September 23, 2016

【366】米ヤフーの5億件と本当に守りたいもの。

5億件というと世界人口の約7%。米ヤフーはさすがにやらかすことの規模が違うなぁ、と思わず変な感心をしてしまう。

個人情報流出といえば印刷通販のグラフィックでクレジットのセキュリティコードまで綺麗に出ちゃって、個人的にも頭痛の種。今回の米ヤフーもアカウントを持っているのでこっちもなんとかしないといけない。

こういう事象に対して、技術的にはアカウント・パスワードという「モノ」で個人を認証するということ自体に無理が出ているということで、だから今後は生体認証というバーチャルな対面認証の方向へ行くのだろう。それ自体は止められないというか止めるべきものでもない。


でも別の方向でなんとなく違うと思うのは、僕たちはほんとにそんなに隠さなければいけないのかなぁ。

悪意というものを想定すると、いや、現実に悪意を持って事をなす人はいるから想定もなにもないので、未出の悪意の可能性を「最大化して」対処するということなのだけど、それって窮屈だ。

僕は手元のお金は、金魚鉢みたいなガラスの器に入れて居間においている。多いときには1万円札も入れていたりする。居間はいろんなイベントにも使うから結構人の出入りがある。それでいて僕は「この部屋にあるものは自由に使ってくださって結構です」なんて言ってる。

だから当然、「じゃぁあの金魚鉢の5千円札、勝手に持ってっちゃってもいいんですか?」と訊かれたことがある。かなり長く考えて僕は「まぁ、構わないです」と応えた。

「もしもここに来る人でのっぴきならない状況として5千円が必要なら持っていって構わない。でもたぶんその人は後でこっそり返してくれると思う」と。

もちろん、何から何まで僕がこんなオープンな態度であるというわけではないし、オープンな態度を誇りたいわけでもなくて、どちらかと言うと、僕は窮屈なんだと思うのです。そういうことって。

現実にはまだ現れていない悪意の可能性を最大化して、必ずしも必要でないものに鍵を掛けてしまうのは、僕にはとても窮屈なのです。

それは僕自身の行動にセキュリティ手順を付加するという行動レベルの窮屈さだけではなくて、僕が他人と付き合っていくということそのものに対して窮屈になる。

あとの方の窮屈さは厄介で、僕は誰かと何かをするということができなくなってしまうかもしれない。それは困る。そのほうが困る。

僕に財産と呼ぶべきものがあるとしたら、それは僕が誰かと一緒に何かをやることによってしか手に入らない。その人の悪意を想定してしまうと僕は人と一緒に何かをやることができなくなって、結果として財産自体を得ることができなくなる。

で、ここまで来て改めて思うのは、そういう「財産」とは違って本当に僕が守りたいと思うものはいったい何なんだろう。きっとそれはとっても素敵で掛け替えのないものに違いない。でもそれにはそもそも鍵をかけられるのだろうか。

そんなことを考えました。

さて、ヤフーのパスワード変更しないと。


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