bloggerの編集画面はpovoの低速でもつながるので外にいるときでもかけることに気づいた。
出産前に終わらせようと始めたちょっと大きな歯科治療。1週間前までは十分終わるつもりでいたのに今はどうなることかと思っている。
今回を入れてあと3回。車で送迎してもらった。
今年で解散するあらたの保育園の保護者会で会計をしている。年末のつわりから自分ではあまりなにもできなくなったが、会長をはじめいろいろ他の人がやってくれた。会計の締めも、ちょっと産前に無理だろうと思っていたら、いろいろ会長が考えてくれてうちでできる作業以外のことを動いてくれることになり持ち越さずに終えれそう。頼もしい。ありがたい。
会は持ち回り制だったのを、4年ほど前に解散の話が最初に出てから有志になり何人かで続けて来た。解散には責任も感じるが、私自身来年はもうできないと感じた。大したことは出来なかったが、ほんとにいろいろ勉強になった。知り合いもできた。
子どもを同じような染色体異常で亡くした方がたまたま知り合いにいた。うちはまだ確定はしてないけど。
聞く前からそうでないかと思っていたらそうだった。一緒にいれる時間を楽しんでとか、大事にとかそんなことをちらっと言っていた気がする。経験者の言葉はなんだか違うというか、そんなに経験至上主義にはなりたくないのだけど、そうやって近い終わりがあるかもしれないものとして捉えられる人はそうそうない。無事な誕生を願うこともそれはそれでそういう気持ちもあるけれど、多分現実的になんともなしにというのは難しい面もあるから、それだけ聞いてたり考えたりしても落ち着かない気持ちがいくらかあるんだと思う。
胎動が弱い子だと前々からなんとなく思っていたけど羊水が多いせいらしい。エコーの画面で前の健診からほんとにぷかぷかと羊水に浮かんでるなぁという感じになっている。あらたやようの時はえらい狭いところにいるなと思いながら見ていた。
胎動を大きく感じる日があって、それを言うと「よくなったのかな」とあらたが言っていた。それは難しいと説明した。でもその日はうちも、ほんとは元気なんじゃないかなとやっぱり思ったりしていた。
確か3月27日、隆の発案で名前をつけた。あらたは考えていたらしく「とら」に決まった。
漢字だと言っていたけど「虎」なのか「寅」なのか、どっちかのはずだけどまだ聞けていない。
毎日手帳を見るのが習慣化しつつあったのに、際全然見れなくなった。予定の概念が変わってどうつかっていいのかわからない。以前のように使っても仕方ない。ちょっと考え方を変える良い機会だと思う。