December 19, 2014

【035】旅はどこへ行くかではなくて、どれだけ持っていけないかだ。

こんなリュックで暮らせば、
それはもう旅。
チェルフィッチュの『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』を観た。

全てにおいて閉じている。

舞台はコンビニ。若手男性バイトの言葉は次の瞬間、先輩バイトの言葉で打ち消される。常連客の期待と喜びは次の瞬間、苦情へと転落する。新しい釣り銭の渡し方も、正論を吐く買わない客も、何もかも、舞台上に登場したが最後必ず反転し無に帰す。

アフタートークで演出家の岡田利規は「東日本大震災を契機として変わることができたかもしれないけれど変わることはなかった私たちの社会をコンビニは象徴している。」と言っていたけれど、この「何が現れても直ちに反転し無に帰す」虚しさは強烈で、それが現代の日本だという表現は、どんなに面白く、コミカルであっても、僕は観ていてしんどくなる。心の底で泣いてしまう。

そういう意味では前作の『地面と床』の方が、一般的には寂しいお芝居だろうけれど、「死者との対話」「死者の言い分」という、それまで無いと思っていたものへのアプローチを考えるきっかけになったから、僕自身は楽しさやうれしさを感じた。

関連するのか関連しないのかわからないけれど、書き進めてみるのだけれども、最近ネット上で僕がきちんと読むテキストの多くが「Bライフ」系のブログになった。

Bライフというのは、寝太郎さん(『スモールハウス』の著者)の造語で、サイト「Bライフ研究所」は
このホームページは、誰にも文句を言われずにいつまでも寝転がっていられる生活を、低予算で確立するための情報集積、および管理人の実践紹介を目的としたサイト
とある。
http://www.blife.asia/
(※追記:2015/12/20
 上記サイトは閉鎖され、ブログに集約されたようです。
 http://mainennetaro.blog.fc2.com/
 「Bライフ」という言葉も、もうあまり使っていないのかな。)

小さな小屋を自分で建てる、持ち物は最小限、生活費も最小限、特に何をするというわけでもない日々をただ送る。時々目的のない旅に出たりする。そんなライフスタイルがとても心地よくて、これこそが希望に思える。

わたぐもさんの「人のいない海辺の空き家でひっそり暮らす」のこのエントリーで
http://watagumohuwahuwa.blog.fc2.com/blog-entry-29.html
切迫した思いから、バイク一台で
1月の真冬に大学を卒業し、グーグルマップをみながら理想のテント生活ができる場所を求めて原付を走らせました。
というくだりは、いろいろ大変な思いを抱えていただろうけれど、はたから見ればこれ以上ない希望に思える。

ここで最初の話に戻って、「何があっても何も変わらない」虚しい円環からの離脱点は、この「できる限りの無い」で、そこでこの円環から抜け出せる。

この離脱こそが旅で、だから旅には「どこへ」なんてなくて、ただ出来る限り持ち物の「無さ」がある。


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