の読み聞かせで寝る。今夜この二冊を読んでみる予定。

作ってみた段階で思ったことを書いておくと、

自分のお話を読まれるのは楽しいみたい

以前、既存の絵本(バージニア・リー・バートン「ちいさいおうち」、長新太「ころころにゃーん」)の絵にアラタが自分でお話をつけて喋っていたので、それを書き留めて、もとの絵本を開きながら、アラタバージョンのテキストを読んであげると喜んでいた。自分で喋ったお話が他人に読み上げられること自体が面白いのだと思う。今回も多分、キャッキャと喜ぶはず。

絵をどうするか

自分で思い描いたものを、絵として描くのはどうやら難しいらしい。お話はしょっちゅう一人でべらべらと喋っている。このへんは個人差があるのかもしれない。そのうち絵も描いてくれるようになれば、より楽しそう。

四つ目綴じは優れた簡易製本

製本しておくと、寝る前の読み聞かせがしやすいし、本棚に他の本と一緒に並べておける。自分で読みたい本を選んで持ってくるので、本棚に置けるのは重要な要素。四つ目綴じ(和綴じ)は、針と糸と目打ちがあれば簡単にできるのがいい(他にダブルクリップが2つあると便利)。ボンドや糊を使わないので修理もしやすい。シャツのボタン付けぐらいには普及していい技術だと思う。

August 17, 2022

【846】芸術祭について、今考えていること。2「やりたいことの罠」

 まるネコ堂芸術祭をやってきて、今僕自身が考えていることを書いています。

1「漠然とした方向感で」の続きです。

「やりたいこと」の罠

 やりたいことをやるのは意外に難しいという話をします。

 前回は「どうやってやるのか」という作品作りについて僕なりに手に入れた経験を書きました。これは、その前段という感じです。

 ここでいう「難しい」というのは、やりたいことに対してその実行に障害物があるから実現が難しい、というのとは全く別種の困難です。この障害物は「やりたいこと」の外側にありますが、「やりたいこと」に内包されている困難のことです。

 一般に、やりたいことをやる、といったときに、直ちに生じるのが、「では、私は何がやりたいのか?」という問いで、これが実は難問です。

 この問が立ってしまうと、「やりたい」が、「何」という対象に、すなわち「やりたいこと」という目的に、覆い隠されてしまいます。

「やりたい」は、まず背景として「ある」

 少なくとも僕にとっての「やりたいことをやる」は、そうではなかったです。そう気がついてきました。この問いが立ってしまう時点で、もうすでに、別の道に踏み入れてしまっている感じです。

 まだ生じていない目的を、すでにあるはずだと探すような順序の逆転が起こります。「やりたい」は、まだ、対象ではないのに、対象として探してしまうことで自動的に難問になります。探せば探すほど「やりたくなくなり」ます。やがて「私にはやりたいことはなにもない」か、「やりたいことがどこかからやってくるまで待つ」という結論に至ります。

 そこで、少し巻き戻します。そもそも「やりたい」というのは、
  • 対象そのものではなく、対象として見出される前の背景のようなもの。
  • 背景を見ているうちに何かが見出されそうな予感のようなもの。
  • 「やりたいこと」が出現する対象化プロセス自体を支えているもの。
 例えば「なんかウズウズする」感じ、のような、「なんだかわからないけどワクワクする」とか、そういった理由や根拠が漠然としているにもかかわらず自分に生じていく現象が「やりたい」で、それが「何によってもたらされているか」というのは、むしろあとから生まれる。そう思ったほうが、実感と合う気がするのです。

 「やりたいことをやる」というのはつまり、漠然としたぼんやりとした背景的にある「やりたい」という現象を継続しつつ、そこから何かを対象として見出したり、削り出したり、捏ね上げたりすることそのものを「やる」となります。

 こうして、前回の「漠然とした方向感でやっていく」というアプローチにつながっていきます。

 僕が実行委員の一人として何かしらの役目があるとしたら、こういったことが出展者に感じてもらえるような場所として芸術祭を進めていくということかなと今は思っています。

終わり

前回

August 16, 2022

【845】芸術祭について、今考えていること。1「漠然とした方向感で」

 これまで2年間、まるネコ堂芸術祭をやってきて、どんなことを今考えているかを書いてみます。

漠然とした方向感でやっていく

 僕自身も一人の出展者として作品作りをやってきました。それで得た最大のものが、「漠然とした方向感でやっていく」ということです。

 作品を作る、となると、なにか明確な最終形、目的があって、それに向かってやるものだ。そういった最終地点が見えてくるまでは、作品作りはスタートしていないのだ、とそれまでの僕はどこかで思っていたように思います。

 そうではなかったです。

 一方で、反対側にある「何も決めずに、まったく即興的に、場当たり的にやる」というのでもありません。

 僕はこれだと、一度目は良いのですが、二度目以降興味が急降下して、長続きしません。この方法で長くやれるパターンは、習慣化してしまうことですが、それだと「何も決めず」と自由度の高さを謳っていたはずが、意外にも狭い領域をぐるぐるまわるだけの、やりなれた習慣的領域で「手なりでやる」ことに閉じ込められていくような感覚になります。そして、あるレベルになると、やる前から結果がわかっていることをやっている感じがしてきて、楽しさも面白さもなくなってしまいます。

 ということで、そのどちらでもないアプローチなのですが、それが、漠然とした方向感でやっていくということです。

視界を扇型に保って

 漠然とした方向感は、視界を扇形を保って見え続けている感じです。視界の中の特定の目標物(オブジェクト)を目指すのではなく、背景として「視界に入ってくる」ものから、対象(オブジェクト)となりうる可能性をできるだけ「試していく」やり方です。

 目的を目指すのではなく、背景的な景色に踏み入って無数の目的可能性自体を試していくという感じです。

 なので、作品作りというのは、「なんとなくこっちの方が面白そうかも」という漠然とした方向へ扇形に視界を保ってできるだけ大きく可能性を保ちながら、そこから目的になるかもしれないものを試行していく、その連続そのものということになります。

 大きく確保した可能性を、大量の試行によって、一つ一つ潰していくというプロセスが、作品作りそのものになっていきます。僕は、一つ一つの試行をノートに書き出していって、なぜそれでは「だめ」なのかを検証していくのですが、それが楽しくて面白いのです。それが楽しくて面白くなるような方向へと扇形そのものを舵取りしていきます。

 検証の結果、試行が不採用になる理由は、例えば「予算が足りない」「そのための特定の能力が今はない」「時間が間に合わない」などです。逆に言えば、予算や能力や時間があればその方向は継続されます。

 途絶える方角にも、実は先があり、条件が変われば、そちらへ進むことはできます。だから「今はできない」ということがネガティブではなく、ポジティブに捉えられます。結果的に不採用にはなるものの、試した分だけ、自分の地図が書き込まれていく感じがします。僕自身が変化していく感じがします。

プロセスもオブジェクトも

 こういったやり方でやっていけばいいという実感と実践とが得られたのが、芸術祭を通して得たといえる一番大きなことです。以前の僕が、スタート地点と捉えていたものは、実はフェイズとしてはかなり終盤であり、しかも、いくつもある試行の「枝」にそれぞれあるものでした。

  • スタートとエンド(殆どは失敗)は一つの作品作りの中で無数にある。
  • 作品作り自体は、もっと前から始まっていた。
  • 一つの展示物(オブジェクト)は、扇形の面的に広がっていた可能性の試行錯誤的な虱潰しプロセス全体が、一つの表現として結晶したり転写されたものだった。

 といったようなことを自分で手に入れる幸せな2年でした。

 何よりも嬉しいのは、こういった徒労的で、無駄の多いプロセスにもかかわらず、そのプロセスの内部はずっと楽しく面白く続けることができて、なおかつ、まだ見ぬどこかにも通じているのだという終点への興味も保ち続けられたことです。

 これで僕はやりたいことをずっとやっていけると思えたのです。

2へ続きます

【告知】第3回まるネコ堂芸術祭の出展者を募集しています。8月31日締め切りです。


August 4, 2022

【844】父親の記憶。遺品整理。

 父親の遺品整理を、もう何年もかけて少しずつやってきたが、なかなか進まなかった。遺品の大半は実家の父親の書斎にある膨大な量の本や資料類だ。

 父親は文系の学者らしく研究のための資料を大量にファイリングしていた。分野と年度別にタイトルが貼られたファイルがならんでいる。専門書も古本屋並みに積み上げられている。見る人が見れば貴重なものかもしれない。しばらくはどこかに必要としている人がいるかもしれないと、手がつけられなかった。

 考え方が変わったのは最近で、もしも、この遺品に価値を見出す人がこの世のどこかにいるとすれば、それは誰よりもまず僕である。この遺産で何かを得ることができるとしたら、最も多く得るのは、僕である。

 役に立つかどうかわからない膨大な資料類を贈られてありがたいと思う研究者が仮に居たとしても、その人が父の遺品から得る感謝より、僕がその人から得る感謝のほうが大きい。僕は僕の父親の仕事に今更新たな価値付けをしてくれる人を望んでいる。それを与えてくれる人に僕は感謝する。

 だからもしも、そんな奇特な研究者がいたとして、僕はその人よりも恩恵を受ける。遺品から最大の価値が生じるとしたら、僕がその価値の最大値を決めることになる。僕自身が、その価値を最大化することができる。

 そうわかってから、手を付けることができるようになった。この遺品類が何かしらの役に立つことがあるとしたら、まず何より僕の役に立つのだから。

 そうして、僕は、僕のために父親の遺品をどうにかしようとしはじめる。

 現状、足を踏み入れるのも躊躇するようなホコリまみれの空間をまずなんとかしたい。ホコリはすべてのファイル、すべての書籍にもれなく堆積している。書類は膨大にあるが、現在もたやすく入手可能なものも多い。それらを処分して、まずは作業スペースを確保する。

 企業の組合活動の調査から父親の研究はスタートした。組合の分厚い年史(10年史など)が大量にある。これらは発行部数も多くないだろうし、古書店での扱いもなさそうだ。しかし、情報の集約度は高く史料的価値は高い、かもしれない。なので、この手の資料はまとめてアーカイブしておく。僕自身にとって直接価値があるものではなくても、それに価値を置く人にとっての価値の密度を上げておくことは、僕にとって間接的な価値がある。

 企業の組合活動の年史類をまとめた本棚。まずは、これを作ろうと思う。仕事が一つ増えた。僕以外にやる人のない仕事があることは良いことだ。