September 23, 2019

【597】ついでにの楽。わざわざの美。

「近くに来たついでに」というのは楽な気にさせる。この快楽を僕はよく知っている。一方で「わざわざ来ました」というときの美もある。もちろん「わざわざ来ました」などということを言うこと自体が稀である。そんなことはわざわざ言わない。普通は。

楽に生きることの快楽を存分に享受していることを自覚しながら言うのだけれど、僕はわざわざ生きている。わざわざ生きていたい。わざわざのコアにある美にうたれていたい。

生きることが苦しかったりする時代なのはよく知っている。僕自身そうだった。だから、生き延びるために「生きることに意味なんてない。」「生きることがどういうことかなんて考えてもしょうがない。」「もっと楽に生きろ。」「ただ生きていればいいのだ。」というふうにサバイブすることが生のハッキングとして成立する。でもそれは一時的なものだ。雨宿りだ。

僕は総じてわざわざ生きていたい。毎日わざわざ生きていたい。これはもはや悩みとしての成立要件を備えていない悩みとしてはもはや不備が生じて傲慢とすら言えるレベルにまで昇華されてしまった贅沢な悩みだ。それでいい。

September 5, 2019

【596】褒めることは他人の努力の搾取なのではないか。

子育てをするとそれ以前と比べて格段に増えることがある。褒めることと叱ることだ。乳児の場合は特に、褒めることが多くなる。叱ることはあまりない。

それまでできなかったことができるようになったとき、その人を僕たちは褒める。褒められた方は嬉しくなる。一般に、褒めてくれた人に対して好意すら持つだろう。ここに何ら「悪」は介在していないように見える。

けれど、最近、ちょっと違うことを考えるようになった。

何らかの努力を重ねて困難に立ち向かいそれを克服した人がいたとして、それを褒めることで、その人から良い印象を得るということに、なんとなく居心地の悪い思いをすることがある。なぜなら、褒める側は何らの努力を必要としないからだ。何も努力をしていない、なんら苦労していない、それにもかかわらず、なんらかの好意を得てしまうということに、僕は無頓着でいられない気分になる。また、こういうメカニズムとも言えない単純な仕組みを知った上で、人間関係上の優位性を得る目的で積極的に他人を褒めているのではないかと疑われる場面に遭遇すると、僕は気分が悪くなる。

単に、僕がひねくれているのかもしれない。どうかしているのかもしれない。

でも、何かを得るために苦労を重ねた人に対する〈敬意〉の表明と「褒める」という態度の表明とは、似て非なる実体を持っている可能性があるのではないか。一見するとその違いはわかりにくいかもしれないけれど、見かけ上わかりにくいだけで、実体としては全く異なるものなのではないか。その異なる実体によって放たれている臭気のために、僕は気分が悪くなっているのではないか。

子供が毎日少しずつ反復練習して、何かができるようになったときの喜びは、単に子供の努力を褒めているものではなくて、それを長期間見守り続けた親として、自分のこととして嬉しい。こういうときに発生しているものと、他人との関係を良好にする〈ために〉他人の努力の成果をかすめ取るように「褒める」ことは確実に異なる。

ともかくこれぐらいは言える。他人を褒めることにおいて、同時に自分に起こっていることは、外してはいけない要素である。

September 1, 2019

【595】積み木とレゴの違い。物と景色。

澪がKAPLAで作った謎の宗教施設。あるいは亀。
先日、新の誕生日プレゼントでいただいたKAPLA。毎日遊んでいる。
僕が適当に作った「テキ塔」。

KAPLAのような積み木とレゴのようなブロック、似ているけれど違う点がある、ということを遊びながら考えていた。

あらかじめ言っておくと、僕は積み木もレゴもどちらも好きで、子供の頃はレゴで遊んでいる時間のほうが長かった。

さて。

レゴはパーツ同士をかっちりと接続することができるので、できあがった完成品は〈物〉となる。〈物〉は離床できる。持ち運びできる。一方、積み木は接続されずただ積まれたり置かれたりしているだけなので、全体を地面から離すこと(離床)ができない。つまり積み木は〈景色〉を作っているのである。

さかのぼって言えば、レゴと積み木では遊んでいるその場所の特性からして違ってくる。レゴで遊んでいる部屋は「工房」や「工場」である。一方、積み木で遊んでいる部屋は、「陸地」や「海原」である。

レゴは重力を無視しうるが、積み木は重力を無視できない。

レゴで汽車を作る。
積み木でレールを作る。

レゴで車を作る。
積み木で道を作る。

工学部で言えば、レゴは機械学科で、積み木は建築学科だ。

僕が機械工学科に行ったのはレゴの影響が大きいのではないか。
積み木で遊び続けていたら、あるいは建築に進んだのではないか。

レゴは〈物〉を作り、積み木は〈景色〉を作る。

好みの問題であるから、どちらがどうということはないけれど、この違いは世界観として結構大きい。

【594】嵐のような一週間。

嵐のような日々だった。

新が風邪で火曜から木曜まで3日間、保育園を休む。機嫌が悪くて大変な上、高熱で汗をかいたり、おしっこが上手くできなかったりで、洗濯物が激増。その上雨続き。実家の風呂場乾燥機能でなんとかやり過ごす。

ようやく新が回復した金曜日は、今度は風邪が僕にうつって38度3分の熱。一日寝ていた。

そのまま、土曜日は保育園の夕べのつどい。午後から準備に3人で行くもののイベント開始時には、今度は澪の調子が悪くなって帰宅。澪が熱を出す。

そして今日の日曜日、3人とも回復しきらない状態。「コーランゼミ」を延期して休養にあてる。

保育園に行く以上は、今後も風邪や病気のリスクは避けられない。もうすこし対策を考えておこうと思う。