January 24, 2021

【776】「受け身の学習」なるもの。

・受け身という言葉について。

・先生の話を生徒が黙って聞いているだけの授業を受け身だとする意見の人は、黙って本を読むだけの読書も受け身だと捉えているのだろうか。寿司屋で板前が握る寿司を黙って食べるだけの食事も受け身なのだろうか。

・先生の言うことを黙って聞いているというのが受け身であるかどうかは、生徒の中で何が起こっているかによる。「本を読む」ということが、本に書いてある情報を摂取することだったり、「食べ物を食べる」ことがカロリーの摂取だったりするように、先生が所持している知見を生徒が摂取するというのであれば、受け身ということになるのかもしれない。

・一方で、本を読むことは書かれた世界のなかで出来事を体験することなのだ、とか、食事をするというのも一つの全体的な体験なのだ、と捉える人であれば、ある分野について自分よりも多くの知識を持ち、それについて長い時間、多くのことを考え、思い、感じてきた人の話を聞くことで、聞き手に何かが生じ、一つの体験として体験できるという状況を想定することができるはずだ。

・僕にとって先生とはそのような事象を引き起こすことができる人で、その人の話をただ黙って聞くことは、文字通り勉強になる。学習というものや教育というものは本来そういうものだと思う。

・さて。「受け身の学習」と呼ばれるようなものは一体何なのだろうか?

・「何かでミスしてひどく怒られた。だからもうそれには触れないでおこう。」というような「学習」のイメージが浮かぶけれど、これを「教育」とするのであれば、受け身であるかどうか以前の思想の問題に思える。


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