満を持して。
なのだと思います。
澪の案内文にある、
絵を見ることで、
もともと目の前に存在しているものなのに、
絵に描かれることによって初めてそれが現実に見えてくるようなことがあります。
ときには、描いた人の広大な世界がその絵から出てくるようなこともあります。
という「ようなこと」は、どういうことなのか。
たぶん、絵を描くという行為は、
網膜に写った映像や心の中の情景のアウトプットではないのだと思います。
もう少し違う様相を含んでいると思います。
それは、その人にとっての世界というものを捉えるやりかたそのものと、
「その世界」にその人が存在する有り様そのものを含んでいると思います。
その人が、
その人にとって、
世界というものを認識するやりかたは、
意外なほど人によって違います。
「もともと目の前に存在している」はずのものを、
描いた人は、全く異なるやりかたで見ていた。
だから、それが描かれ、その絵を見たときに
「初めてそれが現実に見えてくる」。
絵を見ることは、
人というものが持っている、
世界とその人を含んだ存在というものの有り様を、
「違いごと」見ることであって、
だから描かれた絵に「描いた人の広大な世界」が見えたりするのだと思います。
山根澪のブログ