という気がします。
けんちゃん(小林健司さん)とは冗談交じりに、ということは大半は本気で「僕たちはずっと壮絶な撤退戦を続けている」とよく話していました。
以前はできていたことがどんどんできなくなっていってしまう。ほんとにやりたいと思うことをやろうとするとなかなかうまくいかない。どうしてもやるとなると、膨大な量の何かを費やしてほんの少し進むにすぎない。
そういうことが続いていたからです。
でもそんななかでようやく見えてきたことがあって、こんなふうにしかならないことをやり続けていけば、最初は見えていなかった、それどころか存在すらしていなかった景色の中に、いつしか自分がいることに気づくということです。
こういうことを考えていると、中沢新一が『アースダイバー』の冒頭で紹介していたアメリカ先住民の神話を、僕は思い出します。
世界が一面、水に覆われていたとき、多くの動物が水底に潜って泥を取ってこようとした。けれどできなかった。
最後にカイツブリ(一説にはアビ)が勢いよく水に潜っていった。水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。それでも水かきにこめる力をふりしぼって潜って、ようやく水底にたどり着いた。そこで一握りの泥をつかむと、一息で浮上した。このとき勇敢なカイツブリが水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、私たちの住む陸地は作られた。(中沢新一『アースダイバー』)今つまり、そこに陸地ができて、家が1軒たったところです。
まだまだ陸地は小さいけれど、でも陸地ができたのは確かなことで、そこはやがて大陸となって、多くの人や動物がその上で飛んだり跳ねたり駆け回ったりして過ごすことができるようになる。
大陸を作るようなことをやっているなんて大げさだけれど、僕はそう思うのです。そのためには水底の泥を一握り掴んでくるようなことが必要だった。溺れそうになりながら。
だから琵琶湖畔にけんちゃんとなっちゃんが自分たちで建てた家は、ただの家ではありません。
そこで、何かがはじまる場所だと思います。
2017.1.7-9
「ことわ坐」 はじめます! (人とことばの研究室)