March 3, 2026

2026/03/03

虎ちゃんが退院して1ヶ月たった。恐ろしく長い1ヶ月だ。

2025年がもうすでに記憶の水平線に沈みそうになっている。2025年の6月3日に、ということは、夏より向こうに、虎ちゃんは生まれた。面会のために、梅雨の大雨を、灼熱の盛夏を、毎日鴨川の河原を、歩いていた記憶が、もうフィクションのように遠い。

時間がどんどん伸びている。まだ季節が一巡りしていない。というよりも、季節はそもそも巡ってなんかいない。同じことは一度も起こっていない。季節が巡ったり、日常が反復されたりしているように感じるのは、大雑把な近似を当てはめていられるからだ。

ここ数日、虎ちゃんの体調が微妙に悪い。それだけで、一日は反復されない。日々とは呼べない。

2026/03/02-03

生きることの盤石さの上に、楽しさや面白さといったものが構築されるのではなくて。そんな形式と内容とが分離した人生なのではなくて。生きていることを無条件に無意識に前提するのではなくて。

毎日毎日、その都度、どうにか生きていられるような方策をとって、生きることを継続させていくような、あやうい生自体に楽しさや面白さがある。

健康は大事だけれど、健康の上に日常があるのではなくて、健康だったり不健康だったりしながら過ごしていくのが日常で、明日どうなるかわからない。

March 2, 2026

2026/03/02

自分の暮らし、生活、仕事など、ざっくり自分が生きることの中に、どれぐらい不確定要素が含み込めるか。

アイスクリームに含み込まれる空気の割合をオーバーランと言って、オーバーランの多い少ないでなめらかさなどの舌触りがかわる。空気だから食べ物としての実体は無いとも言えるけど、空気がなかったらアイスクリームはカチンコチンで食べられない。それはアイスクリームではない。

そういう意味で自分というものにとって他人の存在は、たとえ空気のようだったとしても、大きい。

無意識というのはとても盤石で、意識化された途端に弱さが生じる。

虎ちゃんのように多種大量の薬と繊細な医療機械が生きることの条件として意識化されていると、とても脆弱だ。

SpO2の値なんか一生意識化しないで済む人間は強靭だけど、でも実はどんな人も何かの拍子に問題が出る。自分の生の条件が意識化される時が来る。

必ずしもそれは自分自身の状態だけではなく、親の介護とか、家族の病気とか、同僚の退職とかでも、突然起こりうる。平穏で無意識的な人生が、実は諸々の危うい複合的な条件の束で成り立っていたことに気づく。

だとしたら元々、今日のバイタルサインを見て、その都度やるべきことを変えていく虎ちゃんの生き方の方が動的な強さがあるのかもしれない。

いつも同じであることは、静的安定だが、動的には不安定かもしれない。

February 25, 2026

February 24, 2026

2026/02/24

毎日やることが本当にたくさんある。この年齢になれば普通もう少し暇なのではと思うが、年々やることが増え続けている。

やらなければならないことも、やりたいことも、たくさんあって、増えていっている。

色々とトラブルもある。重たい決断も増えている。

意外に、不老不死って、こういう慌ただしい増殖の先にあるのかもしれない。ウグイスが鳴いている。


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