February 28, 2025

温床のこと。

腐敗の温床、とか、悪の温床とか言う、あの温床(おんしょう)のことを考えている。生暖かくじめじめして、触るとぐにゅっとしたり、カビ臭いところのことだ。

温 床(おんしょう)

1 堆肥の発酵熱などで温かくして、苗の発育を促進する苗床。

2 主として悪いとされる物事が発生して育ちやすい環境のこと。巣窟。

・悪の温床。腐敗の温床

このウィクショナリーの「主として悪いとされる物事が発生して育ちやすい環境」というくだり、とてもわかり易くてなぜか笑えてきてしまう。

ある作品を観て、なにか、自分の中で蠢くようなものがあるとき、どうしてもそこから離れがたい気分になって、しつこく作品を観ることになる。そのうち、自分を支えている土台がぐにゅっと沈み込んで、体勢が揺らぐ。視界が傾く。それまで知っていた自分や世界が柔らかくなって変形する。

そういう時に、面白いものを観たと僕は思っていると思う。

自分や自分を取り巻く世界が変状して、それまでには無かった物事が生まれて育っていきそうな気分がいい。

こういうのを表すのにちょうどいい言葉だと思うのが温床。温かく適度に湿った柔らかなところ。無意識的な企てに満ちた場所。

なぜか「主として悪いとされる物事」にだけ偏ってしまって使われている。字面だけをみると心地よさそうなのに。

僕は温床に居たい。

アトリエとか工房とかというと、設備や道具が揃っている感じがあり、さらに、良い印象を与えてくれる明るさや健全さや生産性があって、それはそれでいいのだけど、温床のヌメッとした生あたたかさや湿っぽさや出来ちゃう感もいい。

第5回まるネコ堂芸術祭開催まで、あと57日。

芸術祭のサイトもできました。

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第5回まるネコ堂芸術祭に向けて書いているエントリー

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February 27, 2025

妊娠6か月も後半。眠い。そして、ジャムとか。

妊娠6か月ってこんなに眠いものなのか。

連休中、多分葉からうつった風邪で寝ていて、それ自体は1日寝たらほぼよくなった。
風邪の前は毎日毎日空腹がしんどかったけど、風邪を引いたらつわりっぽい胃のムカムカが戻ってきて、さらに眠気も結構ある。だからってつわりの時のように動けないとかはないけど、前はこんなんじゃなかった気がみたいなことを思ってしまう。

あと、お腹がもうこんなに出るのか?前ってこんなんやったっけ?と3人目にしていろいろ驚いている。
忙しいなと思っても、なるべく自力整体をするようにして体調は整えるように心掛けて、寒すぎてやる気にならなかった雑巾がけもそろそろ復活を考えよう。

妊娠アプリみたいなのをなんとなく入れていて、たまに覗くと予定日まで「○日」とか出てくるのが面白い。昨日は「あと123日」だった。


ことあるごとにいろいろ考えこんだ新の妊娠だったけど、もう全然考えることも違っている。新や葉もいまだ姿が見えないお腹の中の人にはあまり興味がなく、目の前の出来事の方が刺激的で注目は集めない。


庭の甘夏でマーマレードを作ろうと思って少し調べてみると糸井重里がじゃむおじさんだったと知る。それなりにいろいろ作ったんだろうなと思うけど、それ以上にこうやって何を考えたかとか、どうやったかを記録にまとめて残していることが魅力ですごいなと思う。
それに10年以上前に始まった企画っぽいけど、去年もちゃんとジャム販売をしている。

この人とその周りはなんかいいなと思う。
かっこいい、って感じはないんやけど、なんか気になるし、そういうことをちゃんとやるのね、とはっとさせられる。結構気になることをやっている。

今朝、先月作ったマーマレードの瓶をあけると、新と葉がすごい勢いで食べた。
新、食べる前からパンの小ささに激怒。
葉、ジャムをパンにつけるという発想は皆無。

美味しいからに違いない。
3月に収穫する甘夏で沢山作ろうと思う。糸井重里がこれからたくさん作るならとおすすめするジャムロートと保管用に瓶を買おうと思う。

February 20, 2025

消しゴムのこと。

今回の制作は鉛筆を使っている。のだけど、画材としてより重要なのは消しゴムかもしれない。

鉛筆、正確には芯ホルダーで描いて、消しゴムで消す。この消しゴムの修正が楽しいということを発見した。

描いてみて、何となくイマイチだと思う所を消して、また描く。細かい所を消すためにスティックタイプの消しゴムも買った。小さい所をちまちま消しながら、少しずつ描いていく感じが良い。

消した跡が残るのが最初は気になったけど、だんだん気にならなくなって、今では跡が残ってる方が良いと思うようになった。履歴の感じ。

細々と修正を繰り返して、今はこの線になっているけど、以前はそうではなかった。結構大胆に変更したりもしている。そういった現在の形だけではない、引き摺ったものの存在も悪くない。

デジタル作業の特徴は、この痕跡の無さかもしれない。良くも悪くも、綺麗さっぱり最終形だけになる。それはそれで楽しい。

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February 17, 2025

人恋しさのこと。

制作中の作品。ポスター用の手描きラフを展示予定。
保坂和志さんの文章で印象に残っているものがある。内容の詳しいことは忘れた。保坂さんの文章はそういうものが多い。

知人の葬式だったか結婚式だったかに行った。旧友に会った。帰りに一緒に駅まで行って、ついでにご飯でも食べようとなった。若い頃だったら、こういうときはアルコールが入って、そのまま何軒か飲みに行って、最後はどちらかの家までいってという流れになっただろうけれど、食事が終わったら、じゃぁと別れて帰ってきた。若い頃は人恋しさが強くあったけれど、年を取ると弱くなる。

こんな感じの話だ。読んだときすでに僕もそれなりの年齢で、あぁそうかもと思った。若かった頃、大阪の勤め先から飲みに行って終電を逃して、友人に深夜に電話をかけて泊めてくれないかと何度もやった。本当に迷惑だったはずだが、友人に断られたことは一度もなかった。

あのとき、終電を逃すのは半ば故意だった。最寄り駅近くのコンビニでビールを買って、友人のマンションに行く時にあったのは、人恋しさだった。友人も同じような人恋しさがあったのではないか。

会社を辞めて自営業者になってしばらくして、僕はほとんど家から出なくなった。そうなってから保坂さんの文章を読んだから、もうあんな感じで終電を逃すこともないなと思って、確かに人恋しさは減っていると思った。

でも、今も相変わらず終電を逃すこともないけれど、何かの用事でうちに来てくれた人が、用事が終わったあとに、ご飯でもどうですかと誘ったら、じゃぁお言葉に甘えて、私なにか手伝うことありますか、という流れになったときにとても嬉しい。人恋しさは今もある。

唐突だけれど、僕はたぶん作品やモチーフや制作プロセスにそういう人恋しさを探している。美術館で絵を観るときもそう。なんとも立ち去り難く思うことがある。好みというのとは少し違う、好みがそのもう少し先にあるとしたらその予感。

人恋しさや立ち去り難さを感じてもらえる展示になるだろうか。第5回まるネコ堂芸術祭まであと68日。

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February 14, 2025

LINEスタンプのデータ作り模索。

芸術祭に向けて、ペンタブを使う時間がちょっとづつ増えてきた。

デジタルでの制作を始めてから結局データをどうやって作るんだ。。。みたいな問題が毎回あって、データはパスにするの?画像で扱うの?どういうアウトラインとるの?
レイヤーでまとめるの?グループ化するの?

みたいなことの知識と経験が少しづつ溜まっていく。
あとショートカットキーをちょっとづつ覚えている。

なんか面倒な気もしてたけど、アナログで描いているときに、どれくらい筆を濡らそうかとか、絵具のチューブを机のこの辺に置いてとか、パレットはこっちでとか、ああいうことをやっていた感じとあんまり変わらない気がしてきた。

あーだこーだと紙を動かしたりして見てみる代わりにcommand+Tを押すのだ。きっと。

机の上が散らかり過ぎると、あかんなと思う感じで、データ整理ができてないとオエッてなるけど、描きはじめの最初から整理ばかりもしてられんというのもあり多少散らかる。でも目処がつけれると整理もできるようになる。
そういえば最初デジタルに移行したときは整理が大事という知識も体感もなかった。

手慣れた方が見たときに、こんな感じで大丈夫なんだろうか・・・と疑問にときどき思う。たまには解説ブログや動画は見たほうがいいんやろうな。

LINEスタンプのためのデータもいろいろ作った。
芸術祭のメンバーにお気に入りLINEスタンプもいろいろおしえてもらった。

目の位置がおかしいとの指摘があらたからあり、今度一緒に作業予定。でも一応これで作業進められそうかなというデータ作りができてきている。
 

February 12, 2025

この冬の米麹づくりひと段落。

この1週間程度の間に2回も米こうじを仕込んで、さすがに変な寝不足で疲れた。

麹づくりは温度管理が大事で夜の間も、上がりすぎてないかをチェックしたり下がりすぎてないかとチェックしたり、あるいは停滞しすぎてないかをチェックしたりする。夜の間も2‐3時間おきに目覚ましをかけたり、なんとなく目が覚めたりで起きてしまう。
1回の仕込みで二晩そんな感じ。週に計4日そんな夜を過ごした。

そして最後の1日は、なんとなくここから下がるかもなーと思いつつ、なんとなく布団でだらけていて、まあこれでもできるにはできるしーと午前3時ごろ気になりながら温度計の表記だけちらっと見て寝た。朝6時やっぱり下がっていた。下がりすぎ。
予感があったので元気があれば4時に起きて、確認→湯たんぽの湯を交換という手はあった。

それでもまあ麹はよくできた。

麹が上手くできると美味しいようで、麴箱から麹を出すたびに葉が寄ってきて食べたがる。随分食べた。新と隆はこれは旨い、前回よりよい。場所によって味が違う、と感想までくれてどんどん減る。

子どもが生まれると3か月くらいは、おっぱい(又はミルク)のためにこれくらいの頻度で夜も起きていることになる。そういえば葉の時はほとんど苦にならず合間に寝れていれば昼間の眠気はほぼなかった。丁度良く興奮ホルモンが分泌されたんだと勝手に思っていて、でも新の時は、昼間眠いかは覚えてないけど夜のアラームにも目が覚ませず、アラームはいたずらに隆を起こしてた。

そもそも、つわりがすっきりはあけず、眠さとか微妙な気持ち悪さとか変な空腹感とか残ってしまっているので、麹と疲れはそんなに関係ないのか、どうなのか。

米こうじの仕込みはこれで今シーズンは終了。味噌もまるネコ堂の分も仕込み終えた。とてもいろいろ試せたのには満足。隆が見つけてくれた永田十蔵さんの本のおかげでとても楽しめた。

どんな味噌を仕込んだかは、また一度まとめておきたい。

February 7, 2025

考え事のこと。

それさえあればどうにかなる大体、気がつくとそればかりしている一日中、みたいなものを自分の基盤にしたらいいと思って、改めて自分のことを顧みてわかったのが、僕は考え事だった。

考え事の状態にあれば時が過ぎていく。充足している。

ここで言う考え事は、だらだらと取り止めもなく移ってゆくもので、ふつう悪い意味で使われる「考え事」だ。これに比べれば妄想の方がよっぽど高級で、妄想は強くイメージを形作ることができる。

長いこと僕は考え事を低く見ていた。こんなことをしていてはいかんと、ふと我に帰ることが多かった。もっと形に残る生産的なことをしなくては。

でも、実感としては考え事で満足していると発見してしまって、順序というか秩序が変わった。

込み入って絡まった出口のない考え事の雲のようなところから、時折なにかが突出する。突出したものが現実にさらされて形になる。

創造は僕にとって、ゼロから作り出すことではなくて、混沌から秩序を形づくることで、形を作る前段階として、豊かで混沌とした蠢きがある。大袈裟に言えばそういう感じがする。

制作や表現は、考え事の分厚さから生まれてくるので、考え事は制作や表現のプロセスの外側にあるのではなくて、内側にある。というよりむしろ、制作や表現が考え事というプロセスの内側にある。

自分の性癖である考え事を自己正当化してしまって、以来、たっぷり考え事に浸る日々。大丈夫か。

芸術祭まで後78日。

February 6, 2025

芸術祭に向けて本格的に制作に入る。

美緒の妊娠だとかこの春からのアラタの小学校入学だとかで、落ち着かない数ヶ月だった。今も落ち着いたわけではないけれど、同じタイプの動乱には少したてば慣れる。ようやく春の芸術祭の作品づくりを本格的に進めはじめた。

今年はポスター用の手描きラフという中途半端なものを展示予定で、今週に入って2枚描いた。制作はいつもそうだけど、やり始めると楽しくて、もっと早くやっていればよかった。

いわゆるSNSを見なくなって久しいけど、ブログはちょくちょく読ませてもらっている。点滅日記N!はいつも更新を楽しみにしていて、読むとやる気が出てくる。ありがたい。

本格的にと書いたけれど、制作のプロセス自体はずっとやっていて、ずっと考え事をしていた。「仮である」ことの豊かさが、僕の好きな感じの動揺感とつながっているのがわかってきたのが今回の収穫で、これはとても大きい。僕の立っている地面はそんなにしっかりしていなくてゆらゆらしている。

今日は雲がほとんど見えないとても寒い日だ。二階にいると日差しが強くてカーテンを掛けたり外したりする。冬といえば冬かもしれないけど、空の下の方の山に触れるあたりが白っぽくて、目には春と言ってもよさそう。芸術祭まであと79日。

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