筋トレをする目的は筋力アップである。筋肥大である。だから、スクワット50回とか、プランク1分とかいうときの50とか1とかという数値に、目的や目標としての意味はない。それに気がついて、俄然、筋トレがやりやすくなった。
筋肥大は、筋繊維の一部が刺激で破断し、その後、適切な栄養と休養によって回復する際に、元よりも増えることで起こる。
だから、筋トレは、筋繊維の一部が破断する程度の負荷をかければいい。そして、本当は食事や休養にちゃんと気を配るのが必要なのだが、今はとりあえず見かけ上の「体を動かすレベル」の筋トレについて書く。
スクワットは毎日50回程度やっている。程度というのは、なるべく50回で十分な負荷がかかるように、腰を落とす高さと落とした状態をキープする時間を調整している。50回やってもまだ余裕があるなと思ったら10回ほど追加したりもする。始めたときから50回で、一月ほど経つ今でもだいたい50回で収まる。
プランクも最初1分ではじめて、いまだに1分だけど、おしりやお腹や背中の筋肉に意識して力を入れて、1分で腹と背のあたりの筋肉全体に負荷がかかるようにやっている。腹筋背筋あたりの体幹は、僕はもともと弱いようで、今でも1分はかなりきついが、それでも最初よりは余裕が出てきたので、今日は10秒伸ばした。
腕立て伏せは途中からメニューに入れた。苦手中の苦手で、本当に腕の力がない。動機よりも苦痛が上回るからと、最初はやるつもりがなかったけれど、上記のように筋トレのイメージが変わってきたことで、むしろ苦手な部分ほどやりやすいというか、負荷を簡単にかけられるので効率的だとわかって、やるようになった。10回から初めて、これはさすがに回数が少ないのだけど、それでも、顎はもとよりおでこを床につけることすらできない、というか「できない」のではなくて、おでこを床につけなくても負荷がかけられて簡単に筋トレができる。
要するに「もうだめもう限界もう無理!」ってなってから、プラス1回とかプラス5秒とか、そういうことが重要で、結果的にそれが何回だろうと何秒だろうとどうでもいい。肝心なのは、どの筋肉を「限界」にするかという筋肉へ関与する意識の精度であり、そのときどのような筋肉の状態なのかという筋肉を観察する意識の精度のことなのだ。
こういうことは物理的な、体力的な、つまりフィジカルなことだけではなく、ほかのことにも関わりそうなので、メモとして書いておく。
「文章筋トレ」にも共通点があるような気がする。
筋肥大は、筋繊維の一部が刺激で破断し、その後、適切な栄養と休養によって回復する際に、元よりも増えることで起こる。
だから、筋トレは、筋繊維の一部が破断する程度の負荷をかければいい。そして、本当は食事や休養にちゃんと気を配るのが必要なのだが、今はとりあえず見かけ上の「体を動かすレベル」の筋トレについて書く。
スクワットは毎日50回程度やっている。程度というのは、なるべく50回で十分な負荷がかかるように、腰を落とす高さと落とした状態をキープする時間を調整している。50回やってもまだ余裕があるなと思ったら10回ほど追加したりもする。始めたときから50回で、一月ほど経つ今でもだいたい50回で収まる。
プランクも最初1分ではじめて、いまだに1分だけど、おしりやお腹や背中の筋肉に意識して力を入れて、1分で腹と背のあたりの筋肉全体に負荷がかかるようにやっている。腹筋背筋あたりの体幹は、僕はもともと弱いようで、今でも1分はかなりきついが、それでも最初よりは余裕が出てきたので、今日は10秒伸ばした。
腕立て伏せは途中からメニューに入れた。苦手中の苦手で、本当に腕の力がない。動機よりも苦痛が上回るからと、最初はやるつもりがなかったけれど、上記のように筋トレのイメージが変わってきたことで、むしろ苦手な部分ほどやりやすいというか、負荷を簡単にかけられるので効率的だとわかって、やるようになった。10回から初めて、これはさすがに回数が少ないのだけど、それでも、顎はもとよりおでこを床につけることすらできない、というか「できない」のではなくて、おでこを床につけなくても負荷がかけられて簡単に筋トレができる。
要するに「もうだめもう限界もう無理!」ってなってから、プラス1回とかプラス5秒とか、そういうことが重要で、結果的にそれが何回だろうと何秒だろうとどうでもいい。肝心なのは、どの筋肉を「限界」にするかという筋肉へ関与する意識の精度であり、そのときどのような筋肉の状態なのかという筋肉を観察する意識の精度のことなのだ。
こういうことは物理的な、体力的な、つまりフィジカルなことだけではなく、ほかのことにも関わりそうなので、メモとして書いておく。
「文章筋トレ」にも共通点があるような気がする。