その始まりにあたって考えたのが「好きとはどういうことか」です。おそらくこれも研究会をやっていく中で変わっていくと思うのですが、現時点でできるだけ言葉にしておこうと思います。
辞書的には、
すき【好き】
1 心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。「好きな人」「好きな道に進む」⇔嫌い。(デジタル大辞泉)
こんな感じですが、例によって、辞書でその言葉の「意味」に迫ろうとすると無限連鎖に陥ります。「心がひかれる」とはどういうことか、「気に入る」とはどういうことか、「心」とはどういうことか、「気」とはどういうことか・・・。それぞれの項目を辞書で調べれば、そこにまた新たな未知なる言葉が現れていきます。
なので、辞書に頼るという方法はとりあえず置いておいて、アプローチ方法そのものを考えます。
まず思いつくのが「ある種の状態があって、その状態になることが「好き」ということ」という方向で説明できるかどうかを考えます。
例えば「風邪」という病気は、「熱がある」「喉が痛い」「鼻水が出る」「咳が出る」「体がだるい」などの状態になれば、それは「風邪だ」ということが言えます。何らかの普遍的な基準があって、その基準に適合すれば「好き」ということになるという説明のアプローチです。これは可能でしょうか。
僕の直感ではこの方向はかなり難しそうです。「身の毛もよだつ残虐シーン満載のバイオレンス映画」を好きな人もいますし、「心ときめく、甘く切ないラブストーリー」が退屈でしかない人もいます。「好き」の要素を誰しもが当てはまるような普遍的な基準で示すことはできそうに思えません。
少なくとも「どのようなことを好きと言っているのか」は個人的な気がします。
では、それぞれの個人に「自分なりの好きの基準」があって、その基準に適合すれば「好き」だと言えるのでしょうか。
実は、これも僕は難しい気がします。
僕は寿司と保坂和志の「カンバセーションピース」と夜の散歩が好きですが、これらの「好き」から共通の要素を見つけ出すのは難しい気がしています。そんなに「僕というもの」は安定していないというか、確たるものだという自覚がありません。「好き」という言葉自体が、基準化以前の状態にあるという感じです。
「好き」ということに対して僕はもっと、それが自分にとってたった一つだと言いたくなるような、かけがえのなさを感じるのです。
もう少しわかりやすく言えば、「寿司が好き」「保坂和志『カンバセーションピース』が好き」「夜の散歩が好き」というそれぞれの「好き」は、僕とその対象との結びついた状態がそれぞれあって、それらは別の状況だという感じがしています。
しかし、これだけでは、なぜ別々の状況を「好き」という一つの言葉で意味しうるのかが説明できません。ただ、少なくとも今言えることとしては、個別で具体的な「僕がそれを好き」という事象から始まり、それが「好き」というなにかに、普遍的に抽出されていくという順序で説明したほうが、通りやすい気がしています。
というわけで、ともかく個別具体的な作品・作家について、自分なりの好きな点を発表してみるという表現研究会の企画に結びつきます。
表現研究会を進めていくことで、なにかが変わるような気がします。興味を持たれた方は大谷(marunekodo@gmail.com)までお問い合わせください。