制作中の作品。ポスター用の手描きラフを展示予定。 |
知人の葬式だったか結婚式だったかに行った。旧友に会った。帰りに一緒に駅まで行って、ついでにご飯でも食べようとなった。若い頃だったら、こういうときはアルコールが入って、そのまま何軒か飲みに行って、最後はどちらかの家までいってという流れになっただろうけれど、食事が終わったら、じゃぁと別れて帰ってきた。若い頃は人恋しさが強くあったけれど、年を取ると弱くなる。
こんな感じの話だ。読んだときすでに僕もそれなりの年齢で、あぁそうかもと思った。若かった頃、大阪の勤め先から飲みに行って終電を逃して、友人に深夜に電話をかけて泊めてくれないかと何度もやった。本当に迷惑だったはずだが、友人に断られたことは一度もなかった。
あのとき、終電を逃すのは半ば故意だった。最寄り駅近くのコンビニでビールを買って、友人のマンションに行く時にあったのは、人恋しさだった。友人も同じような人恋しさがあったのではないか。
会社を辞めて自営業者になってしばらくして、僕はほとんど家から出なくなった。そうなってから保坂さんの文章を読んだから、もうあんな感じで終電を逃すこともないなと思って、確かに人恋しさは減っていると思った。
でも、今も相変わらず終電を逃すこともないけれど、何かの用事でうちに来てくれた人が、用事が終わったあとに、ご飯でもどうですかと誘ったら、じゃぁお言葉に甘えて、私なにか手伝うことありますか、という流れになったときにとても嬉しい。人恋しさは今もある。
唐突だけれど、僕はたぶん作品やモチーフや制作プロセスにそういう人恋しさを探している。美術館で絵を観るときもそう。なんとも立ち去り難く思うことがある。好みというのとは少し違う、好みがそのもう少し先にあるとしたらその予感。
人恋しさや立ち去り難さを感じてもらえる展示になるだろうか。第5回まるネコ堂芸術祭まであと68日。
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第5回まるネコ堂芸術祭に向けて書いているエントリー
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