好物があったとして、そのどこが好きかを言うのはなかなか難問なのですが、あえてやってみようと思います。
本を読むということで僕自身に何が起こっているのかを記述してみるというアプローチで考えてみます。
まず、「知りたいことを知ること」や「知らなかったことを知る」といったときの、ぱぁっと明るくなる感じがあります。これが楽しいしうれしい。
知りたかったことや知らなかったことは自分の外側にすでに在って、それが自分へと合流してくるような感じもあります。
これを一言で言おうとしたときに僕が一番近いと思うのは「消化」です。食べ物を口に入れて、それが自分に「なっていく」感じです。
難しい哲学書などは消化の難しい食べ物という感じで、歯が立たなかったり、丸呑みしても消化しきれずにそのまま出てきちゃったりする。少しでも自分の顎で噛み切れたり、噛み砕けたり、胃腸で吸収できたりするとうれしい。
この「消化」で読書の面白さの半分ぐらいが説明できている気がします。問題は残りの半分。
こっちは、「何かが呼び覚まされた気がする」「何かがはじまってしまう」「悩みや問題が生じる」といったときの、ゾワゾワとした居心地の悪さです。本を読むことで、それまでは無かったものが生じてしまう。これが面白くてワクワクする。
この「何か」は自分の外側にすでに在るのではなく、自分から生み出されるような感じです。
これを一言で言おうとすると、なかなか難しいのですがあえて言えば「受胎」です。あるいは「出産」。自分の中で自分から自分ではないものが生じて、生み出されていく感じです。
難しい哲学書をどうにか消化できるとパァッと明るくなるのですが、同時的にその裏側でこのゾワゾワとしたプロセスが生じています。
この二面性が、今、言葉にできる本を読むことの面白さです。こうやって二つに分けて説明することでだいぶわかりよくなりますが、僕自身には、これらが一つのこととして起こっています。二面が絡み合っているといえばいいのかもしれません。紙の表と裏のように、もともと一体のものを視点によって分けて見ているだけで、紙自体は一枚という説明がスマートかもしれない。
さて、このように僕の語彙だと「消化と受胎・出産」となりますが、一般的には「理解と発見・気づき」などになると思います。意味としては同じようなものかもしれませんが、雰囲気は違っていて、僕にとって本を読むことの「面白さと楽しさ」は、ぬめぬめとやわらかく、生温かい、内的でプライベートなイメージを伴うものです。変わってしまえばもとには戻れないようなことを強く意識したりもします。性的な領域での出来事とも言えるのかもしれません。
そういうわけで、10代前半のころは、好きな本について話すなんてことは、共通の読書趣味を持つ友人とこっそりうちわでやってしました。「公開の場」で自分の読書体験を話すなど、とてもできなかった。今でも、かなりドキドキではあるのですが、そんな僕が読書会やゼミを喜んで主催しているわけで、いよいよ露出趣味も極まったなと、感慨深いものがあります。
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#1 2022年6月4日土曜日 千葉雅也著『現代思想入門』