April 10, 2021

【800】講読ゼミ(まるネコ堂ゼミ)の面白さを伝えようとする文章。その一。

ハードルが高いと言われがちな講読ゼミ


 4月6日にスピノザ「エチカ」の講読ゼミが始まった。全24回、毎月1回開催で二年間だ。僕がやってきたゼミの中では一番長い。とても楽しみだ。せっかくなのでゼミそのものと並行してなにかやってみたいなと思う。何がいいか。

 これまでゼミはたくさんやってきた。30タイトル以上になる。ゼミそのものは、力いっぱいやってきたが、一方であまり力を入れてこなかったことがある。

 ゼミの面白さを一般的な言葉で伝えようとしてこなかった。自分が自分でゼミを面白がるということに関しては、できる限りのことをしてきたけれど、他人にその面白さがわかるようにするようなことは、ほとんどしてこなかった。怠惰だった。

 だからそれをやってみようと思う。「エチカ」ゼミをやりながら、ゼミの面白さを表現していく。一体、何が面白いのか。何を面白がっているのか。ハードルが高く見られがちなゼミだが、興味さえあれば誰でも楽しめるということをどうにか伝えてみたい。

面白さを表現するとさらに面白いことが起きる

 さて、ゼミは一体「何が面白いのか」。

 こうやって具体的な問いになると、答えは問いそのものに内包されていることがわかる。

 つまり「何が面白いかを表現するのが面白い」ということだ。「本を読んで自分が面白いと思ったその面白さを表に出すことが面白い」のだと思う。

 本を読んで面白かった、というのが第一の面白さだとしたら、その面白さを表現することが第二の面白さを生み出す。さらに、新しく生まれた第二の面白さによって第一の面白さが再活性される。そうやって面白さが連鎖的に広く深くなっていく。

 これが面白くないわけがないと思うが、どうなんだろう。伝わるだろうか。少なくとも本を読んで面白いと思った経験がある人には、講読ゼミは試す価値がある。その面白さがさらなる面白さを生むのだから。

 ただ、自分が面白いと思っていることを表出するのは、ある種の露出趣味だと思う。

 自分が面白いと思うそのことを他人に見せるというのは、本当のところ、裸を見られるよりも恥ずかしいことだ。そして、同時に裸を見られるよりも楽しいことなのだ。だから一種の露出狂だと思う。

 逆に、秘密趣味というものを成り立つ。自分が面白いと思うことを徹底的に隠すことにもある種の面白さはある気がする。そちらにはそちらの愉しみがあり、こちらにはこちらの愉しみがある。

 そんなわけで、僕はこちらの露出狂の流儀で、ゼミの面白さをこんな感じの文章としてこれからもできるだけ書いていこうと思う。面白さを書くことはさらなる面白さを生むのだから、こうやって書いていくこともなにかの面白さを生み出すと期待して。

 続く。つもりです。


これまでのゼミの記録。提出されたレジュメも掲載してあります。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★5月14日開催
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
https://gengoweb.jimdofree.com/




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