今回のゼミをやるにあたって、僕は、僕なりの目標を持っていた。
「レジュメを文章として面白く読めるようにする」というものだ。最終回に成ってようやく、それなりに面白くかけたと言い得るぐらいにはなった(よろしければぜひお読みください)。他の参加者にもおもしろいと思ってもらえたのはとてもうれしい(山野カエル「最後のゼミへ向かう夜に」)。
自分なりの負荷を掛けたことで、読むことにも影響があった。いつもより本に対して揺さぶりを掛けて読んだ感じがする。そのぶん、危うい読解をしたと思う。誤読もあるだろう。それがレジュメに出てしまっているかもしれない。でも、危険を犯しただけのことはあって、読むことがまた広がった。とてもスリリングだった。
最終回の第9章は本当に面白く読めた。すでに書かれてしまっているはずの文章が少しほどけて、その間を魚のように縫って泳ぐ感じがあった。すでに書かれてしまっている文章なのに、読んでいるまさにその瞬間に新しく書かれていくかのような感覚だった。この本は何度か通読はしていて、どんなことが書かれていたかは、すでに知っている。それなのに、今まさに新たに書かれ直していくように読めた。読むことで書かれていく。得難い経験だった。
読み終えた今は、別の本になってしまったかのような重厚さを感じる。
ゼミはそれなりに疲れる。月一回、一章分読むだけ。なのに疲れる。ゆっくり読むことは、長い時間その本に付き合うことだ。ささっと読んで生じるイメージは間違っているわけではないが、ゆっくり読んでいくとイメージが重層化していく。
ゼミはそれなりに疲れる。月一回、一章分読むだけ。なのに疲れる。ゆっくり読むことは、長い時間その本に付き合うことだ。ささっと読んで生じるイメージは間違っているわけではないが、ゆっくり読んでいくとイメージが重層化していく。
良い本は玄米のようなものだ。玄米はよく噛んで食べると味が変わるし、消化にも良い。それと似ている。白米は噛まずに飲み込んでもそれなりに消化できるし、食味もわかりやすいが、その分予め失われているものがある。玄米を飲み込むように食べることもできるが消化できなかった部分がそのまま出てくる。そこで諦めずにもう一度よく咀嚼して食べるとより深く消化できると続けたかったが、この比喩ではやめておいたほうが良さそうだ。
参加者全員のレジュメをまるネコ堂ゼミのサイトで公開しています。
まるネコ堂ゼミ:國分功一郎『中動態の世界』
まるネコ堂ゼミ:國分功一郎『中動態の世界』
山根美緒主催の『言語にとって美とはなにか』ゼミ、10月からはじまります。参加者募集中です。よろしければ。
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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●12月15日から21日:言葉の表出、冬合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/05/2020.html
●定期:文章筋トレ
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html
●月一回:『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html
●まるネコ堂芸術祭、準備ページ
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_84.html
●マンツーマンの文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html
●雑誌『言語7』発行
https://gengoweb.jimdofree.com/