今日は珍しくタイトルから書き始めた。知識と知恵。知識と知恵に関する言説について、僕は実はあんまりピンときたことがない。知識と知恵、それぞれについてもそうだけれど、より多いのは知識と知恵とを比較した言説についてで、これはほんとにピンとくるものがない。
多いのが、ざっくり言えば「知恵は良いけど、知識はだめ」というもので、知恵と知識とを対置して、知恵を良いもの、知識を悪いものに位置づけるもの。不思議なことにこの逆はあまり聞かない。
こういった、二項対立的な知識と知恵の言説にあまり納得が行かないのは、多くの場合、次のような意味合いでそれぞれの言葉を使っているように思われるからだ。
つまり、「知識とは使えない知恵である」あるいは「知恵とは使える知識である」というもの。要するに「知恵は良いけど、知識はだめ」という言説は「使えるものは良いけど、使えないものはだめ」というシンプルな知識知恵道具説に行き着く。
この道具説にあまりピンとこない。というか、道具として見ている以上そういう優劣になるのは当然で、ピンとこないところは、そもそも知識や知恵を道具として扱っているところなのだと思う。
そういうものなのだろうか。
実用性というのは一つの要素ではあるけれど、知識や知恵というものをそれだけで測るには、それこそ「用をなさない」のではないかと僕は思う。
知識や知恵というものに対して、僕が持っているイメージはどちらも肯定的なもので、知識のほうがより正統的な印象で、知恵のほうがより頓智が効いている印象がある。なんとなく少年漫画のライバルと主人公にあてられそうなイメージで、知識と知恵はあったりする。
知識と知恵とを比べる言説は、おそらくその人の直感的な好き嫌いから端を発していて、それを理屈付けたときに、一般的に通じやすく使いやすい道具説を借りている気がする。ようするに、どっちのキャラが好きなのかである。
その好き嫌いがどうやら大きく偏っている。正統的な方は人気がなく、頓知が効いている方が人気がある。愛嬌があるのは後者なのだろう。
時間なのでここまで。続くかも。
文章筋トレ 20分