カエルさん、てるこさん、ゆうきさん、僕の4人。10分と70分をやる。
文章筋トレ自体、もう結構長いことやっている。初回が2019年1月だから1年10ヶ月だ。僕の経験ではこのあたりが分岐点になりやすい。飽きるか飽きないか。
大抵のことは、真面目にやればやるほど、3年ぐらいの間に飽きる。僕は多分人より飽きっぽいのだが、この飽きっぽさは正確に言えば、習慣化しにくいということだと思う。
飽きてくる前に習慣化してしまえば、もうそれは意識に上らないわけで、飽きるとか飽きないとかいう状況ではなくなる。
そういう感じで習慣化してやったほうがよいこともたくさんあるが、そういう感じでやってしまうとよくないこともある。
僕にとっては文章を書いたり読んだりすることは、習慣化しないほうがよいことだ。習慣化したほうが良いことの一番の例は歯磨きだ。
歯磨きするようには文章を書かないほうがよい。
つまり、このあたりで方向は三つに分かれる。
1つ目は、飽きてやらなくなる。
2つ目は、習慣化してやる。
3つ目は、飽きもせず習慣化もしないでやってみつづける。
当然のことながら3つ目の方向へ進むことは稀で、険しく難しく、そして断然面白い。
今回の文章筋トレは、そんな分岐点だった。このあたりで分かれる。他の人もそうな気がした。
文章そのものについては僕はもう分岐点を経て、3つ目の方向で進んでいることを知っている。進んでしまっている。帰還不能点を超えてしまったと思う。もう戻れないのだから、このまま「やってみつづける」。目に見える波の下には激しい海流の存在があることを知っている。見えない海流を読むことでなんとかどこかに辿り着こうと藻掻(もが)いている。溺れたりしながら。
面白くもなく面白くなくもなくやっていけるほど文章は生存必要性を持っていない。歯磨きをしないと痛い目にあうが、文章に深入りしないでもさほど痛い目に遭わない。文章は人間にとって後付だ。代替物は他にいくらでもある。3つ目の方向は、稀で、険しく難しく、そして断然面白いだけだ。
文章筋トレは果たしてどうなのか。僕にとってどうなのか。
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