ほおっておくとどんどん散らかっていくものをどうにかかき集め積み上げて行こうとしているのが僕である。そんなのはもう散らかるままにしておくのがいいではないかと言われてもちっともそれが「いい」とは思えない。どうにかして積み上げたい。中沢新一の『アースダイバー』の最初にタイトルの由来になった、つまり「アースダイバー」という言葉の由来が書いてあって、名前は忘れてしまったが鳥だ。その鳥が海の底に潜って海底の泥をくちばしでくわえて、その泥を少しずつ寄せ集めて島を作るという話で、細部は違っているかもしれない。この話は神話なのだけれど、神話らしくものすごく時間が圧縮されていて、たぶんこの鳥は掬って来た泥が積み上げたそばから海水に流されていく。だから万年単位ぐらいの話ではないかと思う。陸地ができるような時間だ。そういうことをずっとやっている鳥はなにも虚しくなったりしない。虚しさというものはそういうレベルでは発生しない。何万年もかけて大海に島を作るという作業に虚しさなど感じているはずがない。楽しいかどうかはわからないけれど、それでもやり続けるだけの、自分が世界にひとすくいの泥で関与していくことで、世界がほんの少しでも変化していく自体が面白かったに決まっている。効率や達成感は最初から入る余地がないことが作業の純粋さを規定する。僕も生きている間に島の一つもできないものだろうか。
文章筋トレ
時間測り忘れました。10分ぐらい。