「失敗を恐れるな」
正直あまり好きな言葉ではなかった。勇気を持って一か八かやってみろ、という博打推進のスローガンに聞こえていたからだと思う。しかし、今となって僕は実は、失敗を恐れることは、僕自身にはあまりないことに気がついたし、他の人が何かをやろうとしているときに「どうしてそんなに失敗を怖がるのだろうか」と不思議に思ったりする。だから危うく、この好きではない言葉を吐きそうになって自分に驚愕する。
僕にとっての「失敗を恐れることはあまりない」という言葉の意味というかニュアンスは、言い換えるとすれば「失敗したらやり直したり、修正したり、次からやめたりすればいいだけで、そもそも恐れるというような感情の対象になっていない」ということになる。「試してみよう」ぐらいのことだ。
やってみて、もし失敗しなければ、それはそれでいいことだけれど、なぜ失敗しなかったのかという手触りをうまく得ることができなかったら、そのときたまたま失敗しなかったというだけで、次か、次の次には失敗する。結局、失敗することでそれがよくわかってしまえば、もう失敗しないし、よくわからなければまた失敗する。
失敗が恐怖と結びつく要素は、実はない。もしも失敗が恐怖と結びつくのだとすれば、それは、一度しかできないことについてなのだけれど、一度しかできないことがすべて失敗してはいけないというわけでもないので、やっぱり失敗が恐怖と結びつくこと自体が、とてもレアケースなのである。
そして、そのレアケースは、例えば「失敗すれば死ぬ」というような場合なので、その事自体をやってみるかどうかそのものからよく検討しなければならない。ということは当然そんなことを「一か八か」でやるようなことではない。「恐れるな」なんて他人から言われるようなことではない。
失敗というのはそもそも恐れたりするようなものではなくて、わりと日常にへばりついた、何かを手にするためのきっかけぐらいに思っていたらいいと思う。