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よくもまぁここまで細かいしきたりやルールが
あふれたこの社会で僕は生きていられるものだ |
再掲載シリーズ。
東山いきいき市民活動センターは今でもなんとなく僕の意識の中に場所があって、京都市内へ行くときは京阪三条を思い浮かべる。今、日々履いている革靴をオーダーした靴屋さんも東山いきセンのすぐ近くにある。三条界隈を思った時に今でも立ち現れる漠然とした「好ましい場所」の意識はたぶんこのブログのエピソードに由来する。
なお、東山いきいき市民活動センターに関する記述は掲載当時のもので、現在のサービスと異なる場合があります。
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2012年8月12日
京阪三条駅近くに東山いきいき市民活動センターという施設がある。この一階に誰でも自由に無料で使える「サロン」スペースがあることを知ったので、近く応募するプランコンペ用の企画書を書くのに使うことにした。L字型をした部屋に事務机と椅子が置いてあり、中央部分にはソファーと低いテーブルもある。そのテーブルの上にジュースのパックや何かを食べた後の残骸が散乱していて、ちょっと気になったがすぐに施設のスタッフがやってきて、それらを片付けて行った。それからしばらく企画書づくりをしているうちに、中学生が5~6人やってきて、ソファーのあたりにたむろしてしゃべりはじめた。たちまちさっきのゴミの山のような状態が再現された。スマートフォンらしきもので音楽を鳴らし、大声を出し始め、最後はサッカーボールまで蹴り始めるのだが、やがて施設スタッフがやってきて注意を始めた。
その女性のスタッフは中学生たちのそばにしゃがんで、何度も同じことを繰り返した。「このトイレットペーパーはどうしたのか?どこから取ってきたのか。ゴミを片付けなさい。大声を出してはいけない。」中学生はまともに取り合わずそのスタッフを茶化し続けた。話の内容からこの状況が毎日続いているらしいことがわかった。
ここまではよくあることだと思って聞いていた。たしかに同じ空間で突然大声を出されると気が散って企画書づくりに支障が出る。正直なところ、中学生たちが早く出て行ってくれないものかと最初は思っていた。
間を挟んで1時間ほど中学生とスタッフのやり取りが続いたがやがて、スタッフの話す内容が変わってきた。「本当はあんたたちにここを使って欲しい。でもこのままじゃ子どもは入っちゃいけないことになってしまう。中学生なんだからちゃんと話ができるはず。話をきいて」と。それでも茶化し続ける中学生たちに対して最後には「もうほんとに悲しくなる。ほんとに怒っている。」とそのスタッフは言い残して部屋を出ていった。
僕は中学生の騒ぎ自体よりも別のことが気になり始めた。もともとその施設自体は地域のために作られたものだろう。そして中学生たちはおそらくその地域に住んでいる。彼らが排除され、僕のように「タダで使えるから」と地域外からやってきて、スペースを占拠している大人がそれを許される理由はなんだろうかと。
つまり「ルールを守っているから」なのだが、もっと簡単に言うと「大人しいから」だ。中学生ぐらいのちょっとやんちゃな彼らの発する「気にさせて、イライラさせる力」は強大だ。不快をテーマにしている現代美術など到底足元にも及ばない。そういった他者を無理やり巻き込んでいく力を自ら削除した「大人しい大人」だからその場にいることができるわけだ。
考えてみれば街にはあんなにたくさん人がいるのに、ちっとも「その存在が気になる」ことがない。見事に大人しい大人ばかりだ。そう思って三条通りを歩いて「気になる人」を探してみる。まずはやはり子ども、何をするかわからないから。それから外国人、しゃべっている言葉が日本語じゃない。ストリートミュージシャンの音も気にさせられるがこれは大きな音だからだ。その場では見かけなかったが、おそらく障害者やホームレス状態の人も「気になる人」に入るだろう。
要するに差別されている人たちで、網野善彦の言う「無縁」の人とも重なるだろう。そういう人が、大人しい大人たちにとって「気にさせられる」という理由で排除の対象になり、親から子どもへ繰り返し「変な目で見てはいけません」という教育がなされることによって「気になるけど見てはいけない人」として扱われ、差別が再生産されてきたのだろう。
そこで、僕自身がこれまで漠然と「誰もが変な目で見られない社会」というのが差別のない社会だと思い込んできたのだと気がついた。しかしそれは間違いでむしろ「誰もが変な目で見られ得る社会」が差別のない社会なんじゃないだろうかと思った。誰もが誰もを気にさせて気にさせられる社会。それは一体どんな社会なんだろうかと想像してちょっと楽しくなったりした。
スタッフが「悲しい」と言い残して部屋を出ていった後、件の中学生たちがどうなったかというと、相変わらず音楽を鳴らしたり大声を出したりしたが、そのたびに仲間のうちの誰かが「やめろ。静かにしろ」と注意し、実際に静かにし、最後はゴミを片付けて帰っていった。
「ちゃんと話をしようよ」と繰り返し対話を試みたあのスタッフはなんとか中学生たちがその場に居続けられるように懸命の努力をしているだろう。組織内でも対地域でも対利用者でも、そういう主張はかなり厳しい批判にさらされていると予想できる。それがわかっていながら、しかもその現場に居合わせながら、作業をするふりをして何も関与できなかった自分が悔しくて、せめて帰り際に中学生たちのその後の「静かにしようとし、ゴミを片付けた」行動を伝えようと思ったがそのスタッフを見つけられず、そのまま帰ってきてしまった。僕のこういうところがほんとにダメなところだと思う。
あの場所は中学生の彼らにとっても必要な場所なはずだ。必ずしも居心地が良いとは言えないような公共的施設に中学生が「ただ居る」ために入ってくるにはそれ相応の切羽詰まったニーズが有るだろう。こういう場合に、いったいどうしたら良いのかと思う。
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2014年12月4日再掲載追記
後日談。この数日後再びセンターに訪れ、文中の「スタッフ」の方とゆっくりお話することが叶った。その方はセンター長(当時)の西本好江さん。本当に素敵な方で、お話した時間は、とても現実とは思えないほど穏やかで、ただただ体の底から力が湧いてくるような時間だった。今思い出しても純粋に素敵な記憶としてある。
西本さんにはその後、僕も少し協力したドキュメンタリー映画
『生きていく』の上映会にお母様と来ていただいたりした。
しばらくお会いできていない。