November 6, 2015

【240】自己表出の瞬間。言語とは。

ぱーちゃんのブログを読んでぞっとした。
ぼくにとって書くことや話すこと

これはまるで僕が書いたのではないか、と思ったからだ。

こういうときに、人間関係に重きをおく人はおそらくこう見立てるだろう。

ぱーちゃんと大谷は友達だ。
これまでにたくさんの言葉を交わした。
特にこういった表現にまつわるようなことについて交換している。
ぱーちゃんの考えが大谷に、
大谷の考えがぱーちゃんに、
相互に影響を与え合っているのだ。
その結果、二人の考えていることは融合し、
ぱーちゃんと大谷は一つになっているのだ。

と。

でも、僕はそう思わない。

もちろん、ぱーちゃんと僕との間での相互影響はあるだろうけれど、
だからといって、ぱーちゃんと僕とは同じではない。
たとえ、どれほど濃厚な人間関係があったとしても、
書くという表出において、
ぱーちゃんの書いたものが「まるで僕が書いたかのように思える」ようなことはそう簡単には生じ得ない。

人間関係の融合で説明できるせいぜいの射程は「ぱーちゃんの書いたものは僕が考えていたことと同じだ」「ぱーちゃんの文体は僕の文体と同じだ」程度のことにすぎない。

そんなに言語は甘くない。
言語はその程度のものではない。

関係性による解釈は、自己表出を見ていない。
その点において、
言語を愚弄している。
人を愚弄している。



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