もう少しでそれが何かわかりそうと目を開き、それを掴みたいと手を伸ばし、身を乗り出し、踏ん張った途端、その踏ん張ったところが崩落していくのはいつものことだ。盤石だと思っていた現実がウエハースのように砕けていく感触を足の裏で感じる。バランスを崩して倒れこむように自分の足で開けた穴に投げ込まれていく。破片が舞い上がるのを唖然と眺めながら、背後にゆっくりと倒れこみ、前を向いていたはずの視線は、空を向く。ようやく崩落が終わるとき、強く全身が打ちつけられ、何かを掴むという意思は息絶える。
現実はそれが確かであってほしいと思うまさにその瞬間、もっとも脆い。意思が息絶えたあとの空白の時間だけが強固で、今度こそ危なかったと言い遺して眠る。やがて新たに意識となっていくだろう先触れがうっすらと漂い始め、霧となり、雲となり、まとまって、輪郭を持ち出し、その輪郭を確かなものとして掴もうと目を開き、そして。
すべてのものを突き通す矛で誰よりも激しい一撃を突き、すべてのものを受け止める盾で誰よりも堅く受け止めるのは、誰よりも僕だ。矛と盾とを持ち替えながら、どこまでも続く袋小路を前に前に進んでいく。曲がったはずの角は、いつまでも見えない。
ただ矛と盾のあらゆるところのあらゆるところに、痛く痛い美しく美しい傷が残った。
というのがポストモダニズムなのかな。