〈僕〉というのは、「僕が」という時の最初の意識のまとまりとしての自己で、大谷という人間を指しているわけではなく、単に「僕が」と書き始める時の〈僕〉のこと。
自分の体も自然の一部だし、他人も自然の一部で、
庭の草や木や石とかわらない。
それぞれがそれぞれの特性をもった自然。
晴れている日は洗濯物が乾きやすい。
雨の日は洗濯物が乾きにくい。
洗濯物は乾いてほしいことが多いので、
だいたい晴れている日に干せばいい。
そんなにすぐに乾いてほしいわけでなければ、
雨の日に洗濯してもいい。
乾くことなんてどうでもいいときは、
いつでも洗濯すればいい。
洗濯したいのであれば。
〈僕〉が規定しさえしなければ、自然は何も拘束されない。
自然の一部である他人もそういうふうに〈僕〉には思えている。
〈僕〉にとって最後まで不自然な〈僕〉というものだけを〈僕〉はどうにかするのだけど、それはすべての自然と〈僕〉との一対一のやり取りになる。