April 10, 2018

【398】いまさら読む宮台真司『制服少女たちの選択』

宮台真司『制服少女たちの選択』(1994)。読んでなかったんかーい、と言われそうだけど読んでませんでした。

興味深かった部分を抜き出すと、
実際、(大谷注:売春をする女子高生でもある)孝行娘たちは、「叱ってくれる立派な親」との「良好な関係」を崩したくないから、「親には絶対知られたくないよね、だってカワイソーじゃん」と言いながら、パンツや肉体(のパーツ)を売り続けるのである。[まえがき]
わたしがおどろいたのは、「親バレ」がすこしもめずらしくないどころか、それが抑止力としてきかない事実である。娘ともども警察に呼ばれたのにオロオロするだけで叱れない両親。娘のエッチ系バイト(ブルセラバイトや女子高生撮影会バイト、テレクラバイトなど)へのかかわりを知りながら深く追及しないままいっしょに料理したりデパートに行ったりする母親。通りいっぺん怒ったあとで娘とファミコンする父親……。 
「親バレ」にかかわらず以前と変わらない姿で維持されるブルセラ女子高生の親子関係の背後にあるものは、もはや明瞭である。「親が悲しまないように」周到に情報管理するようになるだけの彼女たち。「親がおどろかないように」適当に脚色してエッチ系バイトの「さわり」を伝える彼女たち。そこにあるのは「友達親子」の理念の皮肉な反転だ。そもそも「友達親子」の関係とは、権威主義的タテマエによっておおい隠されてしまう本音を等身大でコミュニケーションするものだったのに、逆に「友達親子」というタテマエが、失望や断絶による同様をおおい隠すように機能している。始末が悪いのは、子供のほうでは、「適当に合わせてあげている」だけなのに、本音のコミュニケーションができていると思い込む親がいることだ。そこには親の「本気」と子供の「ロールプレイング」がかみ合っているだけというこっけいな事態が見いだされる。[第二章 団塊の親たちの無残な失敗] 
極度に相対化された「どんな立場にも一定の存在理由があり、一概に非難されるべきではない」というガンダム的価値観は、僕たち団塊ジュニアによって出現したというよりは、その親である団塊世代との家庭内共同作業だった。のだろうか。そうかもしれない。

団塊親を叱っているはずの著者も、団塊親と同様、制服少女たちの選択(自分で選んだこと)を肯定する立場をとっている。だからこそ制服少女たちはインタビューに応じ、自らの体験を語り、本書が成立している。その結果、制服少女たちの振る舞い(インタビュー起こし、伝言ダイヤルのメッセージ採録)は、2018年の今からすると牧歌的な雰囲気すら漂っている。

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独断のいまさら読むとしたらおすすめ度:★★
「第Ⅰ部をさらっと読んでおいても良いでしょう」

★★★★読みなさい
★★★ 読みましょう
★★  読みたかったら
★   読まなくても


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