考え事の状態にあれば時が過ぎていく。充足している。
ここで言う考え事は、だらだらと取り止めもなく移ってゆくもので、ふつう悪い意味で使われる「考え事」だ。これに比べれば妄想の方がよっぽど高級で、妄想は強くイメージを形作ることができる。
長いこと僕は考え事を低く見ていた。こんなことをしていてはいかんと、ふと我に帰ることが多かった。もっと形に残る生産的なことをしなくては。
でも、実感としては考え事で満足していると発見してしまって、順序というか秩序が変わった。
込み入って絡まった出口のない考え事の雲のようなところから、時折なにかが突出する。突出したものが現実にさらされて形になる。
創造は僕にとって、ゼロから作り出すことではなくて、混沌から秩序を形づくることで、形を作る前段階として、豊かで混沌とした蠢きがある。大袈裟に言えばそういう感じがする。
制作や表現は、考え事の分厚さから生まれてくるので、考え事は制作や表現のプロセスの外側にあるのではなくて、内側にある。というよりむしろ、制作や表現が考え事というプロセスの内側にある。
自分の性癖である考え事を自己正当化してしまって、以来、たっぷり考え事に浸る日々。大丈夫か。
芸術祭まで後78日。