August 10, 2016

【358】ありえそうな話。

細野晴臣っぽい人が、ただし20代で、その人を含め3人(時に4人)で、自分たちがやっていたバンドがいかにして誕生したか、どのようなことをやってきてそうなったかを自分たち自身で伝記的に書き残そうとしている。細野っぽい人はそれを熱心に進めようとしているが書いているのは別のメンバーである。

3人はひたすら話をしている。大学生のころにそのバンドを始めたらしい。バンドを始めた動機は基本的には女の子にもてたいということで、それも具体的なあの子やこの子とどうやって仲良くなるか、みたいなことをひたすらやってきた。時にバンドではなくて自主制作映画を作っていることになったりもする。くだらないことを不器用に何度もやってきている。女の子にもてるということ自体はあまり成功していない。

それをただずっと3人で、思い出すために話をしていて、書く担当になったメンバーがそれをどうにかまとめていく。

時々原稿が進んでいくようだが、書く担当のメンバーはもともと書くのが得意というわけでもなく、本当にこれで良いのかわからない感じである。

大して面白くもない冗談を言いながら、3人の作業は進んでいく。話している内容も大して面白くもない話ではあるが、不思議な魅力がある3人で、自分たちがやってきた音楽(か映画)はとても重大なことなのだということを醸し出している。ある意味とてもまじめに、この、とても成果を結びそうもない自分たちによる伝記づくりを続けていく。

やがて、数週間か数ヶ月か、何度も開催された話し合いは終わって、書く担当のメンバーはそれを書き上げる。細野っぽい人は真面目にそれを読んで、「これはとてもよく僕達の持っているものが書き残されているんだけど」と言って、原稿の束を持ち上げる。その束は一抱えもある段ボール箱サイズになっていて冗談っぽく「はい。テストはここから問題出すよー」と言ってみせる。ようするに多すぎて「ただこの分量だと誰も読んでくれない。もしよかったら僕が少し削って一冊の本にするけれど、それでいいかな」と書いたメンバーに言って了承を得る。

細野っぽい人は「あくまでもその過程の中から書かないといけなくて、その過程が今のバンドにつながっているんだ、だからすごいんだというようにしないといけないから」と言って、その「過程」の外にあるような描写を削るつもりだと匂わせる。

僕はといえばそれをずっと、少し離れたところで見ている。喫茶店の隣のテーブルで聞き耳を立てている感じで、細野っぽい人たちのグループは僕のことを認識していない。僕は、馬鹿っぽいこの大真面目なやり取りをずっと聞きながら、この人達は後に本当にすごい人たちに、それこそYMOのような世界的なバンドになるということを知っていて、面白がりつつも尊敬を持ってことの成り行きを見守っている。

最後は、結局、その本ができあがり、まさにその本によってこのバンドは一躍脚光を浴びていくのだ、という気分がしてきたところで、目が覚めた。とても切りの良い終わり方だった。

全体の雰囲気は、昭和の漫画っぽい線画で、時々新聞の4コマ漫画的なデフォルメも受ける。大友克洋の初期の短編のような「どうしようもなさ」がにじみ出ていた。

自分たちがやっていることのすごさ、今現在はそういう評価は得ていないけれど、それでもすごいのだという確信を持っていることや、そのすごさ自体を自分たちで本として書くというやり方、しかもその内容がグダグダな感じであること、それにもかかわらずこの人達は後に高い評価を得るのだということ、それらが混ぜ合わさり、起きた時には憧憬となっていて、強烈に書き残しておきたくなってこれを書いた。



Share: