深刻さと重大さは違う。
深刻で重大なこと。
深刻ではないけど重大なこと。
深刻だけど重大ではないこと。
深刻でも重大でもないこと。
こういう2✕2のマトリクスで考える考え方のポイントは、二番目と三番目の扱いにある。
つまり「深刻ではないけど重大なこと」と「深刻だけど重大ではないこと」 で、僕は前者を優位に後者を劣位に置く。
深刻さは手応え主義者に愛用される。物事の重大さを情感への訴え度に還元する方法はわかりやすく、測定方法が簡単であるからだ。
それが僕には、泣けるか泣けないかで映画の良し悪しを決めるような雑さを感じてしまう。物事の重大さというのは、〈その瞬間〉の情感の振れだけでは測ることができないと思うからだ。
手応え主義者は「どんなことも〈その瞬間〉にしか感じ取ることができないではないか」と反論するだろうが、〈その瞬間〉以外が、あるのだ。
それはなにか。
記憶、保留、可能性、潜在といった言葉の系統からなる言語領域を思い描くことができれば「そこにあると思う」「ありそうな気がする」「あったかもしれない」「あったはず」のそれらが見出される。
深刻さは「出来した出来事」についての象限しか持たないが、重大さは「出来しなかった出来事」にも影を映すことがある。