April 14, 2025

「蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影」と「モネ 睡蓮のとき」

 蜷川実花展に行ってみた。写真だと思ってたらインスタレーションばかりで実はがっかりしてしまった。

周りの人たちが「かわいい~」「きれい」と楽しんでいる中、自分は楽しみ方がよくわからなかった。

ようちゃんがいれば・・・「これかわいいな~」「キラキラやな~」「あ!」と指さして喜んで見る。そんな姿を想像してしまっていた。
しかし、私は展示を出た後のグッズショップで写真集を見て癒されていた。これは理解できる、という感じ。

後日、まるネコ堂芸術祭の出展者とそんな話をしていたら、だんだん楽しみ方がわかってきた。
会場はどこもかしこも撮影OK。もうそれはほんとにガチのニナミカスタジオ。
かわいい、きれい、キラキラ、おどろおどろしい、ライティング抜群。そんなセットの中で撮影会を楽しむことができたはず。なんか、それを一人で行って・・・というのもそんなに写真にこだわれない自分としては微妙な話だけど、ようちゃんと行くなら楽しそうだなと思ったあの感じを存分に味わえたらな、味わってみたいな。ああ、余裕があればようちゃんと行きたかった。

何気なくとった写真からだけでも醸し出されるニナミカ風味。


意識していたわけではないというかもう前提として従来のスタイルの作品の出来栄えを吟味しようと出かけて行った。そんな自分とは違った気持ちでいれば楽しめることがあったんだろうなと思う。別の角度の体験というか、蜷川実花の制作の現場に入らしてもらい探索する感じかも。

そんなことに気づけただけでも、とてもいってよかった。
写真とか、色使いはとても楽しかったから、最近はあまり買わなくなっていたポストカードを思わず購入してしまった。

公式サイトの高橋 信也さん(京都市京セラ美術館事業企画推進室ゼネラルマネージャー)のっコメントはちょっとおもしろかった。

蜷川実花の視覚表現は、展覧会を重ねるごとに明らかに進化している。進化への激しい情熱もさりながら、その華麗な表現と共にどこに向かって進化しようとしているのか?

どこに向かっているか、少なくとも傍目にはわからないらしい。
うちは熱心にフォローしてきたわけではないけど、映画を作ったと聞いた時もそんなこともするのかという意外な印象は持っていた。


疲れていたけど次の予定まで時間があり、しばらくウロウロしていたが同じ会場でやっていたモネ展も見に行った。
次の週には転院があって、羊水も多いし無理しないように・・・と言われるのだけど、この時は異常はないと言われていたので、まあ歩いて体力つけるのも悪くないんじゃないのと思ったりして行ってしまったが、振り返ってみればもうこの日しかチャンスはなかったんだな。


何度も見たモネ。「モネ 睡蓮のとき」とタイトルを見ると、「後期のモネだね~」とピンと来るくらいには見て来た。好きだけど流石にもういいかなと思っていたけど絶対会期中来ようか迷い続けるからやっぱり見てしまった。

好きになった時ほどの感激は今はないけど、見たらワクワクするものだなとびっくりした。100年以上も前の作品だからオーソドックスだけど、当時は今流行りの漫画とか新しい配色の絵を見るような感覚に鑑賞者はなっただろうしモネはそういう挑戦をし続けたんだろうと今回よくわかった。色や題材そのものもチャレンジという感じ。

あの睡蓮のある庭は、もともとあったものではなく描くためにモネが造園した。
そこにあるきれいな庭を描いたのではなく、描くための庭を作るのはある種クレージーだと思ったりもした。そして、蜷川実花は撮るためにあそこまで造花を飾り立ててるのかと思うとちょっと似たとこも感じて隣り合った美術展として見ているのは面白かった。


モネの庭について検索していたら『北山村 「モネの庭」マルモッタン』という観光施設を四国に見つけた。モネの庭を日本に再現しているらしい。
本物(?)のフランス、ジベルニーの庭の方は見れるのは知っていたけどこんなのもあるとは!
「モネ イマーシブ・ジャーニー 僕が見た光」という体感型デジタルアート展も名古屋でやっているらしい。いろいろやってんねんな。

なんだかうちが楽しんできたのではないモネの楽しみ方というのがいろいろ出てきている。
うちは古典的な作品の形がすきなんやなというのがよくわかった。それがよくよく意識できたのでこれからいろいろ楽しめそうな気がしてきた。




Share:

Related Posts:

ブログ