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June 4, 2026

入院生活一旦終わり。

虎ちゃんとの入院生活が終わって家に帰って来た。

家は家で過酷であろう生活で隆は改革を行ったらしく新と葉ちゃんの生活リズムを変えてしまっていた。寝る時間が早くなって、新が手伝いをするようになったと教えてくれた。

病院はなにかと疲れて、正直パワーが出せずにいたが、仕方ないと思ってしまうとなにもできないので、仕方なくはないけどうまくいかないこともあったと思っている。
入院の付き添いをどう楽しもうとか、どうやったら何ができるか考えてみようとか、どんな仕事ならできるかとか考えているのはなんだかよくわからない発想な気もするけど、入院の目的は全うしたうえで、虎ちゃんとの関りも含めて楽しみたい。今後、どこでどう過ごすかもわからないんだからどこでも楽しければいい。

いつものベビーベッドではなく病院のでかいベッドで寝かされていたので、検査が終わって落ち着いたころ、ベッドに登って隣に寝たり、長時間膝にのせて遊んだりしていた。
虎ちゃんは仏頂面をしており、喜んでいたのかさっぱりわからず、これはいいのだろうかと思った。次回は絵本を持っていこう。

食生活は家の味噌と梅干を持ち込んだことで随分気が楽になった。
塩は持っていき忘れてしまった。


入院自体には慣れてきて、毎回準備にてこずるのも忘れ物があるのも嫌なので、病院別で持ち物リストを作っていてチェックしながら荷造りする。
リストは病院まで持っていき、あったらよかったのにと思ったものと要らなかったものをメモして退院したらリストを更新する。
これは入院を楽にするためにしていると思う。

初めての長めの付き添い入院で荷物を分割して何個かの手提げのバッグに入れた。数が多くなってしまったのが面倒だったなと思っていたら隆も同じことを思っていて、さっそくよさそうな大きめのバックパックを探してくれた。
次回使うのが楽しみだ。

虎ちゃんは大きな検査を乗り越えてくれた。
家に帰ってきたら笑顔が増えた。病院よりよく寝た。
病院も家も変わらないかと思っていたら結構変わった。

虎ちゃんはリアクションが小さめだし言葉も使わないけれど、なんだか確信的に「そうだ」と思う時がある。
そんなのはでも普通に言葉や態度で表現できる人間でも結局同じで、わかりやすいことだけ見てても仕方ない部分があってわかりたいと思うと微細なことをみないとだめなんだろうなと虎ちゃんをみていると思った。





February 8, 2026

虎ちゃんが帰ってきた。

2月2日にとらちゃんが家に帰ってきた。

6月3日生まれだから約8ヶ月を目前に帰ってきた。


怒涛の日々だけど、楽しい。

2月2日がたった1週間前とは思えないほどいろいろあって、すごい人数の人がうちに来てくれた。

3日目の夜には酒盛りもしていた。一応断っておくとたいした酒量ではない。でも、誰か来てくれないとそういう気分にはならない。というか、「おいしいお酒が誰かと飲みたい」。そういう気分を持ち込んでもらった。



はじめての週末で今日は誰もこない。

来てくれるはずだった父は風邪を引いてしまったそうだ。そうでなくても思った以上に雪が降ったからやめといてと連絡したと思う。


虎ちゃんは毎日沐浴をしてるけど、私と隆と新と葉とで沐浴は難しそうだから、体を拭くだけにした。

人工呼吸器をつけての沐浴は現状2人がかりで、隆と私の手が塞がると葉を見てる人がいなくなってしまう。このメンバーでは葉が途中で人工呼吸器を勝手に触ったり、もろもろ危険。家での沐浴方法は訪問看護さんが開発してくれた。毎回のやってもらってるから、まだ自分たちだけでやったことはない。今後もほぼないような気もする。


病院では沐浴の練習もたくさんしたのでこんなにやらなくなるとは思ってもみなかった。できるけど任せるのと、できなくて任せるのは特にこの件に関しては全然違うなと思った。


生まれたばかりの頃は、病院以外で生きることができる人ではなかった。自分には虎ちゃんが生きる手伝いはできないと思った。1月には、元気そうだし、そろそろ病院で覚えることもなくなって、面会が前ほど新鮮ではなくなった。退院の時期ってそういうものなんかもしれない。帰ってきてよかった。





August 7, 2025

生後2ヶ月を過ぎた。

虎ちゃんのベッドの位置が移動になったことを話していたら、NICUで虎ちゃんが最古参のはずだと看護師さんが言っていた。これはこれで2ヶ月も経つとある種日常だけど、退院できるなら退院するもんな。2ヶ月ちょい経って3000gを超えた。大きさは普通の新生児くらいになった。NICUにいる子の中ではもう大きさ的にも巨大なんだろう。

気管切開をするということで耳鼻科の先生に聞いた。虎ちゃんが2000gになったときくらいから診ていてくれるといっていた。それはもうひと月以上前ではないか。
入院していると、虎ちゃんは知らない間にいろんな人にお世話になっている。そういうことは、普通に家に連れて帰るとほぼないのだけど。病院に行くと、うちは初めて会うけど虎ちゃんとは前からの付き合いという人に時々出会うことになる。

虎ちゃんはすでに相当な人数の人に育てられて生きているわけで、眠たかったりでぼんやりしているだけかもしれないが、そういうのを特に問題ないように受け入れている姿を見るとなんだか貫禄を感じる。結構特殊な環境で育っていると思うけど、人見知りとか出てきたりするんだろうか。

July 9, 2025

一ヶ月健診が終わった。

多分みんなそうなんだろうと思うけど、産後1ヶ月の時期に産んだ病院などで健診があってそれで問題がなければ産前から世話になった産婦人科通いが終了する。
ふつうなら同時に子どもの一ヶ月健診もあって、子どもも産院から離れて次は地域の小児科などで予防接種を受けたりする。

子宮の戻りも問題ないことがわかり、私の方は産んだ病院との関りは終了になった。
虎ちゃんが入院しているので、でもいつもとちょっと気分が違う。

健診に行くと、私以外は赤ちゃん連れで来ていて、そうか普通の子どもはそんな小さくても管なしで連れ歩けるよなとなんだ納得した。いつもそうだったのになんだか改めて納得する。

とりあえず、自分の方は問題なくてよかった。
前の出産より心がけて休むようにしてきて、これからもぼちぼちと思うけど、ちょっとづついろいろやりたいと思った。
健診まで帝王切開の傷に貼っていたテープはつけっぱなしにしておいてと言われていたので、健診で取ってくれるのかと思ったら、家で自分で取るように言われてちょっとびっくりした。夜に、取ろうとしているとあらたもようちゃんもやってきて覗き込んでいた。自分では今までテープで隠れていた傷を見るのが怖かったけど、あらたとようちゃんは全くそういう風ではない。取ったテープにも興味津々で触りまくっていた。隆にきたないよ、くさいよ、と注意されていた。確かに貼りっぱなしだったからくさいかも。自分では嗅いでいない。

健診のあと、虎ちゃんに会いに行くと今日は起きていた。
ずっと起きていた。
看護師さんに聞くとなんやかんや教えてくれたりする。
一回の母乳の量とか、こないだミルクも足してると聞いたけど、どんな割合なのか?と聞くと、ミルクを足しているというよりは、母乳に栄養を足してあげているそうでそれを「強化母乳」というと教えてくれた。

「強化母乳」。微妙にパンチのあるネーミング。なんだか忘れられなくて帰りがてら「強化」ってどんなときに使うっけ、と考えたりして「強化合宿」とかしか思い浮かばなかった。
自分の母乳が強化されているという事態。

医療用語って、多分慣れるとある程度規則的なネーミングがあるんだろうけど、初めて聞くとなんかちょっとそれほんとに正式な医療用語なの?と思ったりすることも。「緊急帝王切開」と「超緊急帝王切開」とか。「低体重児」と「超低体重児」とか。他にあるのかわからないけど。

虎ちゃんは日々いろんなことが起きて、いろんな治療をしている。
心配なことも多いが、ちょっと肉もついてきて、わらっているように見えることも出てきて、そんなときは心配を忘れて嬉しくなっている。

July 7, 2025

虎(とら)ちゃんが生まれた。

6月3日に虎(とら)ちゃんが生まれた。
1821gの男の子。
産前の健診で予想されていた通り、18トリソミーという染色体異常があり、病気がある。

今日が7月7日。ひと月ちょい経って、ずいぶん昔のことのような気分も。

出産自体は、自分が経験した中では短時間だったけれど一番壮絶で。まだ36週目の早朝に強い張りがあってから、陣痛らしき痛みに変わって30分で病院に電話。すぐにタクシーを呼んで、病院に向かう車の中で陣痛間隔2ー3分までいってしまい。
それくらいの間隔だと陣痛室に辿り着いてれば即分娩だと思うんやけど、でないように我慢しつつなんとか分娩室まで行き、産んでいいと言われたとたん破水。

しかし、虎ちゃが逆子になっていたこと、そして脈が落ちていることが判明し、グレードAという緊急帝王切開に切り替わりその数分後には全身麻酔で眠っていた。

目が覚めてすぐにガラガラと手術室から病室に運ばれながら「無事だから」と言われたけど、無事の意味がよくわからなく、聞くのが怖くて聞き返せもしないまましばらく虎ちゃんがどうなったのか会話の節々から探っていた。

虎ちゃんは人工呼吸器やいろいろな管をつけて生きていた。
うちはうちで結構な出血をしていたし、「無事」ってなんだろうと思うけど、とにかく生きているということなんだと思う。

そんな日々細かいことはいろいろメモをとっている。またここに載せるかもしれないし、載せないかもしれないと思いながら。

初めて写真を見た時、実際に会った時、ほんとうにいつどうなってもおかしくないような気がしたが、とにかく1か月生きてくれた。特に最初のうちは毎日、毎日生きていることを確認するような時間を過ごしていて、こんな子どもは初めてなのでどう捉えていいのかいちいち考えているところがあったけど、生きててくれてよかったと思った。思い出すと大変な出産だっけど、それがかすんでしまうくらいのいろんなことが1か月ほどであった気がする。実際にほんとうにいろんなことがあったというより、生きているのがとても大変な中頑張って生きている虎ちゃんのひとつひとつの息づかいが重い。

虎ちゃんは今もNICUにいる。今も呼吸器が必要でとれそうにない。心臓にも疾患がある。
ちょっとづつ成長して、家に帰って来れるように治療を頑張っている。

6月25日、虎ちゃんのイラストを機会があって描いた。
なぜかそれができてとてもよかった気がして、絵で描いていきたいなと思った。すでになんだか虎ちゃんの顔はその日とも少し変わっている。気分とか日々の雰囲気も、描き残せないスピードで変わっている気がする。

May 23, 2025

連休後くらいから5月下旬ごろ。

病院への道中。

出産が近づいてきたからかなんなのかわからなけど、産まれてきてどうかるのか、どれくらい元気で生まれてくれるのか不安になったりもしていた。
このひと月ほどそんな不安はあまりなく、入院なく家で過ごせるかどうかの方が目の前にあって産後のことはあんまり気にできなかった。

家からあまり出ずで、入院かも、と気にしながらの生活は落ち着きはしない、疲労もある、なのにこれはこれでひと月も経てば安定するんだなと思う。とらちゃんが生きてくれてて、名前もついて、なんとなく一緒にいるのは楽しかったりもするから、生まれてきていなくなるかもと思うと先に進むのも緊張する。

いろんなことがあってすごい長い時間を一緒にすごしてる感じがして、妊娠期間としては結構幸せだったのではないかと思った。
2人目のようちゃんの時は、初期の出血と入院をのぞいたら順調で安産でなにも覚えてないわけじゃないけど書き残したいようなことはあまりなかった。

こんなふうに困ることでもなければ、ここまでいろんな人に頼ることもなかっただろうし、頼ったら助けてくれる人がいるということが実際に起こって経験してしまうということは、価値観や今後の人生を変える出来事かもしれないと思った。
人生が変わらないなんてことは、どんなひとりの人間(特に自分の子となればなおさら)との関りのなかにもないのだろうと思うけれど。

でも、そもそも正常ではなく異常だと言われている子との生活だったからやっぱりこれまでにないことをいろいろ考えたと思う。異常(マイノリティ)の意識というか。人に話しながらなんだかきっと理解してもらえないだろうと思うことがベースに侵入してきた。
それで、自分がこれまでどんなことをしていてもマジョリティの意識でいたんだなと逆にわかった。


診察が終わった。
来週は2回目の羊水除去。
相変わらず、頭は大きくなっており骨盤から出ない可能性もあるので前回の健診で予告されたとおり帝王切開を視野にいれつつになった。

帝王切開になる条件は今のところ大きく二つで、頭の直径が10センチを超えることと、とらちゃんの心臓が弱いので経膣分娩の方向で一旦行ったとしても耐えれそうになければ帝王切開への切り替えとのことだった。
その他、予期せぬ事態はまた当然別にあるだろうけど。
経膣分娩にしても、家で自然に陣痛を待つのは羊水過多だとリスクが大きいので入院して誘発を行うとのこと。破水したときに、いろいろ危険の可能性があるそうで、胎盤はがれちゃったりとか。
ようちゃんの時の出産が突然の破水から始まっているので、この点は自分でも不安だった。そもそも、どんだけ水でるの?みたいな単純なことも含めて。

そんな感じで羊水が多すぎるまま分娩もよくないみたいで、しかも水が多いと逆子になる可能性高く、それも含めて羊水除去にはなった。
帝王切開なら37週に入る6月8日以降の早い時期に、経膣分娩でも予定日より大分早い出産になるんじゃないかな。


芸術祭が終わってからしばらくしんどかった体調は、その後なんだか少し落ち着いてたけど、本格的に重くなってきて寝がえりなど大変。腰にもきている。息苦しさは大丈夫かと病院では聞かれるけど、それはほぼなく、胃が気持ち悪くはるけど食べれないというほどでもない。運動はほとんどできてないので、帝王切開でないとしたら、こんなんで出産の体力もつのかと不安になったりする。


来週の羊水除去の入院の話のことだったかなんだったか忘れてしまったけど、ようちゃんが「みおちゃんととらちゃん病院行くの。ようちゃん、ひとりぼっちになっちゃう」と言っていた。
妙に絵本っぽい言い回しと思ったけど、ようちゃんは聞き知った言い方を、しかも割と劇的なやつでも、試すのが好きだからそうなんだろうなと思う。
その時は、一人じゃないやんと突っ込んだ気もするけど、寂しいとかそういうニュアンスをちゃんとつかんでるんだろうなと思った。
それを言った直後には、あらたと絡んで笑い転げていた。大したことじゃないのか、と思う。と同時にまあ、何かで頭のなか一色なんてことの方が実はあんまりないことなんだろうと思う。うちもとらちゃんのことは頭にのぼるけれど、他にもいろいろあって忘れているようなときもそれなりにある。でも全部完全にバラバラにあるわけでもなく、いろんな形で結びついているとは思う。





May 11, 2025

ちょっと久々の妊婦健診。

2週間ちょいぶりの妊婦健診があった。
朝、新とようちゃんに今日は病院行くと言うと、ようちゃんが「みおちゃん、病院(行くの)いや」と言っていた。最近抱っこができないし普段は本当に私は人気がない。「みおちゃん、いやーーーーー。たかがいいのーーー。」と走って逃げることもしばしば。それでも、そんなこと言うんやなと思った。羊水除去の時に一泊帰って来なかったのをよく覚えてるのかも。

羊水が多いのはしんどい、けれど出来れば羊水除去の2回目も避けたい。ちょっと前からとらちゃんに羊水を飲むよう頼んでみた。
無理なお願いなのか、それならやってみようと思える範囲なのか、とらちゃんの体調は不明。あらたとようちゃんも、時折一緒に頼んでくれる。2人はとらちゃんとの交流は、私のヘソ越しが一番効果的に思えるのか、ヘソをマイクのようにして話す。羊水過多だし、お腹パンパンやからもうほぼ平らなおへそになっている。


病院ではとらちゃんの心エコーの2回目。
この検査が結構疲れる。
1時間近くエコーを取り続ける。
流石に2回目で、その辺も知ってるので遠慮なく寝ていたけど、動かないようにと緊張はするのでぐったりする。
結果は1回目と特に変わらずで、左右の心室の間に穴がある。手術が必要な可能性は高そうだけど、詳しいことは生まれてみないとわからない。


心エコーの説明が終わると、妊婦健診。
こちらもエコーをして、子宮口はちゃんと閉じてる、との言葉にとりあえずほっとする。今日も帰れる。
羊水除去の提案があるかもと思ってたけど、うちが苦しくなければ様子見でよいようだった。気持ち悪くなることもあるけど、耐えれないほどではないのでそう伝えた。

とらちゃんは頭がかなりでかいようで、今後様子を見ないとわからないけど、骨盤を通らない大きさになったら帝王切開だそうだ。念のため帝王切開できるよう今後の検査など予定していくらしい。いろいろ体調には問題がありそうなとらちゃんなので、なにかそういう理由で帝王切開はあり得るかと思ってたけど、まさかそんなわかりやすい物理的な理由で帝王切開とは。
どうやら他には、帝王切開をしないといけない理由は今のところないみたい。今後そんなに頭ばっかり大きくならないといいけど。

そっから、事務処理がいろいろあって、更に自分の心電図。
心電図なんか妊娠中にやったの初めてでこんなのするのかと思った。そっから会計で、なんやかんやで4時間くらい病院にいた。

帰り際、駅まで歩いている途中なんだか疲れていた。急に「京都 蔦屋書店」でやっている山口真人展のことを思い出してしまい行きたなった。ここからさほど遠くない。いくら理由があるとはいえ、毎回のように長時間の病院にまったくやさぐれないわけがない。展示見たいなぁ。なんだか疲れて甘い物が欲しくなってしまった時の感じを思い出す。行っても大丈夫じゃないかと思ってしまったけど、そんな事でなんかあれば結構後悔すると思ってやめておいた。
見たかったなあ。また機会があれば。


生産期に入る37週まで、だいたい4週間になった。羊水過多は早産になりやすく、入院も覚悟してと言われたのが3月末だったので、なんとか一カ月ちょい耐えた。

いったいとらちゃんはどんな人なんだろか。
せっかくなので、これからの生活のことを長期的に考えてみたいと思ってたけど、家にいれる間にやれることはやりたいと思うと目の前のことに走っている気もする。


夕方から母が来てくれてしばらくしてようちゃんが帰ってきた。「おかえり」と声をかけたけど、ようちゃんは一目散に母の方に走って行った。




May 4, 2025

今年の連休の考えごと(メモのような)。

芸術祭のあと、また羊水が増えたような気がして芸術祭までより生活がしんどい。
だいたい「増えたな」と実感すると1-2日はお腹の皮が伸びた感じで痛かったり、慣れない感じが困ってしまい。それから5-6日は、少し楽になりなんとなく同じ感じで過ごせて、また「増えたな、しんどいな」という感じの日が来る。

今回はもう流石に結構増えてるのか1-2日経っても少し楽だなとは思えなくなってしまっている。
また、羊水除去になるんだろうか。週末に久々の妊婦健診。約2週間ぶりなので久々でもないんやけど、毎日がとてもながいので久々に感じる。

とはいえ、今日から妊娠9ヶ月に入った。32週目。
なんとかかんとかここまで来れてよかったと思う。
とらちゃんは、羊水過多で胎動は感じにくいけど、それでも力強くなってきている。たまに「しゃっくりかな」と思うような、微細な動きも感じるようになった。
まだ、1ヶ月と少しはお腹で頑張って欲しいと思う。

懸案の一つだった、歯科治療がひと段落した。
順調な妊娠経過だと余裕だと思っていた治療。4月に入ってからは隆に車で送ってもらい、長期入院もなくでなんとかかんとかだった。


4月以降今の事情を話したりすると、できることは言ってと言ってくれる人が多くすごくありがたい。それぞれ事情がある中でこんなことならできると言ってくれたりする。
最初はなかなか言うのも大変で最善を尽くして生まれても1週間で死んでしまうかもしれないのにそんなに大事にすることないんじゃないか、という反応がかえってきはしないかと思う気持ちがあったけどそんなことは今のところない。いろんなことを思う人はいると思うけど、隆や新やようちゃん以外の誰にも伝えていないという状態から少しづつ知り合いに伝えていって、その時と今とは結構気持ちが変わった気がする。大事なことを伝えるということは大きな経験なんだなと思う。
というか、生まれてもすぐ死んでしまうかもしれないそもそも生きて生まれてこれるのだろうかという中でそんなに大事にすべきか1番気にしたのは自分自身だったのかもしれない。仕事のキャンセルもしたし、新も葉もいる中で動けないと隆を中心に負荷が増える。羊水過多で、子宮は普通以上に大きくなるし、静脈留もひどくなるのだろうか。自分の体はどうなるのか。産後の体はどうなるのかという不安もある。
かなり乱暴な書き方だけど、非常に大きな賭け金をかけて‥みたいな気分がなかったとは言えない。
今は、まわりも自分もしんどかったりするけどこれ自体が生きてるってことかという気分になってきた。なにか複数ある未来の選択をしてるわけではないというか。賭けたり、賭けるのをやめたりできることをしてるのではないという感じというか。
大事にして、楽しみにした分、それで何かあった時には辛いのではという気はするけど、大事にして楽しみにできた方が楽しいなと思う。過ごすということの意味が変わった気がする。これは別にとらちゃんのことに限らない。


疲れやすい。羊水過多以外に母体の異常はないようだから、重さの影響は凄まじいんだろう。
今までの臨月よりしんどい。臨月なら、だるいと思ってもどちらかというと意識的に体を動かしたけど、今はだるくて動きたくないと思ったら出来るだけそのようにしている。 
動くのは基本億劫なので子どもに怒鳴ることが増えた。近くに行って話せば済むことがなかなかできない時があるから。声だけでかくなる。


何故か今だにコーヒーが飲みたくない。ときどき飲みたいような気分になるけど、実物を見るとやっぱり違うなと思う。
飲みたくないから飲まなくてもいいっちゃ、いいんだけど、飲んでいた時のおいしかったり、気分がよかったり、一緒に飲めたりするあの感じを時々思い出す。あれができないのは寂しいなと思うようになった。

とはいえ、どんなに遅くてもあと2ヶ月ほどもあれば生まれてくる。しばらくしたら大方自分の身体はもとに戻るんだろうな。どんな生活になってるのかまだよくわからない。





May 1, 2025

4月中頃~まるネコ堂芸術祭まで。

芸術祭前最後の妊婦健診があった。これで大丈夫ならほぼ芸術祭に出れるだろうし、なんかあったらダメだなと思いながら行く。

芸術祭に出れるのも気がかりだけど、そもそも入院になると家がめっちゃ大変になる。多少やっている家事もできない。最近うちは、抱っこもできないし、しんどいからそっけないのもあり人気はないのだが、それでも新も葉も気にするだろうから隆の負担が大きくなる。助けてくれると実家の家族や友人から言葉ももらってるけど、それでも家に居れるのが断然いい。

NST(あかちゃんの心拍やうちのお腹の張りをみる)にMRI(あかちゃんの断面図みたいなのをみるのかな)にと、結構時間のかかる検査を終えて最後に診察があり帰宅できた。
会計と処方箋でそれから1時間以上で、なかなかこれで時間がかかる。

MRIの結果は多分次回。久々に次の受診まで2週間あいた!


芸術祭は楽しかった。
うちがいないかもという想定を結構してもらっての開催だった。なんか自分が頑張るより掃除もしてもらったし、いい雰囲気になっていたんじゃないかと思う。
初日の朝、朝食を作るくらいまではそれなりに動いたけど、ちょっとお腹がしんどくなってきたのであとはだいたい座っていた。

久々に会った友人に顔を見るとほっとしたわとか、思ったより元気そうでよかったとか言ってもらった。

お腹の赤ちゃんのとらちゃんが、18トリソミーの可能性があること、普通に元気でないことは「妊娠してるんですか?」とか「順調ですか?」とかいう話題になるとなんとなく話した方がいい気がしてだいたい話している。
最初はマイルドに伝えようとして、赤ちゃんは元気だけど切迫早産気味と思われたり、心配あるかもしれないけどきっと大丈夫よ(普通に元気な子が生まれるよ)、みたいに返答されてなんだか伝わらんと思ってしまっていたので、だんだん結構がっつり言うようになり相手をなんだかびっくりさせたり、なんて言っていいかわからないと言われたりして、それはそれでこれでいいのかとも考えなくもないけど伝わってはいる気がする。

前は健康であることはいいことだと思っていて、いまでも不摂生とか運動不足とかはよくないと思うけど、そもそも体が弱いみたいなことはまた別次元にあって「とにかく健康であれば」みたいなことを極端には思わなくなった。
芸術祭が始まる少し前はじめて「産まれてくるのが楽しみだな」と思った。というのもそれはとらちゃんに限らず、新の時も葉の時も意識的には思わなかった。それは多分臆病だからかもしれない。
ちょっとでも元気に産まれて家で過ごせればいいな。楽しく一緒に過ごせる仕事や生活を考えて行ければな思う。


芸術祭が終わって、さすがに疲れていた。
宇治市では妊娠8か月ごろに市の助産師や保健師の人との面談をするようになった。ようちゃんの時はなかったと思う。その人たちが来てくれた。
事前アンケートで18トリソミーかもということは伝えて、そうなった時、使えるサポート制度などあるかなど聞いていたのでいろいろ教えてくれた。
産まれてからの子どもの医療費に関してはかなり安価になるようでほっとした。訪問医療でもそんなにかからないらしい。

18トリソミーかもと言われたり、もっと前の時点で羊水検査を進められた時も思ったんだけど、普通に産もうと思えたり迷ったりできることっていうのはいい国だなと思った。
あんまりゴリゴリ調べたわけでもないけど、医療は受けれるわけだし、それなりの病気があったときにはそれなりの支援もあるようだ。そうなってみれば、それでもまだまだしんどいとかはあるんだろうけど。とりあえず、現時点で無理だと思わなくてすんでいる。


芸術祭では新が私と作ったステッカーを熱心に配ってくれた。
12種類あるステッカーを紙の封筒みたいなののなかに入れて箱に入れた。くじ引きみたいな感じで一人1枚引いてもらう。
どの柄が出るかはお楽しみ。欲しい柄が出て喜んでいる人がいたりも嬉しかった。

熱心な新の姿がよかったのか、投げ銭もそれなりにいただいた。うちは新が熱心になれるようなものがちゃんと培われていたのかということにほっとした。それに関しては全く自信がなかった。


April 18, 2025

4月4日~4月中頃。

公開しようか迷うくせにとりあえずライブで書いておきたいという気持ちもある。

4月4日にお腹の子どものとらちゃんの心臓の検査に行った。
まさか1時間近くエコーするとは思わなくてびっくりした。
左右の心室の間に穴があるらしいことがわかったけど、医師があまりに落ち着いているのでたいしたことではないように聞こえてくる。とういうか、手術でどうにかなる程度ならたいしたことではないように思えてくる。
いろいろ説明してもらったけど、胎児のエコーは当然母体越しなので、生まれてこないと確かなことは言えないらしい。
その後は妊婦健診。とりあえず羊水が多すぎるので、それを抜くために1泊2日で入院することが決まった。

なんだかその日の診察でわかったことは、胎児のことはよくわからないということだった。
方向性は示されてる感じだけど、ぼんやりしている。

隆とようちゃんが一緒に来てくれた。
長時間で、ようちゃんは(とようちゃんと一緒にいた隆は)大変だったと思う。
帰りにスーパーによったらようちゃんは最近気に入っているブルガリアヨーグルトを2つも抱えて出てきた。

気が張っているとなんとなく疲れがわからないときがあるけど、ふとどっと疲れることがあってまあそりゃ疲れるわなと思う。

初めていろいろ知らされたときより少し落ち着いた。気がする。
体も使わないように心がけているというかいろいろ助けてもらいなるべくゆっくりしているからなのか、薬は飲んでるし張りも多少マシ。なんとなく羊水の増加速度も一時期に比べて落ち着いている気がする。

まるネコ堂芸術祭の方はLINEスタンプは完成させて、それだけになってしまうかもと当初思っていたけど、シールデータも完成できて今週来る予定だからそれも展示できそうで嬉しい。

いろいろ助けてもらってありがたい。


去年、京都市京セラミュージアムでの村上隆展に連れて行ったようちゃん。
テーマソングのmononoke kyotoを気に入ったようなので聞かせまくってPVも結構見た。
今朝は「いまちーかない、の本ここ?どこ?」と図録を探す。いまちーかない、はmononoke kyotoの歌詞。正確には「いましかない」。
鬼が見たかったらしく、彫刻の鬼の写真を見せて、満足しないようで、森美術館での「五百羅漢展」の図録の赤と青の鬼も見た。
村上隆の絵って普通に子どもが好きになってしまうものが多い気がする。結構熱心に見る。


羊水除去の日。
駅までタクシーに乗って、さらに病院最寄り駅からタクシーに乗ることにした。送ってもらってもよかったのだけど、ずっと車も酔うので電車でもいいかと。
途中であらたのクラスで一緒だった子のお父さんに会った。通勤途中。降りる駅が同じだったけど、特急では座れないんじゃないかと教えてもらい私は準急に乗った。
目的の駅に着くと改札にその人が立っていて、慣れない駅だと迷ってしまうかもしれないから勝手に待っていたとタクシー乗り場まで案内してくれた。不安な日ではあったし、とてもありがたかった。

病院でしばらく待たされて、急にいろいろ準備が始まった。
せっかくだされたお昼を食べる暇なく、点滴がつけられ、お腹はすいていた・・・しかし、今は食べれないからと下げられてしまった。しかも終わったあとも出てこず処分されてしまった・・・。食欲は健在。
着いてすぐカロリーメイトを食べていたのがちょっと救い。

分娩室に通された。分娩じゃなくても分娩台に乗ることがあるのかとびっくり。
看護師さんの準備がひと段落すると、ぞろぞろと医学生だろう人が入ってきてなんと見学入れて11人体制。いつも診察してくれていた主治医は平然とやるんだけど、いろんな立場で緊張しながらやっている人もいるので緊張する。
ぶっとい針が見えて怖かった。
多分あれで羊水を抜く。

1.5L抜いたところで、赤ちゃん近づいてきたのこのくらいにしときます、と終了。
ほんとは2L抜きたかったけどと言っていた。
緊張したのか37.7℃になっていて、よくあることなのか看護師さんも普通だった。

羊水を抜いたあと、お腹の張りが強ければ入院がのびると聞いていた。
幸い特に問題なく、予定通り翌日退院できた。
入院中に保坂和志の「プレーンソング」を読んだ。作中に出てくる若者たちも実年齢は私よりずっと上なのかと思うと、すでに古典な本に思えた。確か、1990年ごろ出版。

1泊2日で家に帰りつくとあらたが困っていた。
その日あったまるネコ堂ゼミの内容を聞いていて困ってしまったらしい。いろいろ考えることがあったんだろう。

あらたはこの春から小学生になって、思った以上に学校を楽しんでいてなので頑張っている。
ほんとうに思った以上。
朝5時に起きて、夜8時前に疲れ果てて自分で布団にはいっていく。

あらたの濃密な日々の影響をうけてるのか、羊水を抜いた日からすごい日数が経った気がする。
羊水は、また増えるかもしれないし、増えないかもしれない。
増えないにこしたことはないけど、増えたら増えたで仕方がない。
次回MRIを撮るそうで、それで正直なにがわかるのかよくわかってないんやけど、その日に合わせて次の健診もある。羊水の溜まり方とか、子宮頸管の長さとか測ってくれるのかな。子宮頸管が短くなると、早産の可能性が高くなってしまうので、入院を提案されるんじゃないかと思う。羊水は一時期すごいスピードで増えたほどは増えていないようには思う。多分。


こういう話をどういうテンポで書けばいいのかわからなくなったりよくしている。大変ではあるけど、落ち込んでいるわけではない。
もう、ほぼほぼ何かの疾患を持って産まれてくるだろうと思うので、とらちゃんが病気でなければいいと単純には思えなくなった。もちろん、症状が軽かったりするに越したことはないし、病院であればいいと思っているわけでもない。生きて行けるようにできる治療もすると思う。
でも、あまりにそういうことを願いすぎるとそれがいったいそもそもとらちゃんなのかよくわからなくなって、いったい自分が誰と過ごしているのかわからなくなるような気分がある。そもそもそうであるとらちゃんの根本みたいなものを否定するようなところまでいってしまう気がすると違和感があるんだと思う。
こういう気分っていうのを半年前の自分はほとんどわからなかった。だから、上手く言えないし書けないて気分がしてるのかもしれない。

April 9, 2025

3月末日~4月の頭くらい。

 bloggerの編集画面はpovoの低速でもつながるので外にいるときでもかけることに気づいた。

出産前に終わらせようと始めたちょっと大きな歯科治療。1週間前までは十分終わるつもりでいたのに今はどうなることかと思っている。
今回を入れてあと3回。車で送迎してもらった。

今年で解散するあらたの保育園の保護者会で会計をしている。年末のつわりから自分ではあまりなにもできなくなったが、会長をはじめいろいろ他の人がやってくれた。会計の締めも、ちょっと産前に無理だろうと思っていたら、いろいろ会長が考えてくれてうちでできる作業以外のことを動いてくれることになり持ち越さずに終えれそう。頼もしい。ありがたい。
会は持ち回り制だったのを、4年ほど前に解散の話が最初に出てから有志になり何人かで続けて来た。解散には責任も感じるが、私自身来年はもうできないと感じた。大したことは出来なかったが、ほんとにいろいろ勉強になった。知り合いもできた。

子どもを同じような染色体異常で亡くした方がたまたま知り合いにいた。うちはまだ確定はしてないけど。
聞く前からそうでないかと思っていたらそうだった。一緒にいれる時間を楽しんでとか、大事にとかそんなことをちらっと言っていた気がする。経験者の言葉はなんだか違うというか、そんなに経験至上主義にはなりたくないのだけど、そうやって近い終わりがあるかもしれないものとして捉えられる人はそうそうない。無事な誕生を願うこともそれはそれでそういう気持ちもあるけれど、多分現実的になんともなしにというのは難しい面もあるから、それだけ聞いてたり考えたりしても落ち着かない気持ちがいくらかあるんだと思う。 
胎動が弱い子だと前々からなんとなく思っていたけど羊水が多いせいらしい。エコーの画面で前の健診からほんとにぷかぷかと羊水に浮かんでるなぁという感じになっている。あらたやようの時はえらい狭いところにいるなと思いながら見ていた。

胎動を大きく感じる日があって、それを言うと「よくなったのかな」とあらたが言っていた。それは難しいと説明した。でもその日はうちも、ほんとは元気なんじゃないかなとやっぱり思ったりしていた。
確か3月27日、隆の発案で名前をつけた。あらたは考えていたらしく「とら」に決まった。
漢字だと言っていたけど「虎」なのか「寅」なのか、どっちかのはずだけどまだ聞けていない。

毎日手帳を見るのが習慣化しつつあったのに、際全然見れなくなった。予定の概念が変わってどうつかっていいのかわからない。以前のように使っても仕方ない。ちょっと考え方を変える良い機会だと思う。

February 27, 2025

妊娠6か月も後半。眠い。そして、ジャムとか。

妊娠6か月ってこんなに眠いものなのか。

連休中、多分葉からうつった風邪で寝ていて、それ自体は1日寝たらほぼよくなった。
風邪の前は毎日毎日空腹がしんどかったけど、風邪を引いたらつわりっぽい胃のムカムカが戻ってきて、さらに眠気も結構ある。だからってつわりの時のように動けないとかはないけど、前はこんなんじゃなかった気がみたいなことを思ってしまう。

あと、お腹がもうこんなに出るのか?前ってこんなんやったっけ?と3人目にしていろいろ驚いている。
忙しいなと思っても、なるべく自力整体をするようにして体調は整えるように心掛けて、寒すぎてやる気にならなかった雑巾がけもそろそろ復活を考えよう。

妊娠アプリみたいなのをなんとなく入れていて、たまに覗くと予定日まで「○日」とか出てくるのが面白い。昨日は「あと123日」だった。


ことあるごとにいろいろ考えこんだ新の妊娠だったけど、もう全然考えることも違っている。新や葉もいまだ姿が見えないお腹の中の人にはあまり興味がなく、目の前の出来事の方が刺激的で注目は集めない。


庭の甘夏でマーマレードを作ろうと思って少し調べてみると糸井重里がじゃむおじさんだったと知る。それなりにいろいろ作ったんだろうなと思うけど、それ以上にこうやって何を考えたかとか、どうやったかを記録にまとめて残していることが魅力ですごいなと思う。
それに10年以上前に始まった企画っぽいけど、去年もちゃんとジャム販売をしている。

この人とその周りはなんかいいなと思う。
かっこいい、って感じはないんやけど、なんか気になるし、そういうことをちゃんとやるのね、とはっとさせられる。結構気になることをやっている。

今朝、先月作ったマーマレードの瓶をあけると、新と葉がすごい勢いで食べた。
新、食べる前からパンの小ささに激怒。
葉、ジャムをパンにつけるという発想は皆無。

美味しいからに違いない。
3月に収穫する甘夏で沢山作ろうと思う。糸井重里がこれからたくさん作るならとおすすめするジャムロートと保管用に瓶を買おうと思う。

December 23, 2022

【865】おむつなし育児への2つの誤解。

 11月26日に生まれた葉(よう)も「おむつなし育児」を始めました。上のアラタのときもやっていて、とても良かったからです。おしっこやうんちの世話が大幅に楽になりおむつが取れる時期も早まるのですが、何より赤ん坊のおむつかぶれのおそれが減るのがとてもありがたいです。

 ところで「おむつなし育児」をやっていて、実感として2つ大きな誤解というかイメージの違いがあるように思います。あくまでもうちのやり方の上でなのですが、説明します。

誤解1 必ずしもおむつをしないわけではない。

 1つ目は、「おむつなし育児」という名前そのものなのですが、うちの場合、実はおむつは「しています」。これはたぶん、おむつなし育児への定番の疑問だと思うのですが、おむつなし育児は必ずしもおむつをしているかどうかが問題ではなかったりします。

 どういうことかというと、例えば葉ちゃんの場合ですが、生後23日目から始めていますが、布おむつを普通につけています。

 それで、それまで気持ちよく寝ていたのに、機嫌が悪くなって泣いたりします。このとき、だいたいまずは、おむつをチェックします。

 ここで濡れていたら普通に取り替えます。

 もし濡れていなかったら、おむつを外して抱きかかえて、おまるの上に持っていきます。するとおまるにおしっこをしてくれます。終わったらまたおむつをつけます。これだけです。

 泣かなくても、ちょっと落ち着かなかったり、前のおしっこから時間が経っていたりすれば、おまるのところへ抱えていくと、だいたいしてくれます。

 はじめて4日ですが、今のところおまるでできる割合は1/3から1/2程度ですが、続けていけば、この割合が上がっていって、そのうちおむつをする必要がなくなります。失敗しても着替えさせればいいやと親が思える程度に成功率が上がれば外せます。

 おむつなし育児かそうでないかのポイントは「排泄をするときに」付けているおしめにするかしないかです。なので失敗したときの保険のために普段はつけていても、おむつなし育児はできます。

誤解2 赤ん坊は最初から「漏らして」はいない。

 上記の説明を読んで、そんなに簡単にできるわけないと思うかもしれません。あるいは、そんなにタイミングよく「キャッチ」できるわけないと。

 僕もやる前はそう思っていたのですが、今ではそれは間違ったイメージだったと思います。僕は「赤ん坊はおしっこを漏らしている」と思いこんでいました。うまく出せなくて、漏らしてしまうからおしめが必要だと。

 実は、赤ん坊は最初からおしっこもうんちも「漏らしているわけではなく」、大人と同じように自発的かつ能動的に「している」と思います。

 ただ、「下腹部に直接くっついてるおしめ」にしている。正確には、おしっこやうんちをそもそもどこにしているのかということに、赤ん坊自身の意識が向いていないから、どこにしようがいつしようが気にしていない、ということだと思います。

 けっして壊れた蛇口から水があふれるように「漏れて」いるわけではないです。

 いつ落ちてくるかわからない隕石のようなものをとっさの反射神経や第六感的なセンスで「キャッチ」しているわけではないので、実は「タイミング」というほどシビアなものではありません。ごく普通に、大人が、そろそろおしっこ溜まってきたなとか、うんこでそうだなとかいうときに、トイレまで行って、然るべき服装になって、その体勢をとって、そういうふうに力を入れて出す、というのと変わらないと思います。ただ、赤ん坊は、自分でトイレに行ったり服を脱いだり、そういう体勢をとったりできないので、それを親がやる。

 排泄物がある程度溜まっている必要があるとは言っても、時間的には十分な余裕というか幅のあるもので、その幅のなかに収まっていて、赤ちゃん自身が出そうと思って力を入れれば出ます。

はじめてやるなら、おまるがあったほうがいい。

 ということで、やってみると意外に簡単です。というか、たいして特別なことではないです。

 僕がやってみて、一つだけコツというか、幸運だったなと思うのは、うちになぜか「おまる」がすでにあったことです。以前、そうとは知らずに、洗面器代わりに入手していたものが実はおまるでした。


 これがなかったら、ひょっとしたら途中で挫折していたかもと思います。

 抱きかかえてやるうちは、洗面器やバケツや風呂場や庭でなんとかなる気がしますが、子供が自分で座ってやるようになったとき、おまる以外だと高さやバランスが微妙にうまくできないかもしれません。子供にとってははじめての経験なので、最初に躓くとやめてしまう可能性があります。子供が「自分でおしっこやうんちをする自分のイメージ」を掴むためにおまるはとても良くできた形、材質、重さです。物自体にそれっぽさがあります。保育園でも同じものを使っていたのでたぶん定番なのだと思います。

 ということで、「おむつなし育児」楽しいしおすすめです。

June 12, 2022

【838】アラタの絵本づくり。第一作「ハイカン寺」。

 アラタが絵本を作りたいと言う。

 任せろ。こう見えても本職の編集者だ。

 というわけで、第一作は「ハイカン寺」。適当に家にあった紙を使って、製本も思いっきり簡易なので、絵本と言うよりは大学のレポートになってしまった。けれど、楽しかった。表紙+本文17ページ。

 「ハイカン寺」というのは、アラタの空想上のお寺で、奈良にあるけど六地蔵からバスで行くらしい。いつもこのお寺の話をする。イマジナリーフレンドならぬイマジナリーテンプル。



 本人も気に入ったようで、保育園の友達の家にまで持っていって、無理やり読ませたりしている。
 次回作への意欲もあるので、次はもう少し紙や製本を検討します。

January 21, 2021

【774】「イヤイヤ期」と呼ばれるもの。人間への挑戦。自然がやってくる。

・アラタへのイライラについて。

・パンが食べたいというのは、いい。玉子を食べたいというのも、いい。パンと玉子を載せる皿を運びたいというのも、注意を要するが、いい。ただ、その前に泥だらけの手を洗ってほしいだけなのだが、それをどうしてもやらない。絵本を読むのもいい。積み木をするのもお絵かきをするのもいい。散歩に行くのもいい。ただその前にパンツとズボンを履いてほしいだけなのだ。それをやろうとしない。全力で拒否する。それに対してイライラする。

・できないことを要求しているわけではない。「できなさ」という幼さ、稚拙さに対してのイライラはない。できないことをやろうとしている姿を見るのはむしろ喜ばしいぐらいだ。問題は、できるはずのことをやらないようにしている、少なくともそう見えるということだ。手を洗うのもパンツやズボンを履くのも、もうすでにできないことではない。これまでに何度となくできているのだ。それを「やらない」。それにイライラする。できるイメージがすでに僕にあって、そのイメージが意識的に実行されないことにイライラしている。できなかった時期は僕が濡れ布巾で手を拭っていたし、パンツもズボンも履かせていた。それに対していらつくことはなかった。

・手を洗うことやパンツやズボンを履くことは、人間にとって必要なことなのだろうか。少なくとも現代人にとっては必要だ。手を洗わなければ許容できないほどの高いリスクで感染症にかかり小児が死ぬ確率は上がる。パンツやズボンなどの衣服を身に付けなくても生きていけるような温暖な気候の範囲に、我が家はない。いずれにせよ、現代人として受け入れがたいレベルの可能性として、死ぬということだ。それが「手を洗う」ことや「パンツやズボン」を履くことの「現代人には必要」な意味となる。

・逆に言えば、「現代人として」「生きて」いかなければ、食事の前に手を洗わないことやパンツやズボンをはかないことを許容できることになる。しかし、それは、どの時代まで遡ることになるのか。そして、その結果、生存圏はどれほど限られるのだろうか。どれぐらい死ぬのか。

・アラタにとって未知なのは「手を洗うこと」ではない。もちろん「パンを食べること」でもない。それらに順序があるということだ。「パンを食べる」前に「手を洗う」という現代的な人間における順序がわからない。着衣もそうだ。逆に言えば、一連の手順としてすでに理解していること、例えば「コーヒー豆を挽いてコーヒーを淹れる」がそうで、これは大人から見ると比較的高度な理解力が必要そうに思えるものだが、意外にも、その過程の中でいくつか自分では難しい手順があるものの、全体的な順序はきっちりと従ってやることができる。一連の手続きが総合的に理解されているのだ。つまり、一連かどうか。それとこれとがどういう関係があり、どういう順序になるのか。そのわかりにくさに人間の文化的水準があると言えるかもしれない。

・手洗いや着衣といった具体的事象は我が家において生じた衝突であって、他の家庭ではこれではない現実的事象として生じる。しかし、ほぼ確実に言えるのは、どこへどれぐらい向かったところで、結局どこかで限界が来るということだ。親の寛容さの限界にぶつかるまで子は突き進むだけだ。それがどこであれ。この事態は、そういう意味である一定の普遍性を持っている。「イヤイヤ期」と呼ばれる程度には。

・子育てから離れて見ればこの種の人間的規範はいくらでもある。「車が走っている道に走り出てはいけない」「産卵期の毒蛇にいたずらしてはいけない」「地震があったらすぐに海から離れなくてはならない」。こういったことも、ある場所、ある時代における人為的文化的人間的規範であって、守られなければ、許容できないレベルで人間集団の致死率が上がる。そういった集団的生物である人間として共有する普遍性のことだ。こういう規範を「守らない」ということが引き起こしうる摩擦にも拡大できる話かもしれない。が、ここでは広げない。

・さて。

・僕が子育ての途上で感じているイライラはおそらくこういうことだ。僕が、少なくとも人間であるということを前提として生きていることそのものに、起因している。ここで言う「人間」は、僕がそう捉えるということにおいての「人間」である。この「人間」は当然のことながら「現代性」を持っている。簡単に言えば「現代人」ということだ。その僕が「人間」だと思っている「現代人」の「現代性」に対峙しているのは、究極的には「自然」だろう。

・幼児から見れば「自然」の側から、親が知らず識らずに抱えている「現代において人間であること」、つまり「現代的な人工・人為」に対峙している。なんで食べたいものを食べるのに水道の蛇口をひねって手を洗わなくてはならないような文化的規範を維持しなくては生存できないのか。なんでパンツやズボンを身に着けないと生きていけないような気候域にそもそも棲息しているのか。なんで車なんてものが走っているのか。

・この二分法的対立が双方のイライラを誘発している。

・僕は今、自分でも意識しなかった、意識しなくても良くなっていた、前提レベルの「人間」「人為」「人工」の上に立って、「自然」と闘っている。僕の子供は今、当然のごとく生まれ持った意識する以前の「自然」を前提にして、「人間」と闘っている。

・この闘いはそれほど遠くない将来、決着がつく。悲しいかな、自然が打ち負かされる。すでに絵本を読んでいる。すでに言葉を使って親と話をしている。すでにおしっこを失敗したら悔しい。すでに親がするような「難しい」ことを真似してやってみることに喜びを見出している。すでに人間として生きることに楽しさや面白さを味わっている。すでにすでに。そうして、人間が一人増える。自然から移ってくる。

・「自然に帰る」というのは、「自然」というのが人間を取り巻く「環境」としてあるのではなく、人間というものそのものが「不自然である」のだが、その人間が変化することで「自然に帰る」ことができたとするなら、そのときそれはもはや人間ではなく「自然である」、死もその一つだ、ということなのだろうな、ルソーよ。

May 21, 2020

【700】アラタ走る。(生後623日目)

今朝、保育園に行くのに美緒の後をついて、走った。僕が見た初めてだ。昨日は、生まれた直後、病院で撮ってもらった自分の写真を「これだれ?」と聞かれて「アラタ」と言った。これも初めてだ。1歳8ヶ月だ。

アラタは何でも大体遅い。寝返りも遅かった。立つのも遅かった。だからたぶん、走るのも、しゃべるのも遅い方だと思う。親としては、早く寝返りするところがみたいとか、立つところがみたいとか、喋ってるのが聞きたいという思いはあるのだけれど、同時に、ゆっくりでいいというのもある。特に立つまでの時期はその相反する強く気持ちがあった。

なかなか立たない分、ハイハイは相当に上達した。腹を地面につけたままのずり這いもかなり長く、後半は相当な速度でトカゲのように這い回っていた。それから、胸が離れ、膝がつくハイハイに移行したが、この時期は短かった。その後、膝を上げた高這い。これも長かった。ものすごい勢いで四つの手足を動かして高速移動する。ロボットのように見えた。あるいはホラー映画の宇宙生物か。この高這いのおかげでアラタの胸板は貧弱な両親に似ず分厚い。

二本足で立って、二足歩行が始まってしまうと、もう高這いに戻ることはない。圧倒的に二足歩行のほうが楽だからだ。やってみるとすぐわかる。一日中四本足で歩くのは相当な筋力がいる。楽な方からは戻らない。

しゃべることができないときの意思疎通は、すべて何かしらの動作や移動を伴っていた。バナナが食べたいときには、バナナがある場所まで行く。指差しができるようになってようやく、離れた場所で意思疎通ができるようになる。それでも、腕を上げて指を差さなければならない。喋れるようになるということは、遥かに複雑なことを、ほんの僅かな筋力でやることができるようになる。楽になるのだ。一旦楽になると基本的にはもとには戻らない。

だから、僕はアラタを見ていて、寂しい思いをする。どんどん出来ることが増えていく。そしてどんどん楽になる。どんどん失っていく。僕は身勝手だ。できるようになってほしい。できないままでいてほしい。

今日、走り出してしまった。


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May 7, 2020

【690】たぶんここ数日で、喋りだした。1歳8ヶ月。

アラタが喋りだした。

実は少し前から、質問すると頷くか首を振るということは出来ていた。
うなずくときには何も音声はないけれど、首をふるときには「イヤ」という時があった。
また、明確に対象がはっきりしている音声として「バッ」というのがあった。バナナのことだ。

それらをもって喋ったということであれば、たぶんここ二、三週間というところ。

ただ、この数日、もっと明確な言葉が現れた。

「あっこ」だ。

これは「抱っこ」のことだ。
「あっこ」と言いながら両手を高く差し出す。

とりあえず、わかっている範囲で時期を特定しておきたかったので、このエントリーを残す。

上記の言葉の他にも、かろうじて反復していると思われる音声もあって、それらも記録している。

今後もなるべく「語録」を残していく。


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May 5, 2020

【686】子供が居る家を職場にしていく。

ゴールデン・ウィーク、保育園休み、子供1歳児ずっと家。

進めなくてはならないことがいくつかあって、普段ならばそれほど手こずらずに仕上げられるだろうことなのに、手を付けることすら難しい。という状況が続いている。

なので、これを機に、子供が居る状態でも仕事をやっていけるようにするにはどうすればいいのかということを試行錯誤してみようと思っている。何らかの理由で保育園が利用できない事態はもう少し想定しておいたほうがいい。

連休前からすでに保育園からはコロナ関連で強い「登園自粛要請」が出ていて、できる限り休みを取るようにはしてきた。その分、仕事はどんどん後ろ倒しになっていってフラストレーションが溜まっていった。これはよくない。

とりあえず、美緒と僕とで交代でアラタをみることにしたが、仕事に使える時間は単純に半分になる。これでやっていけるなら良いのだけど、早々に破綻する。というか、これで済むなら保育園に通わせる大義的な意味はなくなる。

で、ここからが試行錯誤。つまり、面白くなるはずの領域だ。

僕も美緒も自宅で仕事をしている。自営業だ。自営業の強みは僕は、生活と仕事の全体を投じることができる、その全体を自分で組み替えることができることだと思っている。

自営業とひとくちに言ってもいろいろなのだけど、僕たちがやっていることの多くは、自分で仕事を作って自分で遂行するタイプのものだ。他者からの注文を受けてそれに応えることで報酬を受け取るタイプのものは少ない。

だから、そもそもの地点から、生活と仕事を含めた全体から、再度、どういうことを仕事としていくのか、ということを作り出して行くことができる。仕事をどのような目的でやるのか、どのようなプロセスでやるのか、そういったことを含め、生活と合わせて全部を組み替えていくというイメージだ。僕たちがやっている仕事と生活はそういう自由度の中にある。

ということで、まずは現状の観察から始める。

1歳8ヶ月のアラタは、だいぶ一人遊びができるようになってきた。常に直接見ていなければ危険だという時期ではなくなりつつある。おしっこやうんこもだいたい教えてくれるようになった。つまり、直接的に子育てとして必要な「労働力」は減ってきている。一日中フル回転して家事と子育てをやっていた頃から比べると相当に余裕がある。

しかし、だからといって子供が家に居る状態で仕事は難しい。ここで仕事と言っているのは、パソコンを使うとか、文章を書くとか、本を読むとか、zoomで面談をするとか、そういったことだけれど、なぜ難しいかと言うと、この手のことを僕や美緒がやり始めると、アラタがそちらに興味を持ってしまうからだ。近寄ってきて、マウスやキーボードや画面を触りたがる。本は取り上げられる。逆に言えば、大人が積み木や絵本に興味を向ければ、子供も一緒にそれをする。

この辺が現状だ。ここから考えて行けばいい。この状態で仕事と生活はどうできるのか。

とまぁ、方針はそんなところだけど、これを具体化するのはなかなか大変で、少しずつしか進まない。それはとてもよく知っている。しかも、こういうことは、あぁでもないこうでもないと試していって、ようやくだんだん上手くできるようになったなと思う頃には、子供が成長して次の段階に入っていて、そもそもそんな必要もなくなっている、といった経過をたどることもわかっている。

のだけれど、だからといってやらない手はない。思えば、そんなことばかりやってきた。単純に面白いからだ。


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April 30, 2020

【680】ハインリッヒの法則。子育て中の事故への対策の目安。

以前、仕事で家電メーカーの工場に行って取材をしていた。

工場の垂れ幕などでよく見かけたちょっと変わった言葉に「ヒヤリ・ハット」というのがあって、最初は特殊な帽子のことかと本気で思った。正しくはハインリッヒの法則という労働安全関連の経験則のことだ。

ハインリッヒの法則(ハインリッヒのほうそく、Heinrich's law)は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。「ハインリッヒの災害トライアングル定理」または「傷害四角錐」とも呼ばれる。(ウィキペディア

子育てに関して、僕はこのハインリッヒの法則を一つの目安としている。

どういうことかというと、例えば「子供が飲み込んでしまいそうなペットボトルのキャップが、子供の手の届くところにあって、そのキャップを子供が持っていて口に入れそうにしている」という「ヒヤリとしたり、ハッとしたりする」事象が、一日一回の頻度であったとしたら「一年経たないうちに飲み込んで重大事故が起こる」ということである。

乳幼児が何でも口に入れてしまう期間というのは、それほど長いわけではないが、アラタの例で言えば1歳7ヶ月の現在でも時々入れる。ざっくり2年間そういう時期があると見れば、2日に一回でも「ヒヤリ・ハット」すれば、ほぼ確実に1件は重大事故が起こるという計算になる。

1、29、300という数字自体の精度や正確さについては異論があるのだけれど、この経験則の言わんとしていることはよくわかると思う。

1回や2回や、10回ぐらい大丈夫だったからといって対策を怠ると、一定期間経過すればほぼ確実に悲劇が起こるというイメージは持っておいたほうがいい。

このペットボトルのキャップの例で言えば対策は簡単だ。まず基本的にペットボトルの商品は買わない。必要があって買ったとしても使い終わった時点で処分する。

つまり家の中にペットボトルキャップが存在する時間を大幅に減らす。もちろん、散歩中に自分で拾ったりもするだろうし、完全にゼロにはできない。また、その必要もない。なぜなら、上記の対策で「ヒヤリ・ハット」機会は大幅に下る。

仮に3ヶ月に1回とすれば、29✕3=87ヶ月、つまり7年に一回軽微な事故が起こる。また、重大事故は300✕3=900ヶ月、75年に一度起こる。これぐらいのリスクなら十分に許容範囲だ。

1ヶ月に1回だとすれば、軽微な事故は30ヶ月に一回。重大事故は25年に一度。これでもまぁ、大丈夫だろう。

そもそも最初から重大事故につながらないような事象(ヒヤリハットしない事象)については、経験することで子供は自ら対策を学んでいく。だから、そういうことはどんどんさせていい。重大事故につながると判断した事象はハインリッヒの法則を目安にして、機会自体を減らす。

こんな感じでいろいろ対策を取っていくと、僕たちの生活が変わっていって、それが面白い。



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March 4, 2020

【618】もしも保育園が休園になったら。

今日現在、アラタが通っている保育園(正確には認定こども園)からは「家庭保育協力依頼」が出ているものの、土曜保育を含め保育は継続されている。

とりあえず僕たちにできることとして、迎えの時間を1時間繰り上げて、来週以降、週1日か2日程度休み(家庭での保育)をとるようにする予定。このあたりは自営業なので融通がきく。

先週の時点で「もし休園になったら、同じクラスの人(たち)に、うちで一緒に子供を遊ばせませんかと声をかけてみよう」と美緒とは話していた。

幸い、まるネコ堂は保育園に準ずるレベルで物が少ない。それなりの広さのスペースがあって幼児が何人か集まって遊んでも支障はない。一緒に子供をみることができれば親の負担は下がる。何より子供たち自身も楽しく遊べる。ご飯をつくって一緒に食べたりするのも問題はない。

本当に問題がない。ざっと思い巡らせても問題になるような要素が思い当たらない。明日からでもできる。ほとんど平常運転の範囲だ。

もちろん、そもそもの新型コロナウイルスの感染を問題から除外すれば、なのだけど、この規模の人の集まりが「問題」になるとしたら、それはもう世界的に全く違う局面に突入しているのではないか。そろそろ人類は地下に住むことを余儀なくされてもおかしくない。

今のところ同じクラスの人には声をかけていないが、今度会ったら、そんな話をしてみてもいいかもしれない。今後の状況次第では休園もありうると保育園からは通知が来ている。



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「書いてみたいけどなかなか書き出せない、書きあぐねている」
「書いてみたけどこれでいいのか不安」と思う人が多いようです。
この面談では、書くことが面白くて自分で書き進めていけるように
なるまでをサポートします。1回60分から90分程度。
初回ヒアリング無料です。

【費用】
・高校生以上:1回7,000円
・小中学生 :1回5,000円
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