September 26, 2022
September 15, 2022
【848】大谷美緒の「絵を描く会」やります。
久しぶりに「絵を描く会」です。
絵を描いて、描いた絵を見て、それについて話す会です。
まるネコ堂にて。
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【近くあるまるネコ堂の催し】
9月27日(木) 絵を描く会 ※日程変更になりました。
11月5日(土) 読書会#4 千葉雅也著「デッドライン」
問い合わせは、大谷まで(marunekodo@gmail.com)。
August 30, 2022
【847】アラタの絵本づくり。第二、第三作目。
以前作った絵本。本人はそれなりに気に入ったようだったので、続編。
今回は、
- アラタがべらべら喋っていた物語を書き留めて、
- 縦書きに印刷し、
- 四つ目綴じで製本してみた。
絵本と言いながら、絵はないけど。
「ハイカン寺」と「くつのお話」。「ハイカン寺」は第一作とは別のお話。
中身はこんな感じ。「くつのお話」より。
内容は、特に「くつのお話」が面白かったので、一挙全文掲載(編集者権限)。
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「くつのお話」 おおたにあらた文
くつがはいてくれなきゃ、
さみしかって、
お部屋の中に入っていって、
机にきいてみました。
長細いのがいいかなぁ。
短いのがいいかなぁ。
どっちがいいかなぁ。
短いのがいいや。
くつはいてくれるかな。
くつはいてくれなきゃだめなんだけどなぁ。
それなら、お散歩に行こう。
てっとこ、てっとこ、とことことことこ。
お父さんとお母さんがお部屋の中に入っていったら、
くつと机がなくて、
びっくりしました。
とことことことことこ。
その時にぽっちゃんと音がして、
それかなあと行ってみました。
ああそれだ。
うちのきれいな机とくつだ、と思いました。
出ておいで。
出てこれないなぁと思いました。
じゃぁどうしたらいいのかなあ。
おしまい。
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アラタは、毎晩絵本の読み聞かせで寝る。今夜この二冊を読んでみる予定。
作ってみた段階で思ったことを書いておくと、
自分のお話を読まれるのは楽しいみたい
以前、既存の絵本(バージニア・リー・バートン「ちいさいおうち」、長新太「ころころにゃーん」)の絵にアラタが自分でお話をつけて喋っていたので、それを書き留めて、もとの絵本を開きながら、アラタバージョンのテキストを読んであげると喜んでいた。自分で喋ったお話が他人に読み上げられること自体が面白いのだと思う。今回も多分、キャッキャと喜ぶはず。
絵をどうするか
自分で思い描いたものを、絵として描くのはどうやら難しいらしい。お話はしょっちゅう一人でべらべらと喋っている。このへんは個人差があるのかもしれない。そのうち絵も描いてくれるようになれば、より楽しそう。
四つ目綴じは優れた簡易製本
August 17, 2022
【846】芸術祭について、今考えていること。2「やりたいことの罠」
まるネコ堂芸術祭をやってきて、今僕自身が考えていることを書いています。
1「漠然とした方向感で」の続きです。
「やりたいこと」の罠
やりたいことをやるのは意外に難しいという話をします。
前回は「どうやってやるのか」という作品作りについて僕なりに手に入れた経験を書きました。これは、その前段という感じです。
ここでいう「難しい」というのは、やりたいことに対してその実行に障害物があるから実現が難しい、というのとは全く別種の困難です。この障害物は「やりたいこと」の外側にありますが、「やりたいこと」に内包されている困難のことです。
一般に、やりたいことをやる、といったときに、直ちに生じるのが、「では、私は何がやりたいのか?」という問いで、これが実は難問です。
「やりたい」は、まず背景として「ある」
- 対象そのものではなく、対象として見出される前の背景のようなもの。
- 背景を見ているうちに何かが見出されそうな予感のようなもの。
- 「やりたいこと」が出現する対象化プロセス自体を支えているもの。
August 16, 2022
【845】芸術祭について、今考えていること。1「漠然とした方向感で」
これまで2年間、まるネコ堂芸術祭をやってきて、どんなことを今考えているかを書いてみます。
漠然とした方向感でやっていく
僕自身も一人の出展者として作品作りをやってきました。それで得た最大のものが、「漠然とした方向感でやっていく」ということです。
作品を作る、となると、なにか明確な最終形、目的があって、それに向かってやるものだ。そういった最終地点が見えてくるまでは、作品作りはスタートしていないのだ、とそれまでの僕はどこかで思っていたように思います。
そうではなかったです。
一方で、反対側にある「何も決めずに、まったく即興的に、場当たり的にやる」というのでもありません。
僕はこれだと、一度目は良いのですが、二度目以降興味が急降下して、長続きしません。この方法で長くやれるパターンは、習慣化してしまうことですが、それだと「何も決めず」と自由度の高さを謳っていたはずが、意外にも狭い領域をぐるぐるまわるだけの、やりなれた習慣的領域で「手なりでやる」ことに閉じ込められていくような感覚になります。そして、あるレベルになると、やる前から結果がわかっていることをやっている感じがしてきて、楽しさも面白さもなくなってしまいます。
ということで、そのどちらでもないアプローチなのですが、それが、漠然とした方向感でやっていくということです。
視界を扇型に保って
漠然とした方向感は、視界を扇形を保って見え続けている感じです。視界の中の特定の目標物(オブジェクト)を目指すのではなく、背景として「視界に入ってくる」ものから、対象(オブジェクト)となりうる可能性をできるだけ「試していく」やり方です。
目的を目指すのではなく、背景的な景色に踏み入って無数の目的可能性自体を試していくという感じです。
なので、作品作りというのは、「なんとなくこっちの方が面白そうかも」という漠然とした方向へ扇形に視界を保ってできるだけ大きく可能性を保ちながら、そこから目的になるかもしれないものを試行していく、その連続そのものということになります。
大きく確保した可能性を、大量の試行によって、一つ一つ潰していくというプロセスが、作品作りそのものになっていきます。僕は、一つ一つの試行をノートに書き出していって、なぜそれでは「だめ」なのかを検証していくのですが、それが楽しくて面白いのです。それが楽しくて面白くなるような方向へと扇形そのものを舵取りしていきます。
検証の結果、試行が不採用になる理由は、例えば「予算が足りない」「そのための特定の能力が今はない」「時間が間に合わない」などです。逆に言えば、予算や能力や時間があればその方向は継続されます。
途絶える方角にも、実は先があり、条件が変われば、そちらへ進むことはできます。だから「今はできない」ということがネガティブではなく、ポジティブに捉えられます。結果的に不採用にはなるものの、試した分だけ、自分の地図が書き込まれていく感じがします。僕自身が変化していく感じがします。
プロセスもオブジェクトも
こういったやり方でやっていけばいいという実感と実践とが得られたのが、芸術祭を通して得たといえる一番大きなことです。以前の僕が、スタート地点と捉えていたものは、実はフェイズとしてはかなり終盤であり、しかも、いくつもある試行の「枝」にそれぞれあるものでした。
- スタートとエンド(殆どは失敗)は一つの作品作りの中で無数にある。
- 作品作り自体は、もっと前から始まっていた。
- 一つの展示物(オブジェクト)は、扇形の面的に広がっていた可能性の試行錯誤的な虱潰しプロセス全体が、一つの表現として結晶したり転写されたものだった。
といったようなことを自分で手に入れる幸せな2年でした。
何よりも嬉しいのは、こういった徒労的で、無駄の多いプロセスにもかかわらず、そのプロセスの内部はずっと楽しく面白く続けることができて、なおかつ、まだ見ぬどこかにも通じているのだという終点への興味も保ち続けられたことです。
これで僕はやりたいことをずっとやっていけると思えたのです。
2へ続きます。
【告知】第3回まるネコ堂芸術祭の出展者を募集しています。8月31日締め切りです。
