と同時に、実際に臼と杵をいただくところから一つ一つ必要な道具類を揃えたり、使ってみたりしてわかってくる面白さもあります。表舞台というのは別の言葉で言えば「ハレ」ですが、その裏側の「ケ」の面白さ、日常の面白さです。
餅つきに使うものは臼と杵がまさにそうなのですが、とても大きくて重くて、道具というよりは設備といった感じがします。また、餅つきに必要な工程は、臼と杵で搗くだけでなく、もち米を大きなセイロで蒸したり、搗いた餅をのし板の上で丸めたりと、一人で全部をこなすのがそもそも難しく多人数でやることを前提にしています。餅つきは大きな設備を多人数で運用してようやくできることです。
餅つきの当日は「ハレの日」ですが、それを成り立たせるための基礎としてケの重要性があります。
大きな設備がちゃんと稼働するように、他の用途にも使って良い状態を保っておいたり、手入れをしたり修理したり、人が集まれるように日頃から生活をその場所で営んでおいたり、餅つきにはそういったケの魅力、様々なものが重層的に連携した分厚い日常の魅力があります。
もともと僕は「ケ」や「日常」が好きなのですが、ケに血が通うためにハレがあってそれらは表裏の関係にあるということが、お餅つきの準備をすることで、とても実感できるようになりました。祭り好きの人たちは、年に数日程度のハレの日のための、その他の360日ぐらいのケも楽しんでいたのだと思います。
母方の親戚の「おじちゃん」(祖母の兄弟)がまさにそんな人でした。宴会場を経営していましたが、一年中「たなばた(地域の夏の祭り)」のことで頭がいっぱいの人でした。祭りの当日は、嬉しそうに山車に乗って提灯を振っているだけで、大したことは何もしていませんでしたが、それ以外の日をずっと祭りの裏側の日常を仕事としてやっていたんだろうと思います。
大きな設備をうまく稼働させ続け、色んな人にやってきてもらえるまるネコ堂になればいいなと思っています。
いよいよ、年末のお餅つき、やります。