April 24, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭、紹介してもらいました。

明後日から始まる第5回まるネコ堂芸術祭のことを「号外NET 宇治市・城陽市」と「Yahoo!ニュース」にて紹介してもらいました。
同じタイトルですが少し違ったポイントで書いてくれてます。紹介ありがとうございます。
今週は毎日のように出展者が搬入や会場のお掃除などに来てくださってます。

準備期間も残りわずかとなりました。是非、お越しください!

第5回まるネコ堂芸術祭

日程 2025年4月26日(土)~29日(火・祝)
時間 11:00~16:00(最終日のみ15:00まで)

会期中のイベント情報・その他詳細はこちらから!

April 22, 2025

表現研究会第4クールのレジュメ

表現研究会で大谷隆が発表したレジュメです。

「junaidaの絵本とゲーム」

2025-04-14 大谷隆

junaidaとは

画家。1978年生まれ。Hedgehog Books代表。京都在住。

知ったきっかけ

僕がjunaidaさんを知ったのは2024年。ロームシアター京都の蔦屋書店で「IMAGINARIUM」の表紙が目についた。この本は間違いないという「あの感じ」があったので、その場で買おうと思ったが、絵本がいくつかあるようなのでそちらも調べてからと思って家に帰り、まず「怪物園」を注文。アラタも葉ちゃんも気に入ってくれた。それから積極的に集めはじめる。画家というよりも絵本作家として。

持っている本のリスト

  • 怪物園」2020 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • 街どろぼう」2021 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • Michi」2018 装幀:Hal Udell
  • 世界」2024 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • IMAGINARIUM」2022 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • 」2019 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)

奥付めくればcozfish。

遊ぶ(プレイングな)絵本

美しい絵であるだけでなく、アイデアがあって、面白い絵。画から離れたところから「見る」「眺める」という視覚的なものというよりは、絵の世界に入って体験する感じがあるのがとても良い。絵の世界で遊ぶ(play)ことができる。

主題が画面の真ん中にあって、そこに視線が集中するといった、消失点のある透視図法的な画面の構図は少なく(そのような絵もあるが)、画面全体のあらゆるところに、何かが息づいていて、絵の中に潜入することで、意識の周囲に絵の内部世界が立ち上がって、そこに滞在することができる。全体を見通すことができず、視界は部分に限定される。物陰が重要。曲がり角の向こうがある。

好きな点の1つ目として、登場人物への〈感情移入〉に頼らずに、表現された世界への〈潜入体験〉を実現していること。むしろ、登場人物の感情表現は、かなり控えられている。それでも〈潜れる〉。このあたりに「現代的な絵本」を感じる。登場人物への感情の〈同化〉とは異なる方向で「ドラマ」を生んでいるように思う。

感情の移入や同化によって臨場感を出そうとすると、「子供向け」のものはどうしても啓発的・教育的になることが多い(大人向けだと露悪的な方向もあるが)。その点でもjunaidaさんの作品は、「正しさ優位」にならざるを得ない「教育啓発」的雰囲気とは違っていて、非生産的な「単なる遊び」の領域にとどまる。善悪基準から自由なところで面白さを実現している。

好きな2つ目。絵本は普通、「絵と文」という構成要素で捉えられる。別の言い方だと「視覚と言語」。でもjunaidaさんの絵本はそのような二分法で捉えるものというより、それより上位にもっと能動的な体験があるように思える。だから、文章がどうこうとか絵がどうこうというだけではすくいきれない魅力がある。

この上位の魅力は、もう少し突っ込んで言うとすれば、ゲーム的な面白さだと思う。ゲームは「視覚や聴覚や言語的なメディア」という言い方よりもまず「積極的なプレイ体験」として意味がある。自分自身が主人公として行動することでそれを実現している。

junaidaさん自身がゲーム好きだったりゲームを意識していたりするのかは不明だが(検索しても出てこなかった)、そういったゲーム的な能動性を誘発する感じがある。ゲームの面白さと似た面白さがある。

「ほぼ日」のjunaidaさんのインタビュー

junaida 僕の場合は、僕の絵を見て空想してもらえたら、うれしいですね。 

junaida その絵の直前直後の場面、このキャラクターはどこから来たのか、これからどこへ行くのか、いったい、どんな性格してるんだろう、こっちのふたりは友だちかな、恋人どうしなのかな‥‥。そういう、絵の前後左右を自由に想像できる余白みたいなことを、つねに意識して描いているので。 

(インタビュアー) お客さんって、そういうことを絵の前で、話してたりするんですか? 

junaida してますよ、たまに。友だちどうしで来てくれたりすると。そんな場面に遭遇すると「あ、遊んでもらえてるなあ」って。

ほんとうにjunaidaさんの絵本は遊びたくなる。「物語の世界に誘われる、ひたる」というよりもさらに一歩進んだ「そこで遊んでなんぼ」感が強い。

持っている作品のゲーム的だと感じる側面

「怪物園」

文字通りロールプレイングゲームのモンスターのよう。ポケモンだったり、古くは「ドラゴンクエスト」の鳥山明のキャラクターデザインも想起する。それぞれの怪物の背景に「設定がある」感じ。横顔、正面などがあって、一つ一つが考えられていて、そのようなモノとしての存在感がある。

「みち」

アイソメトリックな視点で消失点が無い。ゲーム用語的には「見下ろし型2D視点」。迷路のような道を指でたどっていく。ものすごく原初的な「道を進んでいく楽しさ」がある。ゲームのマップ画面のよう。幼児期の記憶として残っている「未知の道」「曲がり角の向こう」「階段の向こう」のワクワクがある。進むだけで楽しい。階段があって高低差があったりするのも楽しい。テキストなしだけど、ストーリーもある。

「世界」

これもテキストはないが、明確にストーリーがある。生まれたばかりの主人公が育っていってあらゆるものと出会い、やがておじいさんになる。自分が世界をそのようなものとして捉えていく。

「の」

junaidaさんのアイデアは、誰も思いつかない斬新なアイデア、というよりもむしろ、誰しもが子供の頃に一度は冗談や遊びとして思い浮かぶような、「普遍的なアイデア」。それを高いレベルで実現している。緻密で過剰な表現力と想像力。

ゲームの話

で、今年はゲームの話をなるべくしていこうと思っています。

子供の頃(70年代から80年代)、小説と漫画とアニメとゲームが好きだった。このうち、小説、漫画(あと映画、テレビドラマなど)にのめり込んでいることに対して後ろめたさはほどんどなかった。

一方で、アニメには若干、ゲームには強い「非社会性」を感じていた。ゲームは、漫画・アニメのあとに登場した最後のサブカルチャー。アニメとゲームは、まさに僕の世代をターゲットにして生み出されたもの。

たぶん今でもゲームは、一般社会的には「最下層のエンタメ=取るに足らない暇つぶし」という「下位」に位置していると思う。「ゲームなんてやってないで・・・」。僕自身、高校生ぐらいで、こんなことをしていてはだめだと思いゲームから距離を取った。それから20年以上のブランクがある。

5年ぐらい前に「マインクラフト(2011-)」が「世界一の販売数(ダウンロード数)」と知って興味を持って調べる。その時、「ボクセル(ピクセル)調の一人称視点なんてマニアックなゲームが世界一で、しかも10年も開発が続いてアップデートされているのか」と驚き、現代のゲームを取り巻く情況に興味を持つようになった。Steamのような世界規模のゲーム配信プラットフォームの存在もその時知った。

ゲームに対する社会的意識は、僕らの時代とは大きく変わっている。極端かもしれないが、今の20代ぐらいまでの人たちには、ゲームは教養(リベラルアーツ、解放のための技術)なのではないか。僕らにとっての漫画のように。

ヒップホップの人たち、ビートボクサーやラッパーもゲーム好きが多い。アニメ好きも多い。大谷翔平さんはフォートナイトでメジャーリーグのチームメイトと仲良くなった。山田涼介さんはapex legendsの「プレデター(上位750人、0.3%程度)」を達成。

80年代のあのころからずっとゲームに真面目に踏みとどまり続けた人たちのことを思うと胸が痛む。プロゲーマーの梅原大吾さんとか。

現在のゲーム関連で興味深い動き 2010年代以降

イェスパー・ユール『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』2016、原書2011

ゲームを学術的に扱った研究書。ゲームの面白さとはなにかを「学術的に」論じ(ようとし)ている。「ゲームの何が面白いのか」を議論する基盤を少しずつ積み上げていって、みんなで「ゲームの面白さ」の話ができるようにしていく。じっくりとした議論の進め方自体がとても面白い。それこそゲームをやってる感じ。少しずつワールドマップが広がっていく感じ。

日本デジタルゲーム学会 2011-

「本学会は2011年4月28日付けで、日本学術会議より「日本学術会議協力学術研究団体」に指定されております。」。ゲーム関連学会が、日本にも。

美術手帖2020年8月号 特集「ゲーム×アート」

今、一番元気の良いアート領域は、たぶんゲーム。未成熟なワクワク感。大きなメディアにあらわれてくるアート情報は、既にアートとして受容されているもの(絵画や彫刻など「過去芸術」)が多いが、現在の美術の内部でホットなのは「ゲーム」なのではないか。もう少し厳密には、現代美術の現在の主戦場は「漫画・アニメ」で、その次が「ゲーム」。村上隆もトレーディング・カード・ゲームを出した。たぶんデジタルゲーム開発もしたい(してる?)のではないか。

『ゲンロン8 ゲームの時代』2018

ゲームについての共同討議。1991年から2018年までのゲーム史年表とキーワード集。炎上した。

森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」2025

6月8日まで開催中。実は今、一番気になっている展示会。個々の作品を観たいというよりは、アートにおけるゲーム領域がどれぐらい「メイン」なのか、あるいは「周辺」なのかの現時点での感じを掴みたい。どれぐらいアートの世界にゲームがはびこっているのか。活性を持っているのか。観に行けそうにないのが残念。

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』1938、ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』1958

「遊び」についての古典。実は「遊び」ついて真面目に論考された本は少なくて、古典はこの2冊が必読。あとはあまりない。哲学の古典としては比較的新しい年代。現代の「ゲーム」が置かれているのと同じような「取るに足らない」位置に「遊び」自体があったということだろう。「ホモ・ルーデンス」はホイジンガが65歳で、ようやく書いた本。「面白さ」を研究することの難しさ。

「絵本が登場するとき」阿部卓也、『ゲンロン17』収録 2024

絵本はもともと書物の一種というより、おもちゃ(玩具)に隣接・連続した存在だ、という側面がある。[94]

絵本は本というよりおもちゃだった。だから「電子化」されにくい。興味深いことに、おもちゃの一種であるゲームはもともと「電子化(デジタル)」されたもので、そこから逆流するように、おもちゃとしての絵本に、「プレイできる面白さ」が流入していることになる。

子供は絵本を何度も何度も、一字一句記憶するぐらい読む。ゲームで言うと、リプレイ性が高い。何度でも遊べる。こういうところも絵本とゲームとに通ずる回路があるように思う。

装幀(ブックデザイン)が重要なのも、おもちゃと考えると納得がいく。祖父江慎さん、藤井遥さんも楽しそうに遊んでいる、いい仕事。

以上


April 18, 2025

4月4日~4月中頃。

公開しようか迷うくせにとりあえずライブで書いておきたいという気持ちもある。

4月4日にお腹の子どものとらちゃんの心臓の検査に行った。
まさか1時間近くエコーするとは思わなくてびっくりした。
左右の心室の間に穴があるらしいことがわかったけど、医師があまりに落ち着いているのでたいしたことではないように聞こえてくる。とういうか、手術でどうにかなる程度ならたいしたことではないように思えてくる。
いろいろ説明してもらったけど、胎児のエコーは当然母体越しなので、生まれてこないと確かなことは言えないらしい。
その後は妊婦健診。とりあえず羊水が多すぎるので、それを抜くために1泊2日で入院することが決まった。

なんだかその日の診察でわかったことは、胎児のことはよくわからないということだった。
方向性は示されてる感じだけど、ぼんやりしている。

隆とようちゃんが一緒に来てくれた。
長時間で、ようちゃんは(とようちゃんと一緒にいた隆は)大変だったと思う。
帰りにスーパーによったらようちゃんは最近気に入っているブルガリアヨーグルトを2つも抱えて出てきた。

気が張っているとなんとなく疲れがわからないときがあるけど、ふとどっと疲れることがあってまあそりゃ疲れるわなと思う。

初めていろいろ知らされたときより少し落ち着いた。気がする。
体も使わないように心がけているというかいろいろ助けてもらいなるべくゆっくりしているからなのか、薬は飲んでるし張りも多少マシ。なんとなく羊水の増加速度も一時期に比べて落ち着いている気がする。

まるネコ堂芸術祭の方はLINEスタンプは完成させて、それだけになってしまうかもと当初思っていたけど、シールデータも完成できて今週来る予定だからそれも展示できそうで嬉しい。

いろいろ助けてもらってありがたい。


去年、京都市京セラミュージアムでの村上隆展に連れて行ったようちゃん。
テーマソングのmononoke kyotoを気に入ったようなので聞かせまくってPVも結構見た。
今朝は「いまちーかない、の本ここ?どこ?」と図録を探す。いまちーかない、はmononoke kyotoの歌詞。正確には「いましかない」。
鬼が見たかったらしく、彫刻の鬼の写真を見せて、満足しないようで、森美術館での「五百羅漢展」の図録の赤と青の鬼も見た。
村上隆の絵って普通に子どもが好きになってしまうものが多い気がする。結構熱心に見る。


羊水除去の日。
駅までタクシーに乗って、さらに病院最寄り駅からタクシーに乗ることにした。送ってもらってもよかったのだけど、ずっと車も酔うので電車でもいいかと。
途中であらたのクラスで一緒だった子のお父さんに会った。通勤途中。降りる駅が同じだったけど、特急では座れないんじゃないかと教えてもらい私は準急に乗った。
目的の駅に着くと改札にその人が立っていて、慣れない駅だと迷ってしまうかもしれないから勝手に待っていたとタクシー乗り場まで案内してくれた。不安な日ではあったし、とてもありがたかった。

病院でしばらく待たされて、急にいろいろ準備が始まった。
せっかくだされたお昼を食べる暇なく、点滴がつけられ、お腹はすいていた・・・しかし、今は食べれないからと下げられてしまった。しかも終わったあとも出てこず処分されてしまった・・・。食欲は健在。
着いてすぐカロリーメイトを食べていたのがちょっと救い。

分娩室に通された。分娩じゃなくても分娩台に乗ることがあるのかとびっくり。
看護師さんの準備がひと段落すると、ぞろぞろと医学生だろう人が入ってきてなんと見学入れて11人体制。いつも診察してくれていた主治医は平然とやるんだけど、いろんな立場で緊張しながらやっている人もいるので緊張する。
ぶっとい針が見えて怖かった。
多分あれで羊水を抜く。

1.5L抜いたところで、赤ちゃん近づいてきたのこのくらいにしときます、と終了。
ほんとは2L抜きたかったけどと言っていた。
緊張したのか37.7℃になっていて、よくあることなのか看護師さんも普通だった。

羊水を抜いたあと、お腹の張りが強ければ入院がのびると聞いていた。
幸い特に問題なく、予定通り翌日退院できた。
入院中に保坂和志の「プレーンソング」を読んだ。作中に出てくる若者たちも実年齢は私よりずっと上なのかと思うと、すでに古典な本に思えた。確か、1990年ごろ出版。

1泊2日で家に帰りつくとあらたが困っていた。
その日あったまるネコ堂ゼミの内容を聞いていて困ってしまったらしい。いろいろ考えることがあったんだろう。

あらたはこの春から小学生になって、思った以上に学校を楽しんでいてなので頑張っている。
ほんとうに思った以上。
朝5時に起きて、夜8時前に疲れ果てて自分で布団にはいっていく。

あらたの濃密な日々の影響をうけてるのか、羊水を抜いた日からすごい日数が経った気がする。
羊水は、また増えるかもしれないし、増えないかもしれない。
増えないにこしたことはないけど、増えたら増えたで仕方がない。
次回MRIを撮るそうで、それで正直なにがわかるのかよくわかってないんやけど、その日に合わせて次の健診もある。羊水の溜まり方とか、子宮頸管の長さとか測ってくれるのかな。子宮頸管が短くなると、早産の可能性が高くなってしまうので、入院を提案されるんじゃないかと思う。羊水は一時期すごいスピードで増えたほどは増えていないようには思う。多分。


こういう話をどういうテンポで書けばいいのかわからなくなったりよくしている。大変ではあるけど、落ち込んでいるわけではない。
もう、ほぼほぼ何かの疾患を持って産まれてくるだろうと思うので、とらちゃんが病気でなければいいと単純には思えなくなった。もちろん、症状が軽かったりするに越したことはないし、病院であればいいと思っているわけでもない。生きて行けるようにできる治療もすると思う。
でも、あまりにそういうことを願いすぎるとそれがいったいそもそもとらちゃんなのかよくわからなくなって、いったい自分が誰と過ごしているのかわからなくなるような気分がある。そもそもそうであるとらちゃんの根本みたいなものを否定するようなところまでいってしまう気がすると違和感があるんだと思う。
こういう気分っていうのを半年前の自分はほとんどわからなかった。だから、上手く言えないし書けないて気分がしてるのかもしれない。

April 14, 2025

「蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影」と「モネ 睡蓮のとき」

 蜷川実花展に行ってみた。写真だと思ってたらインスタレーションばかりで実はがっかりしてしまった。

周りの人たちが「かわいい~」「きれい」と楽しんでいる中、自分は楽しみ方がよくわからなかった。

ようちゃんがいれば・・・「これかわいいな~」「キラキラやな~」「あ!」と指さして喜んで見る。そんな姿を想像してしまっていた。
しかし、私は展示を出た後のグッズショップで写真集を見て癒されていた。これは理解できる、という感じ。

後日、まるネコ堂芸術祭の出展者とそんな話をしていたら、だんだん楽しみ方がわかってきた。
会場はどこもかしこも撮影OK。もうそれはほんとにガチのニナミカスタジオ。
かわいい、きれい、キラキラ、おどろおどろしい、ライティング抜群。そんなセットの中で撮影会を楽しむことができたはず。なんか、それを一人で行って・・・というのもそんなに写真にこだわれない自分としては微妙な話だけど、ようちゃんと行くなら楽しそうだなと思ったあの感じを存分に味わえたらな、味わってみたいな。ああ、余裕があればようちゃんと行きたかった。

何気なくとった写真からだけでも醸し出されるニナミカ風味。


意識していたわけではないというかもう前提として従来のスタイルの作品の出来栄えを吟味しようと出かけて行った。そんな自分とは違った気持ちでいれば楽しめることがあったんだろうなと思う。別の角度の体験というか、蜷川実花の制作の現場に入らしてもらい探索する感じかも。

そんなことに気づけただけでも、とてもいってよかった。
写真とか、色使いはとても楽しかったから、最近はあまり買わなくなっていたポストカードを思わず購入してしまった。

公式サイトの高橋 信也さん(京都市京セラ美術館事業企画推進室ゼネラルマネージャー)のっコメントはちょっとおもしろかった。

蜷川実花の視覚表現は、展覧会を重ねるごとに明らかに進化している。進化への激しい情熱もさりながら、その華麗な表現と共にどこに向かって進化しようとしているのか?

どこに向かっているか、少なくとも傍目にはわからないらしい。
うちは熱心にフォローしてきたわけではないけど、映画を作ったと聞いた時もそんなこともするのかという意外な印象は持っていた。


疲れていたけど次の予定まで時間があり、しばらくウロウロしていたが同じ会場でやっていたモネ展も見に行った。
次の週には転院があって、羊水も多いし無理しないように・・・と言われるのだけど、この時は異常はないと言われていたので、まあ歩いて体力つけるのも悪くないんじゃないのと思ったりして行ってしまったが、振り返ってみればもうこの日しかチャンスはなかったんだな。


何度も見たモネ。「モネ 睡蓮のとき」とタイトルを見ると、「後期のモネだね~」とピンと来るくらいには見て来た。好きだけど流石にもういいかなと思っていたけど絶対会期中来ようか迷い続けるからやっぱり見てしまった。

好きになった時ほどの感激は今はないけど、見たらワクワクするものだなとびっくりした。100年以上も前の作品だからオーソドックスだけど、当時は今流行りの漫画とか新しい配色の絵を見るような感覚に鑑賞者はなっただろうしモネはそういう挑戦をし続けたんだろうと今回よくわかった。色や題材そのものもチャレンジという感じ。

あの睡蓮のある庭は、もともとあったものではなく描くためにモネが造園した。
そこにあるきれいな庭を描いたのではなく、描くための庭を作るのはある種クレージーだと思ったりもした。そして、蜷川実花は撮るためにあそこまで造花を飾り立ててるのかと思うとちょっと似たとこも感じて隣り合った美術展として見ているのは面白かった。


モネの庭について検索していたら『北山村 「モネの庭」マルモッタン』という観光施設を四国に見つけた。モネの庭を日本に再現しているらしい。
本物(?)のフランス、ジベルニーの庭の方は見れるのは知っていたけどこんなのもあるとは!
「モネ イマーシブ・ジャーニー 僕が見た光」という体感型デジタルアート展も名古屋でやっているらしい。いろいろやってんねんな。

なんだかうちが楽しんできたのではないモネの楽しみ方というのがいろいろ出てきている。
うちは古典的な作品の形がすきなんやなというのがよくわかった。それがよくよく意識できたのでこれからいろいろ楽しめそうな気がしてきた。


April 9, 2025

3月末日~4月の頭くらい。

 bloggerの編集画面はpovoの低速でもつながるので外にいるときでもかけることに気づいた。

出産前に終わらせようと始めたちょっと大きな歯科治療。1週間前までは十分終わるつもりでいたのに今はどうなることかと思っている。
今回を入れてあと3回。車で送迎してもらった。

今年で解散するあらたの保育園の保護者会で会計をしている。年末のつわりから自分ではあまりなにもできなくなったが、会長をはじめいろいろ他の人がやってくれた。会計の締めも、ちょっと産前に無理だろうと思っていたら、いろいろ会長が考えてくれてうちでできる作業以外のことを動いてくれることになり持ち越さずに終えれそう。頼もしい。ありがたい。
会は持ち回り制だったのを、4年ほど前に解散の話が最初に出てから有志になり何人かで続けて来た。解散には責任も感じるが、私自身来年はもうできないと感じた。大したことは出来なかったが、ほんとにいろいろ勉強になった。知り合いもできた。

子どもを同じような染色体異常で亡くした方がたまたま知り合いにいた。うちはまだ確定はしてないけど。
聞く前からそうでないかと思っていたらそうだった。一緒にいれる時間を楽しんでとか、大事にとかそんなことをちらっと言っていた気がする。経験者の言葉はなんだか違うというか、そんなに経験至上主義にはなりたくないのだけど、そうやって近い終わりがあるかもしれないものとして捉えられる人はそうそうない。無事な誕生を願うこともそれはそれでそういう気持ちもあるけれど、多分現実的になんともなしにというのは難しい面もあるから、それだけ聞いてたり考えたりしても落ち着かない気持ちがいくらかあるんだと思う。 
胎動が弱い子だと前々からなんとなく思っていたけど羊水が多いせいらしい。エコーの画面で前の健診からほんとにぷかぷかと羊水に浮かんでるなぁという感じになっている。あらたやようの時はえらい狭いところにいるなと思いながら見ていた。

胎動を大きく感じる日があって、それを言うと「よくなったのかな」とあらたが言っていた。それは難しいと説明した。でもその日はうちも、ほんとは元気なんじゃないかなとやっぱり思ったりしていた。
確か3月27日、隆の発案で名前をつけた。あらたは考えていたらしく「とら」に決まった。
漢字だと言っていたけど「虎」なのか「寅」なのか、どっちかのはずだけどまだ聞けていない。

毎日手帳を見るのが習慣化しつつあったのに、際全然見れなくなった。予定の概念が変わってどうつかっていいのかわからない。以前のように使っても仕方ない。ちょっと考え方を変える良い機会だと思う。

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